日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

おもしろい調査と僕のコメント629

2015年06月29日 | Weblog
おもしろい調査と僕のコメント629

,神や仏を信じますかという問いに対して58%は信じる、信じないが42%,信じない理由は

1科学的でない
科学が発展途上にある学問であることを思えば完璧なものではない。其の完璧でないものに、合致しないから信しないというのはおかしくはないか 科学は万能ではない。

2,神頼みしてもかなわない
自分の願いを聞き届けられないから神を信じないというのなら願いは叶ったときには信じるということなのか。だとすれば正解は信じるときも信じないときもあるということになる

3,存在が証明できないから信じない。
神は信じる心に存在わけで、信じないところ、あるいは信じることを拒否するところには存在のしようがない。もともと神は宗教的にしろ哲学的にしろ心や頭脳の中にあるもので証明はできないという本質を持っている。

4,無神論者である
人が神はいないといったところで何の客観性もない。ただそう思うだけの話である。

5,頼れるのは自分だけ。
緊急事態が起きたり、危険が迫ってきたりしたときに思わず神様助けてください、といわないだろうか。表面的には自分だけしか頼りにならないように思えても、緊急事態になったら腹の底に眠る大きな力=神に助けを求めるのが自然な姿である。また日常的に経験することである。

6,神を意識したことがない
神社があることは知っているだろう。また初詣に行くだろう
それすらしらないという人はおそらくいないだろう。

以上のようなこと考えると信じないといっても日常生活が切羽詰まっていないから、気が付かない、だけのことではないだろうか

最後に神の有無は信じるか信じないかにあって、存在に目をつぶったり、雲がかかってその存在が見えなかったりするということで有無が考えられているだけの話で、意識下では誰でも神の存在を知っている、信じているのではないだろうか。
話は飛ぶが、お釈迦様は宇宙の真理を発見した人だ。宇宙の真理を作り出した人ではない。とすれば誰かが真理を作り出したものがいるはずだ。それは神という言葉で表現しないと言い表せないのではないか。信じるにせよ信じないにせよ宇宙創成者はいる。
身の回りを見渡すと自分の力で作ったことがあるだろうか。
空気も水も太陽熱も、光も、自分さえも自分で作ったものではない。何かの力によって作られている現実を見るとき、信じることとは別の次元で神の存在を認めざるを得ないのではないか。

国定忠治

2015年06月28日 | Weblog
国定忠治

赤城の山も今宵限り…
江戸後期の?客。腕っ節の強さと度胸の良さでその名を轟かせた。
彼がもう少し遅くこの世に生まれていたら、坂本竜馬や新選組の近藤勇ように時代の変革に参加しただろう。

この時代の為政者の名前はほとんどの人が知らないが国定忠治の名前は、今でも知られている。

強きを挫き弱きを助ける?客は、何故か昔から庶民のヒーロとして眺められている。

大多数の庶民は心の底に常に?客に憧れを持っているのだろうか。

どうも今の任侠道とは大違いのような気がする。今の任侠道はつっよきをくじき、弱きを助けているだろうか。
庶民いじめをするやくざとは大違い。庶民が見放すのも当然だ




傲慢

2015年06月27日 | Weblog
傲慢

発言を聞いてびっくりした。

国会議員の発言としてはあまりにもお粗末で、呆れた。その根底にある無知、発想の貧しさと思い上がりには怒りを覚える。

マスコミを懲らしめるために経団連まで動員しスポンサーを減らすことによってマスコミの力を弱めるという発想である。

これらの国会議員は低能である。本来のマスコミの役割すらわかっていない。これでよく国会議員が務まるんだと呆れた。

低能議員に教えてやるしっかり覚えろ。

マスコミの働きは権力を監視し検証批判することが本質だ。民主主義国家の新聞やテレビならば当たり前の仕事である。

政権に異論を唱えるから、懲らしめると言うのは小学5、6年生の発想だ。君たちはその程度の次元の能力の持ち主だということを自覚したまえ。

これら馬鹿集団のおかげで安保論議がさらに支障をきたすだろう。異論には耳をかさず力で踏み潰せばいいのだと言う政治家に国民の生死がかかった判断をゆだねてしまうことこそ最大のリスクだ。と国民にしらせた。


