日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

日雇い派遣は)

2014年02月28日 | Weblog
 日雇い派遣は、

労働者と派遣元の契約が30日以内である短期の派遣のこと。
仕事があるときだけ派遣会社と雇用契約を結ぶ「登録型」の派遣です。
派遣元に常時雇用され、仕事の有無にかかわらず給料が支払われる「常用型」の派遣に比べると、不安定な雇用形態とされています。

 2008年、リーマンショック後の不況により、「派遣切り」「年越し派遣村」などが社会問題化しました。このとき「雇用を不安定にしている」として批判されたのが日雇い派遣でした。その後の「ワーキングプア(働く貧困層)」の増加もあり、労働者保護の観点から、2012年10月の労働者派遣法改正で原則禁止となりました。

日雇い派遣解禁は、働き方の選択肢が増える一方で、再び雇用の不安定化を助長しかねないとの懸念もある、、、、、以下略

僕の考えでは、こ難ししいことはさておいて、日本人であれば憲法にうたわれているとおり、最低限の生活は保障されねばならない。これを日々の生活に置き換えてみると、最低でも月10万円くらいのお金がなかったら生活が成り立たないのじゃないか。

時給800円で8時間働いて、6400円。(1日))
月に25日働くとして(土曜日も働くとして)16万円。
健康であれば何とかやっていける生活費だとは思うが、これから社会保険など諸経費を差し引くと手取りは12,3万円だ。シングルマザーだとすれすれの生活費である。
文字とおり生かさぬように、殺さぬようにの生活レベルである。

企業が大切なのはいうまでもないが、日雇いじゃなくて、正社員だったら、心の安定度が違う。どんな形にせよ派遣とか、日雇いというものは将来的にはなくしていかないと、
最低ラインから落ちこぼれている人間が出てくる。恒産なければ恒心なしで、日本人にはこの最低ラインは生活保護以外で、保障しなくてはと思う。
生活ぎりぎりのところから出発してものを考えなくては、最低ラインよりうえの生活をしている人がどんな理論を唱えても上滑りになってしまう。生活実感がないし、説得力がない。

真央の一刺し

2014年02月27日 | Weblog
真央の一刺し

森本元首相 「あの子は大事なときに必ず転ぶ 」

浅田真央「人間なので失敗するときもある。失敗したくてしているわけじゃない。」
「私は別になんとも思っていないですけど、森さんはいま、少し後悔しているのじゃないかと思います」

会場は爆笑に包まれた。みごとな蜂の一刺しである。

関ヶ原8-24

2014年02月26日 | Weblog
関ヶ原

僕が関ヶ原に住んだのは、生後1年位で、関ヶ原の記憶が全くない。
それでも僕は出生地を出身地にしているから、何の思い入れもない関ヶ原を出身地にしている。しかしこれは誤りで、1番長く住んだ大阪が本来の意味での出身地である。

関ヶ原は言わずとしれた天下分目の合戦が行われた戦場である。東西両軍合わせて約20万人が殺し合いをしたのだから、屍がゴロゴロしていたことは想像に難くない。
関ヶ原には古戦場の看板があり、首塚や胴塚がある。当時は名だたる武将の首を取って、それを見せればそれ相応の恩賞に預かることができたから、首塚や胴塚が出来るのも当然のことである。
合戦は1600年に行われたから、今から400年あまり昔の事だが、当時の日本の国情はまだそんな状態だったのだ。現代の日本から想像すると言う事は無理な話で、時代劇でどれほどリアルに描こうとも、再現は無理である。

私は間違いなく関ヶ原で生まれた。
両親はどのような新婚時代をここでおくっていたのであろうか。




>

そしてオリンピックは終わった

2014年02月25日 | Weblog
そしてオリンピックは終わった

どちらかといえばスポーツは苦手。あまりTVも観ないほうだが、その僕が夢中になって観た競技がある。注目したのは童顔の浅田真央選手。彼女で始まり彼女で終わったオリンピック。
とにもかくにも若干23歳で艱難辛苦を克服した彼女に祝福と敬意を表したい。

