日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

お百度旅行

2014年12月31日 | Weblog
お百度旅行

年末だから年初めに祈願したことへのお礼参りに行った。お経を唱えて平穏無事に過ごした1年間のお礼を言うと共にお百度を踏んだ。口ではお経を唱えながら歩いてお百度の石を回る。手には回数を数えるために竹の棒を持っている。

そこで頭である。今歩いてお経を唱えているけれども頭の中は賑やかである。今日の晩飯は何だろうかに始まって、過去の出来事に飛び、現実の出来事に思いが向く。政治から株の値段、街の人々の様子などが浮かんでくる想念には際限がない。
はっと気がついて今お百度を踏んでいるのだと思いかえす。それから頭はフル回転して、祈りから外れた方向へ飛んで行く。まるで列車に乗って旅をしているようなものだ。精神集中は難しい。

師走

2014年12月30日 | Weblog
師走

師走と言えばなんとなく慌ただしくて落ち着かない。
1年中にたまったものを少しでも整理する、切りをつけると言う仕事もあるのだろうがとにかく気ぜわしい。
こんな師走の喧騒の渦に巻き込まれてながらちょいと心を外してみるのも一興だ。
アリのように忙しく忙しく立ち働く人の群の中にいて心を渦から脱出させ空中を漂わせる。
人みんなそれぞれ用事を済ませようと動いているのだ。ある人は金儲けのために、ある人は勤めに、ある人は酒を飲むことや食事をすることに、ある人は恋人に会うためにあくせくしている。

その後雪の上からいっぽ抜けて鳥瞰をしてみると、自分を含めて人間どもの動きが阿呆らしく見える時もある。
しかし皆必要に駆られて動いているはずだ。用事もないのにウロウロするような人はこんなに多くいるはずがない。自分も忙しい口である。大した事もしてないくせに。

お年玉

2014年12月30日 | Weblog
お年玉

あと3,4日も経てば正月だ。子供は1つ大きくなることを喜び早く大人になりたいと願う。

老人はまた1つ歳をとったことにうんざりする。1年ごとに体力は衰え、それを実感するようになると正月が名実ともにうっとうしくなる。正月が喜びであるのは何歳ぐらいまでか

高校生だとお年玉を当て込むからまだ大人とは言えまい。20歳を過ぎて大学生になるとお年玉をもらうことが子供扱いだとして少し抵抗が出る。

就職して給料を貰う歳ごろにはお年玉をもらうのが恥ずかしいと思う。この頃から家庭を持つまでの間がお年玉はありがたくもあり、ありがたくもなしの年代になる。家庭を持って子供たちまで正月を迎えてお年玉を与える頃なると親としての喜びが実感できる。

振り込め詐欺

2014年12月28日 | Weblog
振り込め詐欺

東南アジアを1人旅したとき痛切に感じたのは、我が身のガードの甘さであった。
何処の国でもだまされたり、有料のサービスを強制的に受けさせられたり、物を盗まれたり、散々だった。
自分はしっかりガードしているつもりではあるが、外人から見たら隙だらけなんだろう。日本では用心深い方だと認めているがそれでもガードはあまり甘い。

今頃振り込み詐欺が巷で横行をしているが、その手口にまんまと乗せられている老人はあまりにも多い。
気の毒にと同情すべきところだが、その警戒心のなさに呆れる。。
もしこの警戒心のなさ(それは日本における普通の日常生活なのだが)で外国に行ったら三日間で丸裸にされるだろう。

過度の警戒心を持つ必要はないが、せめて持ち物を守ることぐらいはできないとお人好しでは、ケツの毛までむしり取られる。

今日もどこかで騙されて金を取られる人がいることだろう。憎むべき詐欺犯の高笑いが聞こえてくる。

またいじめか

2014年12月27日 | Weblog
またいじめか

大津事件以降も各地の学校でいじめが行われている・
今日の夕刊では12名の女の子がいじめを繰り返し、いじめられた方は転校したという。
責任者である校長は「認識が甘かった」と弁明ているが、いじめがどんな犯罪か全くわかっていない。転校したから救われたようだが、追い詰められて自殺でもしようものなら、救いようがない。
この校長のような弁明は児童相談所でもよく聞く。
責任者がこんな弁明をして、果たして許されるのだろうか。人命に関わることだ。責任感の欠如おびただしい。早速責任をとらせることだ。同じような弁明は学校はもちろんのこと、各施設でも許してはならない。いじめは犯罪という観念をを植え付けるために、もっと大体的に宣伝してはどうか。「痴漢は犯罪です」というポスターはよく見かけるが、いじめは犯罪ですという広告は見たことがない。痴漢は死に至らないが、いじめは死に至ることがある。どちらが重大な犯罪か?いじめを学校に任すことは現場を知っている人間なら安心できないことぐらいはしってるはずだ。学校をはじめ責任者の無責任が事態をさらに悪くする。無責任な責任者には厳罰の処分をしなくてはとつくづくおもう。、