坊主頭にして1から出直せ。


恋人はいないけど欲しくない 6-20

2015年06月26日 | Weblog
恋人はいないけど欲しくない 626

ある調査によると若者の37パーセントは恋人は欲しくないと答えたそうな。
欲しくない理由として半数近くがつきあうのが面倒であると答えたらしい。

煩わしいというのは、他人事みたいな話だ。この煩わしいことこそ相手をもとめるよろこびがあると思う。

草食系という言葉を耳にするが、面倒くさがったり、いやがったりするのは人間というよりも動物の本来の姿ではないと思う。

心底そう思っているのなら、いくら政府が策を講じても空転するのではないか。

男女がお互い相手を見つけることが煩わしいと思い生涯を独身で通すのは人間本来のあり方ではない。

煩わしいことを乗り越えていくのも人生である。
人生の本当の味はペアーになって子供を作り家庭団欒があってこそ味わえるものだ。

その前段階で面倒くさがっていては話にならない。

闇サイト殺人事件626

2015年06月25日 | Weblog
闇サイト殺人事件

今朝がた刑が執行された殺人者は人間というよりは鬼畜としか思えない。人間として認めてほしいなどどこから出る言葉か。死刑執行された主犯は闇サイトで殺人共犯者を2名募集して、その2名は無期懲役だそうな。こんな輩は社会の有害動物として3人とも処刑すればいいのだ
どんなにひいき目に見ても野獣としか思えない。
闇サイトという人間の暗部を金をだしにつけ込んで命乞いをする被害者を無残にも惨殺した罪の重さはどんなものか。この罪は永遠に消すことができない。
処刑されて向こう岸に渡った死刑囚には地獄の業火が待っている。どんなに逃れようとしても地獄の裁きは逃れようがない。どんな業火にやきつくされていようとも、殺された者の怨念は消しようがない。ざまを見よ。これがおまえがやった行為の罪深さである。

ところで死刑執行命令を出すのに、いちいち法務大臣としてコメントする必要がどこにある?職務に忠実であれば何らコメントは必要ない。この世で恣意的に冊自を犯したものは自分の命をもって償いするのが本来のあり方だ。そう考えるから。死刑囚には情け容赦なくどんどん処分したらよい。そして社会正義がどんなものか見せるがよい。時間がたてばたつほど記憶も薄れ遠のいて執行がどうでもいいような感覚が生まれる。死刑囚の風化は防がなくてはならない。
最後に僕は涙をこらえながら30万人の署名のひとりに加えてください。お母さん。彼女のご冥福をお祈りいたします。

集団的自衛権の行使

2015年06月25日 | Weblog


集団的自衛権の行使

元法制局長官だが解釈変更を批判した。安保法案は憲法違反だから撤回すべきである。

政府が集団的自衛権の行使容認の根拠とする1972年の政府見解の結論部分(集団的自衛権の行使は憲法上許されない)を変えて行使を容認した、を(憲法を遵守すべき政府自らが憲法の縛りを緩くなるように解釈を変えると言う事で集団的自衛権の行使は進んで戦争に参加することで、国民を守ると言うより国民を危険にさらす結果しかもたらさない。

集団的自衛権の行使については憲法9条の下で認められないことはわが国において確立した憲法解釈で政府自身がこれを無視すれば法的安定性を自ら破壊するものである。
法案は憲法9条に違反して撤回されるべき

法案に賛成の意見
安保法制は戦争法案ではなく戦争抑止力法案だ。限定的容認で明白に憲法の範囲内でやるので問題はない。

以上賛否両論がある。

現役自衛隊員はいった。現政府がいうように枠を外せば確実に戦死者は増える。それは肌身で感じる。そこでこう思う。戦死した場合 子供を育て上げるに必要なお金を支給する年齢別の費用を一覧表にしてもらいたい。そういう具体論が出て来ると、憲法論議を超越して国民にわかりやすくなるし、この問題について国民にPRするにも力にはなるだろう。
なるほど。これは現実論だ。国民も安保法制ついて考えるだろう。


鬼畜少年の出版 624

2015年06月24日 | Weblog
鬼畜少年の出版 624

もう15年以上も昔になるが、少年が 少年の首を切り学校の校門の前に置くという事件があった。 とてもショックだったので忘れられるものではない。
鬼畜の仕業に対する怒りは 今も 少しもおとろえてはいない。 その殺人少年が手記を出した。 その手記を出版する出版社があらわれた なんと 浅ましい営利主義がまかり通ることだろうか。

また医療少年院で治療を受けたにもかっかわららずこの有様では
治療や教育とは一体どんなものであったのだろうか 。

自分が過去に犯した重大犯罪 に対する反省などどこにあるのか。
更正して出所したのか。自分の人間としての尊厳はどこにあるのか。
今更 いまわしい事件を振り返ってみても 特殊な人 例えば学者などが参考にするだけで一般常識人はこの手記を読む読まないにかかわらず 鬼畜人(少年)に怨みの炎吹きかけている。
この鬼畜少年は大人になって人間性を取り戻したというわけでもなく 殺人手記を出版するということで、 あの忌まわしい事件を 再び世間で呼び起こすこと になった。

何が書かれているのか覗き見したい気持ちもあるが 嫌悪感が先だって この前科者の殺人者(少年)と出版社を憎まないではいられない。

遺族の制止にもかかわらず鬼畜生道を歩くこの人間はとても人間とは思えない。人間とはおもわれない以上一日も早くこの世から消え去ることが社会のため本人のためになる。

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2015年06月22日 | Weblog
鬼畜少年の出版 624

