日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

沈滞ムード

2011年06月30日 | Weblog
沈滞ムード

大震災の現場の映像をみて悲惨な状況を知るにつれて、気分は沈んでいった。直接には何の被害も受けていないのに、浮かれ気分になって花見に出かけることは、被災者に悪いような気がして、今年の花見は見送った。
普通の感覚の持ち主ならば、沈滞ムードになるだろう。
そしてこれば自発的にそうなるわけで、他から押しつけられたものでないだけに、自分の力で、気分転換を図る意外には沈滞ムードから脱出は出来ない。
また気分的な問題だけでなく、経済状況もサプライチエンの破壊で、落ち込み活気がないので余計に沈滞の雰囲気が漂う。

復興と言うことの中味は、まず経済の活性化だろう。金が動いて景気が動き出すと、人間は元気が出てくる。気分的にいくら励ましの言葉を送ってもそれだけでは、真の力は湧いてこない。やはり労働に携わり、その成果配分によって自然に元気を取り戻すことが出来る。
だから何としても早く、失業状態から抜け出して就職先が決まり、精神的に落ち着く事。そして家族で安定した家庭生活が以前と同じように出来るように、国がいろいろな手を打つことが必要である。

原発については責任問題は当然第一義的には東京電力が背負うべきである。賃金カットは言うに及ばず、財産処分など、我が身に痛みを感じる事でなくてはならない。これだけ大きな被害を与えた企業だから、その責任はきっちり取るのが当然の社会的な責任だろう。とはいっても被害のスケールが大きすぎて東電だけでは背負いきれないことは十分予測できる。

最後は国家で、つまり税金で、と言うことは全国民が幾ばくかづつ負担せねばなるまい。この国難については国民的合意の元に、なにがしかの負担増は余り抵抗なく受け入れられるのではなかろうか。といってもこれを理由に増税をもくろむことは国民感情からして良くない。
財政赤字を、何とか増税でしのぎたいというのは判らないでもないが、それとこれとは話の筋が違う。 そこだけはきっちり押さえておかなくてはと思う。

電力会社の株主総会

2011年06月29日 | Weblog
電力会社の株主総会

電発について積極的な発言があったが、適切な意見だと思っても10%以下の少数意見として会社提案通りになってしまった。どんなに良い意見でも、現行制度では否決される仕組みになっている。大株主がよほど社会的責任感を感じない限り、会社提案の議案は全て多数決によって決まり、どんな建設的な株主意見もかき消されてしまう。

その大株主を動かすのは、原発を争点にした国民の意見即ち選挙だろう。選挙で反原発を掲げた党が大勝すれば、電力会社も無視できないだろう。

多数決民主主義は少数派の意見を抹殺するという弊害がある。しかしこれは現行制度ではいかんともすることが出来ない。

株主出席者数が去年の3倍だと言うことはそれだけ関心を持った株主が多いと言うことになるが、その発言はことごとく否決された。これでは東電が自主的に反原発思想を受け入れて、自己改善していくことを期待することしかできない。

少数意見でも時宜になかった現実的な案は、採用される方策を、今後模索しなくてはと強く感じた。

原則原発は禁止。しかし次エネルギ が開発され現実的なエネルギーになるまでのつなぎとしては、原発の使用を認めざるを得ない。一挙に中止してしまうと社会全体に与える影響が大きすぎる。混乱を防ぐためには時間をかけて段階的に切り替えていくのが順当だろう。

笑っちゃうよ

2011年06月28日 | Weblog
笑っちゃうよ

そりゃ 自民党にいたところで芽が出るとは思えないよ。
良いところがあればさっさと移ればいいさ。一本釣りされた自民党は君を除名すると息巻いている。それは当然のことだが、そんなことどうでも良い。
位階勲章をもらって、日の当たる場所に出る方が君のためだろうよ。
君が民主側にはいったと言って自民党が復興に関して反発すれば、この国難の時にと、今度は国民から反感を買うだろうから、自民党もやりにくところだ。
国難に際して野党も与党もないというのは良い建前だ。
民主党、君、自民党の顔を見ていると、思わず笑っちゃった。