「妻は家庭を守る」に反対!ついに5割超す

2014年12月26日 | Weblog
「妻は家庭を守る」に反対!ついに5割超す

「夫は仕事、妻は家庭」との日本の伝統的な家庭観に対する「反対派」が、この質問が始まった
昭和54年以来、初めて5割を超えたことが29日、内閣府の「男女共同参画社会に関する世論調査」で分かった。

「(女性は)子供ができても職業を続ける方がよい」との回答も過去最高の43・4%。一方、「子供を持つ必要はない」「離婚容認」といった“当世風”とみられた考えにはいずれも「反対」が急増。離婚に関しては反対が賛成を上回る一面も見せた。
 
調査よると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか」との質問に「賛成」「どちらかといえば賛成」とした人は平成16年の前回調査から0・4ポイント減り、44・8%。「反対」「どちらかといえば反対」は逆に3・2ポイント増え、52・1%だった。

男女別では、男性は賛成50・7%、反対46・2%。女性は賛成39・9%、反対56・9%だった。
 また、「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」に、反対は8・1ポイント増の59・4%で、4・6ポイント減で36・8%の「賛成」との差を広げた。「相手に満足できないときは離婚すればよい」には、反対が7・4ポイント増の47・5%で賛成の46・5%を上回った。
内閣府は「夫や妻が、当事者同士だけではなく子供や家族を重視するようになっているのではないか」と話している。
 調査は、今年7~8月、全国の成人男女5000人を対象に実施した。回収率は62・4%。

幼子の心中を考えたことがあるのだろうか。当世風に反対
子供がいたら大きくするまでの世話が大変だが、その大変さが子育ての醍醐味で育てる。親もその課程で大きく人間的に育つのだ。だから人間的に大きく成長しようと思ったら、子供を持って育てることである。

親の価値観だろう

2014年12月25日 | Weblog
親の価値観だろう

ナッツリターンという言葉が用いられるようになった。思い上がった大韓航空の副社長の事件を的確に伝えている。
親である会長が謝罪会見で「国民の寛大なお許しを得たい」といった。この親にしてこの子ありで、親の態度にも問題があると思った。この台詞は自ら土下座をして謝罪した後に言うべきことである。頭を高くして、何が謝罪か。
こういう親のおごりを垣間見ると反発を感じる。一体今回の事件をどの程度まで深く考えているのか、疑問に思うからである。
日本には「実るほど頭を下げる稲穂かな」ということわざがある。
少なくとも世のリーダーたるものは、思い上がることなく人格で部下を引っ張っていってほしいものだ。肩書きを利用して物をいう不遜な態度を改めないと大韓航空はフラッグキャリアの座を他の航空会社に明け渡すことになるだろう。愛する大韓航空よ。今後はこんな間違いを二度と繰り返すことがないようにこころして、慢心の心を捨ててもらいたい。

原発再開

2014年12月24日 | Weblog
原発再開

再開を推進すると言う。そうすれば危険度が増す。これを安全新基準と言う名目を使って賭けに出る。原発密集地帯で、事故が発生して凶と出れば、まかり間違えば日本列島に住めなくなる。広範囲に汚染されて処理ができない場合は、そこに人は住めなくなる。
日本列島に人が住めないなんて歴史開闢以来のことである。こんな危険な賭けをしても良いものだろうか?

政治が目指す方向は卒原発が現実的であろう。年限を切ってその方向に向かって努力をして原発ゼロの社会を作りたいものだ。それでこそ福島事故が生きてくる。

出世

2014年12月23日 | Weblog
出世

出世すれば確かに良い待遇を受ける。そのために時として家庭をないがしろにすることがあり、家庭内のゴタゴタが絶えない。
人間は仕事をして家庭で心身ともに休憩を取るようになっている。家庭内で心身を安定を得ることができなかったら、いくら出世しても、一生涯と言う観点から見ると意味がない。企業や職場の状況によっては、家庭を顧みる余裕がないところもあるが、そんな場合家庭生活とどのように上手に調和をとって両立させるかが大切である。家族の協力を得て難所を切りぬける、そんな細やかな知恵が必要である。
出世の代償は金と社会的地位である。それを得るには競争社会であれば勝ち抜く必要がある。この競争で心身を歪めたり、壊したりしたら、それだけで敗退である。競争はほどほどで心身に過度の重圧がかからない状態で良いのでは?
そして究極には家庭を守ることの方が大切だ。と言うのは仕事は一代だが家庭は次の世代にも大きく影響するからである。