もう15年以上も昔になるが、少年が 少年の首を切り学校の校門の前に置くという事件があった。 とてもショックだったので忘れられるものではない。

鬼畜の仕業に対する怒りは 今も 少しもおとろえてはいない。 その殺人少年が手記を出した。 その手記を出版する出版社があらわれた なんと 浅ましい営利主義がまかり通ることだろうか。

また医療少年院で治療を受けたにもかっかわららずこの有様では
治療や教育とは一体どんなものであったのだろうか 。

自分が過去に犯した重大犯罪 に対する反省などどこにあるのか。
更正して出所したのか。自分の人間としての尊厳はどこにあるのか。

今更 いまわしい事件を振り返ってみても 特殊な人 例えば学者などが参考にするだけで一般常識人はこの手記を読む読まないにかかわらず 鬼畜人(少年)に怨みの炎吹きかけている。

この鬼畜少年は大人になって人間性を取り戻したというわけでもなく 殺人手記を出版するということで、 あの忌まわしい事件を 再び世間で呼び起こすこと になった。

何が書かれているのか覗き見したい気持ちもあるが 嫌悪感が先だって この前科者の殺人者(少年)と出版社を憎まないではいられない。

遺族の制止にもかかわらず鬼畜生道を歩くこの人間はとても人間とは思えない。

人間とはおもわれない以上一日も早くこの世から消え去ることが社会のため本人のためになる。

人間1人の命623

2015年06月22日 | Weblog
人間1人の命

熊本の民間慈恵病院に赤ちゃんポストが設置されてから、100人以上もの子供がここでお世話になった。

いろいろ難しい問題があっても、最終目標は生まれてきた命をどうするかということに尽きる。

安倍総理は設置に反対の意向を示した。あれから100人の失われていただろ命がこの世の中で生きている。

人命尊重を口にしながら最終はひとりの子供の命が失われても良いと言う考えだ。彼は世事に長けていても哲学のない男だと思った。

少子高齢化の中で100人以上の命がこのように赤ちゃんポストのおかげで存在する現実を見るとき、慈恵病院のスタッフに心からお礼を言いたい。

今日はNHKテレビでポストの今日までの様子を放送した。

里親と一緒にお風呂に入る子供を見ているとこの里親にも病院にも頭が下がる。人の命を大切にすると言うのはこう言うことだ。

葬送

2015年06月22日 | Weblog
葬送

おばあさんは99歳も過ぎて、もう少しで100歳と言う所で倒れてしまった。

野辺送りに行き、棺に収まったその顔を見たとき、ご苦労様でしたと声が出た。

顔は安らかで、この世の苦から解放されたほっとした表情。

、あまり広くない会館で、何もかもが個人を葬送の雰囲気ににふさわしい小道具が揃っていた。

儀式がすんで最後に電子オルガンが「故郷」を演奏した。

そうだ、おばあさんは今から、この世を去って故郷へ還っていかれるのだと気づくと同時に、一筋の涙が頬を伝わった。

爆買

2015年06月21日 | Weblog
爆買

中国からくる観光客が爆買いをすると話題になってから久しい。

彼らが日本を旅して、買い物をして思うことは 70年も昔に中国を苦しめた軍国主義が日本では もう絶滅しているのではないだろうかということである。

日本人から見ても 終戦後 1945年以降 それまであった軍国主義の端切れも消え失せたようだ 。そして文字通り それこそ 本当の平和国家になった 。

今 仮に戦前にに存在した軍国主義の亡霊が今の日本に現れたとすれば 近隣諸国が 恐怖を感じる前に、ほぼ100%の日本人自身が その亡霊を拒否して叩きつぶすだろう 。

底流に軍国主義がながれているようなことがあれば、平和主義国家ではなくて現在の日本のおもてなしはできないから 中国人が買い物をしたときに感じる気持ちこそが 現在の日本人の本当の心情である。

これは日本人から見ても正しい認識である。

老師は言われた

2015年06月20日 | Weblog

老師は言われた 。

「 僕は輪廻転生を信じるから この世を去っても 次は一皮も二皮も 受けて大きくなり、帰ってくるよ」

僕も輪廻転生を信じる。が,

とても輪廻転生の輪を解脱して 悟りの世界に入る とは思えない。

何に生まれかわるのやら。

安全保障 案件の審議

2015年06月19日 | Weblog


安全保障 案件の審議 6/19

集団的 自衛権行使について 国会で3人の学者が全員 与党提案は憲法違反であると言った

高村さんは 過去に学者のいうことを聞いていては国を守れないと 発言した。 高村発言はある意味説得力がある。

というのは政治家は国を守るためにはあらゆる観点から 検討を重ね其の整合性を見つ出して 結論をみちびきださなければならない

それに比べて学者は 全体を見渡すことなく,ただ与えられた問題に対する見解を述べるだけで良いから 非現実的な専門 バカに陥ることがある。

ただし今回の安全保障 については の発言は説得力を書いて 書いたものであった