玄海原発再開国が説明

2011年06月27日 | Weblog
玄海原発再開国が説明

参加者7人に限定 質問は一回1分 佐賀市で開催と新聞は報じている。
僕の基本的な立場は原発は自然エネルギーが開発されるまで動かさざるを得ないという原発容認派だ。
ただしそれは住民の安全が保障されての話で、電力不足だからなんとしても動かさなければならないという国や電力会社の言い分とは違う。
僕は浜岡原発を止めたのは正解だと思っている。あのまま稼動を継続して不幸にも地震や津波が来たら、福島の二の舞になり、しかもそれは首都圏に近い分大混乱が予想される。東海、東南海、南海の地震発生が予告されているから浜岡原発の危険性を少しでも取り除いておく措置は現実的には時宜を得たもだと思った。
然るに今回の海江田発言に見られるように原発の安全性も徹底解明することなく、再開をする。そのために玄海原発再開を第一号として検査終了の原発を順次動かすという政府のやり方は、安易過ぎる。しかも政府が選んだ7人限定で1回1分の質問に限定することによって事足れりというのは、安全を検討する点においてはあまりにも無能であり、安易である。メクラマシとしか映らない。単なるパホーマンスだといわれる程度のもので、再開については説明会としては、不十分なものである。安全に対する認識が甘い。再開発言についての詳細な説明が何も聞こえてこない。
津波対策は従来とどう変わるのか。どういう対策を実行したのか。電源対策は何重の仕掛けになっているのか。など安全対策の根本が説明されていない。そして住民説明会では専門用語が飛び出して、参加住民はよくわからないと感想を漏らした。これで説明会を開いたという実績を作りたいのだろうが、これは子供だましである。安全が担保されるならば別だが、後ろに何の担保も見つからない状態では、再開の説明会をしたことにはならず、これを口実に再開されたら、安全性はどうなるのかと、いっそう疑念を抱くことになる。直ちに完全な対策を実施して工事を完了してとまでは言わないが、もう少し身の入った状況を作ってから再開したらどうだ。

浜岡停止との整合性も見られず、唐突で安全性に対する見方が軽い。だから不安を抱くのだ。原発容認派の僕でさえ、不安に思うのだから、原発反対派の人たちはいっそう反対の声を大にするだろう。
再開するのだったら、もっと説得力のある裏付けをもって、再開発言をしないと、大臣は発言は軽すぎて話にならない。


責任の所在は明確である

2011年06月26日 | Weblog
責任の所在は明確である

福島原発事故は人災だと言われているから、この責任は、これを許認可した政府、当時の与党自民党にある。
事故発生時には民主党が政権与党となって、当面の事故処理に当たっている。

そして最近は責任論がどこかに棚上げされて、専ら政局にされている。
自民党は当時の自己責任をおくびにも出さないで、管政権退陣を責め立てている。これは全く間違った、おかど違いの考えであり行動だ。

なぜならば、許認可責任を自覚するならば、まず第一に国難克服のために
与党野党の垣根を越えて、被災者救済の何をすべきか。知恵を絞りあい出し合って、協力体制を組むのが、許認可責任を全うする、取ると言うことだろう。
そう言う本来のあり方を放棄して、こんな非常時に政局とは何事か。誰だってそう思う。今緊急のことは何だろうと世論に尋ねれば、答えは被災者救済と国土復興が第一の問題だ言うことになる事は間違いない。

国民の願いとはほど遠い、政局劇は誰も望んでいない。其れをやるのは民意を無視した政治屋集団だ。日本の有力紙の社説に政治は三流だと堂々と書かれても、恥ずかしいとも何とも思わないから、なんの反省もなく、先生と言われるほどのバカになり、今日も懲りずに面白くもない、いや 目障りな茶番劇を演じている。
自民党は言うに及ばず民主党も、これほどぼろを出せば、国民から見放されるのは必定である。
日本国民として何と情けない事よ。この茶番はもう見飽きた。聞き飽きた。