福島事故の追跡

2014年12月22日 | Weblog
福島事故の追跡

福島事故から3年余を経て、いろいろなことがわかってきた。NHKが追跡調査をしてわかったことは3月11日から四日間の追跡以降3号機爆発後 75パーセントの放射能の放出があったと言う。
シュミレーションによると放射能は日本政府が避難区域とした半径30kmをはるかに超えてまき散らされた。ベントによって最大の放射能が放出があったらしい。しかし新しいこういう事態はマニアルが用意されていなかったので手探りで、現場の判断で処理が進められていた。事故に対しては大半が想定外だったらしい。

心配したアメリカ軍は航空機をとばして測定したらしりが最初から、
最初から80kmの圏内を危険地帯として避難させた。
シュミレーションを見ると風向きによって千葉栃木群馬埼玉など関東地方の諸県はスポット的に放射能を浴びている。
東京浄水場も汚染されていた。東京の水は子供に飲ませられないからと言うので関西からペットボトルを買って送ったことがある。やはり汚染はデマではなかった。最後に番組は伝えている。いくら想定しても必ず想定外のことが起こる。メルトダウンを避けるために、注水したことが結果的に放射能を撒き散らす原因にもなったらしい。原子力の事故は人間の知恵の及ばない想定外を含んで いる。すなわち現段階ではコントロールできない存在だ。
放射能は目に見えなくて被爆しても、その時は何も感じないがジワリジワリと人体の健康を蝕む恐ろしいものである。

大事故は起こり得ないという神話が一人歩きして、事故によって電力が失われる予想は誰もしてなかった。電力がなかったからすべての装置が止まってしまい炉の冷却ができなくなると言う事は最初から抜けをしていた。所詮人間のやる事はこの程度のことである。
自民党は再稼働を進めている。世界で最も厳しい基準でと言う
が、その中身が政治家は分かっていない。だから慎重にならなければと思う。
大飯や高浜辺りで事故が起こったら関西は水源が被害を受けるから、壊滅的な打撃を受けるだろう。東京のほうがまだ安全だ。
日本のリーダーはもし事故があれば、日本の1部が住めなくなる事態が起こる危険性を甘く見ている。
経済界がなんと言おうとだめなものはだめと言うべきだ。

コストが安いと言う大嘘ついて恥ずかしくないのか。現在のコストの上に後処理費用がかかってくる。その費用がいくらなのかも算出できていない。どうして原子力が1番安いと言えるのか。

執行猶予付きの判決

2014年12月21日 | Weblog
執行猶予付きの判決


就寝中の息子の胸を刃物で刺し、命を奪った父に告げられたのは、執行猶予付きの判決だった。~約10年前、三男は都立高2年のとき、精神の障害と診断された。~仕事がうまくいかず、職を転々とした。「自分をコントロールできない」と本人も悩んでいた。昨年夏ごろから家族への言動が荒くなり、次第に暴力も始まった。~父親は、警察や病院、保健所にも相談を重ねた。~警察は措置入院に前向きではなかった。


「警察に突き出すことは、三男を犯罪者にしてしまうこと。その後の報復を考えると、それは出来ませんでした」

たしかに、報復は恐ろしいでしょうし、だれだって家族を犯罪者にはしたくありません。しかし、父親による息子殺害が唯一で最善の方法だったのでしょうか。

民事に介入できない警察を動かすためにも、心を鬼にして、息子を犯罪者にしても、被害届を出す選択肢はあったでしょう。息子を単に警察に捕まえさせるだけではなく、そこから何か新しい解決策が見えていたかもしれません。

父親は、病院、警察、福祉窓口など、複数の場所で相談していました。それなのに事件が起きてしまったことは、とても残念です。家族が恐怖を感じるほどの家庭内病力であれば、第三者の介入が必要です。恐怖に震えたままでは、家族は冷静な判断を失っています。

精神病、夫からの暴力、子どもへの虐待などに対する対策は様々始まっていますが、パーソナリティー障害などによる息子の家庭内暴力に関しては、対策が遅れています。世間の理解も、法律も、相談機関も、不十分です。

その中で、父親の息子殺しのような悲劇が起きています。

暴力からは逃げましょう。暴力を甘んじて受けたりしてはいけません。必要があれが、家から出て非難しましょう。少しでも動いてくれる医師や担当者や民間団体を見つけましょう。時には、心を鬼にしてでも、解決を考えましょう。家族だけで抱え込まず、誰かに話しましょう。