不幸にも演技の失敗から順位を落としたが、最後になって自己ベストを出して順位を上げたけど、メダルには届かなかった。
金メダルの道はバラの道でもあるが同時に茨の道でもあったのだ。 早く母親をなくし生活にも決して恵まれたわけではない 。
「私は同じ日本人なのに、どうして?」と彼女がつぶやくのを聞いたときに涙が出そうになった。彼女の私生活のことを知るに及んで、困難を克服していく彼女に、どれほど勇気をもらったことか。彼女に学ぶべきことは多かったか。やはりこうなくてはと彼女のがんばりに自分を同調させたかった。

彼女が見せた最後の演技にどれほど多くの人々が、彼女とともに涙したことか。メダルの王者ではなくオリンピックの王者になったといっても過言ではない。
繰りかえすが、スポーツ番組など見ない僕だが、浅田真央ちゃんの舞台だけは見た。

そしてオリンピックは平穏無事に閉会式を迎えた。オリンピックは終わった。テロがなくてよかった。

オリンピック大会

2014年02月24日 | Weblog
オリンピック大会

オリンピックはテクニックやパフォーマンスやスピードなどの背後に隠された必死の練習や、当日の調子などを見たり聞いたりして、感動したり、結果が及ばないと落胆したりする。
自分が期待した時点にまで達成されると思わず声を出して、「やったー」と叫ぶ。
その後の清々しい感じや爽やかさはスポーツならではとつくづく思う。

一部の心ない人たちは出場者に精神的な圧力を与えるような言動をするが、これこそスポーツマンシップから程遠く下卑たことだ。オリンピックそのものを穢して残念だ。彼らはオリンピックの楽しみ方がわからない、かわいそうな人たちだ。
オリンピックはメタルを数多く取ることが最終目標ではなく、その競技を演じるまでに至るエピソードなども大きな感動を呼ぶ。

表があれば裏もある。表であんな華麗な競技やスピードを競うその裏には、どれほどの努力が潜んでいることやら、想像に難くない。
日頃、のんきで怠惰に暮らしている自分は、選手たちの爪の中でも煎じて飲まなくてはならないと思う。
結果だけに注目するのではなくて、それに至るプロセスも大切である。
オリンピックは自分に打ち勝てと改めて教えてくれた。


がたん、ごとん8-25

2014年02月23日 | Weblog

がたん、ごとん

列車が走るとメールのつなぎ目と車輪でガタンゴトンと言う音が頻繁に起こる。
この音や感覚は子供の頃に身に付いたものであるが、近頃はロングレールに置き換えられたのだろうかガタンゴトンの音や間隔がものすごく長く感じられる。
九州から乗ってくると、山陽線に入り少なくなり、神戸あたりから米原ぐらいまではまるで1本のレールでつながっているかのように、列車はまるですべるかのようにレールの上を走っていく。それが新快速電車だ。

その昔ガタンゴトンの響きは眠気を誘ったものだ。列車が走ると揺れが起こり、それに
規則正しいガタンゴトンはほぼ正確にリズムを刻んで、いつの間にか眠りの世界に誘われる。この感触は何とも言えない法悦境だ。

しかしこの居眠りは、夜ベッドに体を横たえて6時間から8時間も寝るというわけでは無い。谷底に向かって一直線に、めざした居眠りは、谷底まで行くと、すぐ覚醒に向かって谷を登り始める。
その時間たるやほんの10分か20分ぐらいである。この時間は極楽の一瞬である。今頃は連続で何時間も列車に乗るチャンスはないが、乗り物に乗った時に訪れる眠気は体が覚えていて、少なくなったガタンゴトンでも、やはり気を緩め眠りを誘う。時々他人にもたれかかるようにして眠っている人がいるが、これはちょっと傍迷惑である。でも本人は極楽世界の住人である。





法定協議会が決裂

2014年02月22日 | Weblog
法定協議会が決裂

この前の衆議院選で公明党が候補を立てる関西6選挙区で維新が擁立を擁立を見送る代わりに、公明は都構想に協力する。そんな約束を交わした。この協力はどこまでの協力を意味するのかは後に争いになった。