摩訶不思議

2011年06月25日 | Weblog
摩訶不思議

東日本大震災の苦難から、命からがら逃げた人の仲には、将来の見通しが立たずみずか命を絶った人が現れ始めた。

今回の事故に直接責任を持たなくてはならいのは、東電と政府だけれど
加害者側に廻ったものの中で自殺したものはいない。
心の芯から責任を感じるならば、加害者側に廻ったうちの中から幾人かは
申し訳ないことをしたとわびて切腹しても良さそうに。
そうした責任を感じてという人士は見あたらない。

そして被災者は生活が立ちゆかず、将来の見通しも全く立たないところに追い詰められて、自殺に追い込まれている。
ところが人に死ぬような絶望や苦しみを与えておきながら、のうのうと生き延びている加害者側の人間が誰一人として自殺しない。自殺するのが必ずしも良いとは思わないが、責任感の自覚が希薄すぎる。

無責任というのか、恥知らずというのか、厚顔無恥というのか、人間的なレベルが低いというのか。僕が思うに摩訶不思議である。

慈眼放光

2011年06月24日 | Weblog
慈眼放光

どんより曇った空から 梅雨がこぼれる

降るともなく 降らぬともなく

甘露の慈雨は草木をうるおし 人の心を洗う

インド招来 大石像観音

お膝元にぬかづいて 中空高く お顔を見上げる

心をひざまづかせて 慈眼放光 まなざしを仰ぎ見る

まなざしは恵みの雨に濡れて 慈悲のしずくを降り注ぐ

ああ この世でいったい何がほしいというのか

今ぞ知る  天然の恵み

今ぞ聞く  観音の声

今ぞ味わう 人の世の幸せ

ああ 我が思い何に喩えん

東電よ元は取れたのか

2011年06月23日 | Weblog
東電よ元は取れたのか

1700万円を自民側に献金=東電役員、07年から3年間-「組織ぐるみ」の指摘も
時事通信 4月9日(土)2時44分配信
東京電力の役員の大半が自民党の政治資金団体「国民政治協会」に対し、2007年から3年間で計1703万円の政治献金をしていたことが8日、明らかになった。
組織ぐるみの「事実上の企業献金」との指摘が出ている。福島第1原発の事故をめぐり東電と経済産業省の「もたれ合い体質」が問題視される中、これまで原子力政策を推進してきた自民党と東電との関係も問われそうだ。
 
現在、閲覧可能な政治資金収支報告書は07~09年分。国民政治協会の収支報告書によると、東電役員は、07年は42人が543万円、08年は50人が591万円、09年は47人が569万円をそれぞれ献金した。
 献金額は職位ごとにほぼ横並びで、例えば09年は勝俣恒久会長と清水正孝社長が30万円、6人の副社長は全員が24万円、9人の常務は1人を除き12万円だった。役員の献金は07年以前も行われていたとみられる。官報によると、勝俣会長に関しては00年と01年に各24万円、社長に就任した02年以降は毎年30万円献金していた。
 09年分の献金は12月に集中しており、同年8月の衆院選で敗れ、野党に転落した後も自民党への資金提供が続いていたことになる。一方、民主党の政治資金団体「国民改革協議会」の収支報告書には、役員からの献金はなかった。
 
政治資金団体は、政党が1団体に限り届け出ることができ、企業・団体献金の受け取りも認められている。ただ、東電は石油ショック後の1974年、電気料金引き上げへの理解を得るため、政治献金の廃止を決めた経緯がある。東電役員の献金について、同社広報部は「あくまで個人の判断で役員が名を連ねた。会社が指示したり、強制したりしたことはない」と説明。また、国民政治協会事務局も「純粋な個人献金として受け取り、収支報告書に記載している。企業献金との認識はない」としている。

東電よ。政治献金は今回は まさかの場合の保険になったのかい?
今の自民党じゃ元は取れんじゃろ。 ある程度の癒着は世の常だが
其れが許される事と許されないことがある。その部分は毅然とした態度で臨まなくてはゆるゆるの癒着になる。こと国民の安全という部分では癒着は許されない。

堀江2年6カ月の実刑:

2011年06月22日 | Weblog
堀江2年6カ月の実刑: 11/06/21

あの態度を覧ていると、相変わらず、人を馬鹿にしている、言動を見て、大多数の国民を愚弄ーをしているように思った
性格がそうなら性悪だし、計算ずくでやっているのなら、なおさら許せない。
どこまで、あつかましい。厚顔無恥人物か。

彼が実刑になったのは、行ったことが、法に触れたからである。具体的には、粉飾決算をして多くの株主に、迷惑をかけたということであり、その罪は大きい。
それに対して全く反省の色が見えない。
当初彼がマスコミに登場したとき、法すれすれを、若さと超自己中心性によって、マスコミの注目を引く。計算のできた、典型的な悪賢い、人間だと思った。

彼の行っていることを高速道路の走行に置き換えて例えてみたことがある。
高速道路は渋滞で、車が止まっているか、ノロノロ運転をしている。しかし順番を守りながら走っている。
そういう路面状況を横目に見て、禁止されている路肩の方を、かなりのスピードで走りぬけてゆく。そういう運転をするのが当時の堀江だった

加えて、彼はテレビ画面でこのように公言した。「世の中には頭が良い奴や悪い奴がいるので、気をつけないと」
何のことはない。
僕なりに翻訳すれば、俺は賢いからライブドアで一儲けをするが、頭の悪い人は株を買って損をしても仕方がないのだ。俺の計算が読めていないから、損をするのは当然だ。こういう事を仕掛け得る俺は頭が良いが、そうとは知らずに株を買う奴はホントに馬鹿な連中だ
頭の悪い人は、ライブドアの新しいやり方で、ひともうけしようと買った人たちを指している

ライブドア株を買った人が堀江いう若い起業家に夢を託して株を買い、値上がりを期待した。ところがふたを開けてみると、好業績は偽りで、粉飾決算でごまかしていた。株は下がる一方で、お株主は損を被っていた
子言う事実が頭の善し悪しと割り切って良いものか。頭の善し悪しの以前に
社会常識とか本人の良心とか言うフイルターを通して考えるべきだろう。少なくとも自ら行っていることだから、堀江は粉飾決算の実態を知っていたはずだ。

僕の目から見ると堀江像は次のように映る。

1,弁舌は巧みで、悪賢い
2,超自己中心主義者
3,厚顔無恥
4,善良な庶民を蔑視した拝金主義者 等など

閉鎖的な社会に風穴をあけて若い人に夢を持たせる というのは建前も良いところで、己の違法性をカムフラージュした彼の下心は読めている

こんな輩は1日も早く社会から追放して 排除しなくてはならない。要するにこういう輩を犯罪者として指弾するのが社会の正義というものだ。
こんな輩に寛容でしかも甘い社会は、それだけ腐敗する。
健全な社会を作るためにルールを守り、人々の思いや行動基準の最大公約数であると思われる健全な常識を堅持するのが一般大衆でが彼らが社会の地の塩となって社会の安定を保っているのである。悪い奴に騙されて損をかぶるいわれは毛頭ない。    

中央防災会議

2011年06月20日 | Weblog
中央防災会議

直接の引き金は地震津波という自然災害ではあったが、福島原発の事故は水俣病や神通川の公害と似ていると思った。すんなりとは収まらず住民と国。東電の間に長い間訴訟が繰り広げられるだろう。

水俣病についてはチッソは政府自治体の応援を得ながら、今日に至っているが 胎児性水俣病患者を含めても、福島原発の被害者に比べると規模が小さい。放射能による次世代の放射能被曝による胎児に異常が発生しないように祈るばかりである。
これから何次にも渡って訴訟が発生すると思われるが、現在なお事故の終息宣言が行える状態ではない事を考えると、問題の解決のために今後どれほどの時間を要するのか気が遠くなる想いである。

一方今の地域独占の電力会社のあり方が問われている.原発を管理運用する電力会社が安全神話をオモテの顔として実態は想定事故の甘さが今回の事故で露呈させれた。
文献に残された最大被害はラインはほぼ無視して、甘い想定だけを施して足りない部分は安全神話で補った形になっている