なりふりかまわず、大騒ぎに持ち込んでこの種の問題を解決の糸口にしたいものである。被害者には気の毒だが同情の余地はない。お父さんには十分すぎるほど同情する。いくら親子関係だといっても、これはひどすぎて救いようのない事件である。

地方創生

2014年12月20日 | Weblog
地方創生

アベノミクス以前から、都市と地方の経済格差ができていた。東京と地方の過疎を見れば一目瞭然である
そこで政府は地方の自立政策を積極的に応援して、地方再生の1方途と考えている。
地方再生と言うのは地域の人が地場にとどまって働けると言うことである。つまり働く場所があると言うこと。
そのためには産業を地方に分散されとることが必要だ。
大都市集中は災害時のことを考えると大きな問題がある。そこで一極集中している企業の地方分参加を図るのはどうだろうか
例えば東京在住の企業を地方に移転することだ。そのために国として、強制力を発揮することだ。例えば都市圏にある大企業には税金を高くして地方に移転したほうが企業にとって得だと実感させることである。
このように少々手荒な事でもしなくてはいくら地方再生を叫んでみても掛け声だけに終わり、実効性がない。


神仏の位置

2014年12月18日 | Weblog
神仏の位置

自分なりに生死を考えるとき、どうしても神仏にぶち当たる。だから神仏についてはある程度知識を持ちたいと、この類の本を読んできた。もちろん本を読んでも単なる知識を取得するだけ現実的にはいつも人間としての判断を下して生きている。
仏を実感できる人、神を実感できる人に時々出会うことがあるが、それはあくまで個人的体験として受け止めて、普遍性を持たせてはいない。

しかし考えるに宗教は時空を超えて超えて存在してきた。これは否定できない。やはり個人の問題として、神仏の存在を身近に置いておくべきだろうか。

人生

2014年12月16日 | Weblog


人生

生きていることがどんなに苦難に満ちたものであっても、または逆にどんなに歓喜に満ちていたものであったとしても、現実に我々はそれをどこまで享受しているであろうか。
若くしてこの世を去っても、人生と言うものの味を享受できたのであろうか。高齢者の場合はある程度人生の味わいが実感できるとは思うが、果たしてそれが真の人生だっただろうか。
人間は死を実感できないから、生の本当の味わいもできないのだろうか。そーゆー一般的なものではなく、人生は個人個人で味わうべきものなのだろうか。
生きてることがこんなにすばらしいと言われても、死んだこともない人間は比較のしようがないから、生きている素晴らしさなど分かる事はないだろう。真っ暗闇の人間社会に生まれ出て、各各は自分の手探りで生きていくというのが普通だろうが、それを味わうとなればまた別の角度考えなければいけないのだろう。



生きていることがどんなに苦難に満ちたものであっても、または逆にどんなに歓喜に満ちていたものであったとしても、現実に我々はそれをどこまで享受しているであろうか。
若くしてこの世を去っても、人生と言うものの味を享受できたのであろうか。高齢者の場合はある程度人生の味わいが実感できるとは思うが、果たしてそれが真の人生だっただろうか。
人間は死を実感できないから、生の本当の味わいもできないのだろうか。そーゆー一般的なものではなく、人生は個人個人で味わうべきものなのだろうか。
生きてることがこんなにすばらしいと言われても、死んだこともない人間は比較のしようがないから、生きている素晴らしさなど分かる事はないだろう。真っ暗闇の人間社会に生まれ出て、各各は自分の手探りで生きていくというのが普通だろうが、それを味わうとなればまた別の角度考えなければいけないのだろう。


自民圧勝の年末選挙

2014年12月15日 | Weblog
自民圧勝の年末選挙

年末のこの時期になぜ選挙を行わなければならないのか意味がよくわからない。持分の選挙権は大切だとは思うが、足が投票所へ向かわない。案の定投票率がうんと下がった。
多分同じ気持ちの人で投票へ行かなかったのだろう。
これでは有権者が政治家を選ぶと言うよりは政治家が有権者を選んだようなものだ。政治不信と言う他は無い。

日本の借金は1000兆を超えた。GDPの2倍である。こんな膨大な借金をどのように処理するのだろうか。そういうことについて政治はどこ吹く風である。
政治は政治家の数を競うゲームみたいなものだ。これが選挙の意味であろうか。
政治に対する冷めた目の冷笑ではないか。与党が半数を超えて何でも出来るような選挙結果である。しかし国民は手も足も出せない。口では謙虚だなどと言いながら党利党略を優先させてこの国をどこへ持っていこうとするのだろうか。私にとって今回の年末選挙はこういうものであった。白けるなぁ。