あの時の情勢を考えると公明党は候補者を当選させるために必死であったから、この約束は中途半端なものではなかった。つまり都構想に完全に協力するという話だったはずだ。

公明党に裏切られた感じになった橋本氏は宗教の前に人の道があるはずと指摘したが、僕はその通りだと思う。つまり,あの時の恩義を忘れたり約束を破った結果を作ったのだ。いくら橋本人気が退潮であるとはいっても、えげつない裏切りである。
あの選挙で維新の候補擁立を見送ない限り公明は当選できなかったんだ。
愚にもつかない屁理屈をグダグダ並べているが、この点をつかれたら公明はどう言い訳するのだ。
少なくとも今のような言い訳は誰も説得はできないだろうし、信用しないだろう。公明は明らかに二枚舌を使った因幡の白兎である。

9-16ほんまにアホやな

2014年02月21日 | Weblog
ほんまにアホやな

NHK経営委員の発言問題に加えて,昨日は首相補佐官がまた変なことを言った。
1、会長が記者会見でj自論である従軍慰安婦について私見を述べた。
現状からすると従軍慰安婦問題発言を控えるべき時であるにもかかわらず
会長の記者会見の時に発言した。不適切極まりない。
会長としての記者会見なのだから、何もそこで問題発言をする必要がない。
一体何を考えてるんだ。

2、昨日は首相補佐官がアメリカについて反論した。自説を主張すればアメリカが納得して黙っているとでも思っているのか。靖国参拝やNHK会長発言でアメリカ側は相当神経を過敏にしている。この矢先の発言である。批判が起こると発言した動画を削除した。つまり発言を撤回したことになる。早速官房長官から言わずもがなのことを言うなと釘を刺された。常識からすると注意を受けるのは当たり前の話だ。そうでなくても外交が難しいこの時に。要するに自業自得の自殺行為をする阿呆だ。

3、防衛庁あがりの都知事選に出馬した男を推薦した作家。君は自分のほうがよほどおかしいと思わないのか。人間のクズ発言にはかなり大きな問題がある。その点がわからないというのは最低だ。
面白い小説を書く割には社会常識に欠けている男だ。要するに君はその程度の人間なんだ。時代の風がどちらに向いて吹いているのか、まるで読めていない。思いあがりか、ノータリンかそのどちらかだ。

4、どこかの大学の女性名誉教授、彼女はNHKの経営委員の1人である。
報道機関に対するテロ行為を行った人物を賛美して、また日本国憲法の趣旨を否定している。どうして今そういう発言をする必要があるのか。完全にTPOをわきまえていないアホだ。 こーゆー人物はNHKの経営委員になること自体が間違っているだ。

4人に共通していることは時代の風向き全く読めていないということである。
どれもこれも発言はTPOを考えないで、独りよがりの発言をしているところに問題がある。それに自己弁護をするからますますアホの度合いが深まっていく。
このレベルの見識しか持たない連中がNHKの中枢に居たり、内閣の中枢にいたりすることこそが問題である。

2014年02月20日 | Weblog


僕は非売品のレコードを持っている。恩師の山田耕筰先生の肉声モノローグの他に2曲収められている。1曲は有名な「からたちの花、」それにこれぞ先生の最高傑作の歌曲「バラの花に心を込めて」が収められている。
このレコードは先生ご自身の最後の指揮によって作られたそうな。

山田耕筰と言うと我々小中学生のころは、音楽室に行くと世界の有名な作曲家の写真と同じように、先生の写真を見ることができた。

僕はご縁があって山田先生の下で、2年間勉強させていただいた。作曲家だから音楽を習うと思うのが普通だが、そんなテクニック的な事はほとんど教わらなかった。
哲学や宗教の分野だと思うが、歌が依拠してきたるところ、すなわち人の心と歌の関係などをよく話された。
先生の教えによると、歌の原点は霊的なもので、魂の法悦境までその境地は引きあげられなくてはならない。すなわち歌作りの原点はそのあたりにあり、そーゆー事を心がけて作曲する必要があるというのである。