これに対して
.
 東日本大震災を受けて津波対策の見直しを行っている国の専門調査会(座長=河田恵昭・関西大教授)は19日、3回目の会合を開き、科学的に想定し得る最大の津波にも対処できる防災対策を取るよう、国と自治体に求める中間報告の骨子をまとめた。

津波の規模を想定する際は、過去の大規模な地震や津波についても沿岸部の堆積物の調査などを通じて状況を把握し、参考にする必要があるとの認識で一致した。また、津波対策では大津波が来ても流されないよう防波堤を強化するほか、避難ビルや避難路の整備など人命確保を重視したまちづくりを進めるとした。
 座長の河田恵昭関西大教授は会議後の記者会見で「今までの津波防災とは違い、最大規模の津波に備えたい。命を落とさないための努力をする」と述べた。 

と述べたことは心強い
 
 中間報告は26日に公表される見通し。津波の想定に関しては、従来の考え方を抜本的に改める内容で、全国の津波対策に大きな影響を与えることになる。

 記者会見した河田座長によると、

これまでの津波対策は、各地域で繰り返し発生したことが確認されている津波の中で、最大規模のものを前提に策定。津波の高さなどを判断する根拠は文献などほぼ確実な証拠に限定し、学説の定まったものだけを対象にしていた

とする河田座長の意見に賛成だ。この人は以前京大教授時代からオーバーなくらいに、被害想定を唱えてきた人だ。防災に関しては被害想定の過大評価は安全性を高めるが、過小評価は被害を大きくする。

これから出される報告書については国自治体とも遵守して東日本大震災の再現を防がなくてはならない。 国民の安全を守るために国家が存在するのだ。





国は権威ばかりで頼りない

2011年06月18日 | Weblog
国は権威ばかりで頼りない

官僚なのか、政治家なのか、今回の措置や行動を覧ていると、頼りないことおびただしい。安全の上にも安全をと言う旗印など、とっくの昔におろして、安全神話というおとぎ話だけを聞かせて、国民を欺いた罪は大きい。

東電一社くらいつぶれたところで大したことではない。事後処理のまずさなどを考えると、もっと完璧なシステムを作り、新会社を立ち上げた方が良いと思う。

電力業界を改革すると言うことは単なるお題目に過ぎず、いったい誰が本気でそれに取り組むのか。将来のエネルギーのあり方を考えると、どうしても方向は自然の方向に向かわざるを得ない。 そうなれば当然のことながら新しい発電送電システムを作らざるを得なくなる。勿論其れまでのつなぎとして原子力発電も利用することになろうかとは思うが、原子力が本命だとは思えない。

人間の力で完全にコントロール出来るようになるまで、原子力は一歩間違えれば野に放った猛獣である。東海原発、福島原発、とどちらとも騙し騙し使ってきたが、ここえきて手に負えないことがはっきり判った。

さて
住民との距離は近いという事情もあろうが、被災県のみならず、全国の知事が安全性を重要視している発言が目立つ。国による動きなどとは比べものにはならないほど具体性があり、リアリテイがある。

僕は基本的に国であろうが、地方であろうが、こと原子力利用に関しては住民の安全を守るという観点から見解の相違はないと思う。知事会で方向性を決めて政府にのませる位の提案をしてほしい。
基本的な考え方は、嘉田知事を始め、福井県知事、大阪府、兵庫県等知事の発言は是非実現の方へ持って行ってほしいものである。その方が国を相手にするよりはまだましだと思うから。

原発再開

2011年06月17日 | Weblog
原発再開

電力不足になるから、原発を再開したいと政府はいう。この意見には僕も賛成だ。
原発に代わるエネルギーは自然エネルギーだろうが、まだその開発に血眼になって取り組んでいるようにも思えない。今からの課題だろう。そういう状態だから両手を挙げて賛成とは行かない。
現実にはスイス、ドイツ、に続いてイタリアも原発廃止に動き出した。
今回のお粗末安全神話おとぎ話を払拭して、最高限度の安全性を求めなければ、この国は沈没してしまう。要するに再起動させるにも、廃止するにも、安全性が問題なのだ。

交付金をほしいと思ったのだろうか、ある町の町長は この目で確かめたから、安全で再起動させてもいいと発言した。
こんな程度のレベルの人間が再開発言をするとは、あきれたと言うよりは、人間とはいかに目先の金に弱いものよと、つくづく実感した 。
電力会社の安全対策を聞いて、この目で確かめたからと言いたかったのだろうが、国の安全基準もまだ決まっていないのに、いったいどこが安全なのか。電力会社は再開させたいから、安全だというに決まっているじゃないか。

今回の原子力災害は電力会社、学者、政府なと関係機関には全部責任があるのだ。
この原子力事故は自然災害ではなく、関係者の犯したミスによって引き起こされたものである。即ち人災なのである。それは国の原子力安全委員会の会長も認めていた。

電力不足による経済活動の低下を心配するのは同じであるが、だからといって直ちに再開とはならない。たいした対策も立てないままに、再稼働を急ぐのは反対である。
これほど国民を苦しめた大事故の重大性が、まだよくわかっていないのではないか。
説明会で住民から安全性を追求されたら、「安全だから」の一点ばりである。そして「動かさないと電力不足が起きるから」と暗に問題をこちらに振って賛成を催促する。
これでは原発安全神話おとぎ話の延長だ。どうしてもっと真剣に国民の安全を考えて勉強しないのか。
政府は国民の安全のために早く明確な指針を示せ。
昨日の新聞で見たが、兵庫県の井戸知事はマグニチュードM8,4想定して、津波対策を講じたが、今回実際にM9,0が起きたのだから防潮堤の高さを2倍にかさ上げする必要があって、近々そのハザードマップが示されるようである。僕はこのような リーダーを求める。国にも人材はいると思うが、このような現実に基づいたスピーデイな対応策が出来ないものか。
僕の意見としては備えはM9クラスを想定したもので、今回の対策で弱かったものを徹底的に分析して、その一つひとつに対応できることは最低条件だと思う。
間違っても「安全だから」と「電力不足が生じるから」と言う言い訳は禁句にしてもらいたい。

原発再開

2011年06月17日 | Weblog
原発再開

電力不足になるから、原発を再開したいと政府はいう。この意見には僕も賛成だ。
原発に代わるエネルギーは自然エネルギーだろうが、まだその開発に血眼になって取り組んでいるようにも思えない。今からの課題だろう。そういう状態だから両手を挙げて賛成とは行かない。
現実にはスイス、ドイツ、に続いてイタリアも原発廃止に動き出した。
今回のお粗末安全神話おとぎ話を払拭して、最高限度の安全性を求めなければ、この国は沈没してしまう。要するに再起動させるにも、廃止するにも、安全性が問題なのだ。

交付金をほしいと思ったのだろうか、ある町の町長は この目で確かめたから、安全で再起動させてもいいと発言した。
こんな程度のレベルの人間が再開発言をするとは、あきれたと言うよりは、人間とはいかに目先の金に弱いものよと、つくづく実感した 。
電力会社の安全対策を聞いて、この目で確かめたからと言いたかったのだろうが、国の安全基準もまだ決まっていないのに、いったいどこが安全なのか。電力会社は再開させたいから、安全だというに決まっているじゃないか。

今回の原子力災害は電力会社、学者、政府なと関係機関には全部責任があるのだ。
この原子力事故は自然災害ではなく、関係者の犯したミスによって引き起こされたものである。即ち人災なのである。それは国の原子力安全委員会の会長も認めていた。

電力不足による経済活動の低下を心配するのは同じであるが、だからといって直ちに再開とはならない。たいした対策も立てないままに、再稼働を急ぐのは反対である。
これほど国民を苦しめた大事故の重大性が、まだよくわかっていないのではないか。
説明会で住民から安全性を追求されたら、「安全だから」の一点ばりである。そして「動かさないと電力不足が起きるから」と暗に問題をこちらに振って賛成を催促する。
これでは原発安全神話おとぎ話の延長だ。どうしてもっと真剣に国民の安全を考えて勉強しないのか。
政府は国民の安全のために早く明確な指針を示せ。
昨日の新聞で見たが、兵庫県の井戸知事はマグニチュードM8,4想定して、津波対策を講じたが、今回実際にM9,0が起きたのだから防潮堤の高さを2倍にかさ上げする必要があって、近々そのハザードマップが示されるようである。僕はこのような リーダーを求める。国にも人材はいると思うが、このような現実に基づいたスピーデイな対応策が出来ないものか。
僕の意見としては備えはM9クラスを想定したもので、今回の対策で弱かったものを徹底的に分析して、その一つひとつに対応できることは最低条件だと思う。
間違っても「安全だから」と「電力不足が生じるから」と言う言い訳は禁句にしてもらいたい。

僧侶の葛藤」を読んで

2011年06月16日 | Weblog
僧侶の葛藤」を読んで

今度の東日本大震災のなかで、もっともお気の毒な人といえば、僕はためらわずに未だに行方不明になっている人たちだろうと言う。
生きている人たちには、ちょっと大げさに言えば、世界中から救いの手が差し伸べられた。
死者として遺体が発見されたり、葬式をしてもらった人は、それなりに落ち着く。しかし行方不明者者については、捜索は続けられてはいるものの、いかんせん数が多すぎる。千人単位の行方不明者では、おそらく手のつけようのない部分もあろうかと思われる。お気の毒のきわみだ。

そこで僕は思うのだが、せめて自分の歌に慰霊の気持ちをこめて、何とかして僕の慰霊の誠を伝えたいので、CDに焼いて、それを被災地の法要のときに、僧侶の読経の後にでも供養の一端としてかけてほしいと依頼した。
そのときに自分がしようとしている事が果たして、迷惑にならないだろうかとかなり迷った。まだ避難所暮らしの人々が数万人もいるというのに、何が音楽か。迷惑この上ない話じゃないか。
そんな思いが頭中で堂々巡りしていたが、思い切った。遺族の要望があったのですか。そんな声も聞こえてきそうだった。そんなわけで、送った後でも気にはなっていた。

夕刊にはある僧侶の心情が吐露されている。
「どうしたら読経できるのですか」耳元で「自分で切り開くものだよ。待っていては何も始まらない」という声がした。
心境は実によく似ている。片や読経や供養を職業にしてる人 。片や僕は宗教音楽家を自認し過去に、何十年間も慰霊祭で供養音楽を奉納している経験の持ち主だ。職業とまではいわないが、心の中は僧侶の祈りに決して引けをとらない自負がある。
いろいろ逡巡したがエイ・ヤーの精神で思いを実行した。後はご縁に任せるほかはない。

ユング

2011年06月15日 | Weblog
ユング

心理学に興味を持っている人なら、ユングとかフロイトなどについて関心があるだろう。名前だけなら「ルビン」の杯や「パブロフ」の条件反射などはおそらく今でもあの写真を思い出すだろう。
勉強したことがないので思いつくままに書くのだが、6月13日朝日新聞夕刊に載ったユングについては面白く読めた。

彼は「黒の書」「赤の書」を書いたらしいが、ちょっと予言者めいた所があって関心を持った。とりわけ次のフレーズが気になった。

「自分の体験で理論を証明すると其れは自己暗示かも知れないので、体験をベースにしつつも後半生であくまで宗教や民俗学を素材に使い、自分の理論を実証しようとしたのではないか」
と「赤の書」の解説者シャムダサーニ氏が講演した。
彼の言葉「無意識での対決」言うことが気にかかる。

僕が宗教的な霊感だと決めてかかっている事も、実は其れが自分の内にある無意識だというのなら、内なる無意識か、其れとも純粋に芸術的霊感なのか判別が付かない。どうでも良いことだけど。

ひらめきの根底にあるものが自分の無意識なのか、自分の外にあると思われる神なのか、知ってみたい。
山田耕筰先生の書物には無意識(の世界)と言うことは一度も出てこなかった。先生はこの事を神秘の世界だと表現され、其れを知るのは感悟だと指摘されている。僕は安易に神の世界にひらめきの源泉があると考えているのだが。