この次元の話になると、教科書的な話ではなく、哲学や宗教に関心を持っていないとついていけない話である。先生はご自身コントロールがきかない暴れ馬だと言われたが、それは言葉上ではなく経験以上の話である。
そんなシッチャカメッチャカに思える先生もお母さんについては特別なものを持っておられた。暴れ馬の故郷は母だったのである。それが証拠にわずか1分ほどのモノローグの中に母と言う言葉が4回も出てくる。先生の心が休まる故郷は先生を産み育てられたお母さんだったのである。
わずか1分間の話の中に4回も母を登場させると言うのは、単なる母への追慕だけでは無い。先生にとってお母さんは神様だったのだ。




>

SOS

2014年02月19日 | Weblog
SOS

もうだいぶ前の話だが、特急列車サンダーバード号の車内で強姦事件が起こった。
僕は車内でこういう事件が起こったことにショックを受けた。車内にはその女性だけではなく、多くの乗客がいたが暴漢に恐れをなして、犯人は捕まったものの、乗客が1様に冷静な傍観者になったのには、何か割り切れないものを感じた。だれもこの事件を食い止めることができなかったことに苛立ちを感じた。
正義感のある人は1人もいなかったのか。目の前で繰り広げられる犯罪に、誰1人として立ち向かうできなかったのか。この報道を知って僕はイライラした。
朝日新聞が社説でこの問題を取り上げた。論調は1人の正義漢もなかったのかという問いを投げかけていた。その通りである。しかし現場ではこの光景を前にして冷静な傍観者になって凍りついたのも理解できる。
自分なら我が身を捨ててこの犯罪に立ち向かうことができただろうか。
自問するに簡単に答えは出ない。
この事件が起きた直後に、僕はJRに抗議した。

警乗員もおらず、車掌や運転手に知らせる方法にがなければどうしようもない。乗客の身の安全を守らなければならないという義務や責任を放棄しているじゃないか。何とか早く対策を打て。怒気荒く吠えた。

今日久しぶりに列車に乗ったら、車両の端にSOSとボタンのありかを示す標識が目についた。そうだ。こーゆー装置をつけてこそ犯罪に対処ができるのだ。
何か悪いことが起こらないと、改善されないのが世の常だが、犯罪は未然に防ぎたいものだ。

トンネル

2014年02月18日 | Weblog
トンネル
>
東海道線には、京都出て鴨川の鉄橋を渡るとかなり長いトンネルがある。出て1分も走れば山科に着く。昭和20年代東海道線には汽車が走っていた。
当時は煤煙が入らないように窓を閉めることになっていた。夜汽車に乗って大阪から東京向かう時、夏は窓から風を取り入れるために、窓は開けっ放しにしていた。突然汽車はトンネルに入って、窓から細かな粒子を含んだ煤煙が入ってきた。
驚いて窓を閉めたが、煤煙は車内に広がったと思うと、あちらこちらの乗客が咳出した。煤が目に入ったのだろうか、目をこすっている人もいた。僕が窓を開けてしまったばかりに周囲の人々に大迷惑をかけてしまった。
自分の不始末で迷惑をかけたのに、当時誰1人として、僕が窓開けっ放しにしていたことを責める人はいなかった。もちろん怒鳴られることもなかった。
こえだかに苦情を言われないという事は自分にとってはこたえた。
今でもいつも山科トンネルを通るたびに、あの日の出来事を思い出しては、恥ずかしい思いをしている。
汽車から電車に変わった今、そういうことは起こりようがない。
>



>

近江路

2014年02月17日 | Weblog
近江路

東海道線に乗っていちばん退屈なのは、京都から米原に至る1時間の旅である。
とは言うものの、最近は電車のスピードが上がり、大阪や京都のベッドタウンとして駅周辺に大きなマンションや一戸建ての住宅や駐車場が立ち並び、昔見た田や畑などは所々に散見される程度になってしまった。
草津も守山も京都から30分以内で完全に通勤圏である。新快速の止まる駅の周辺は駐車場やマンションなどで埋まっている。
琵琶湖は見えないが対岸の比叡のお山は雪をかぶって、いただきは白く輝いている。
大阪から東海道線で米原に行く車窓風景は一変した。

日本は今が最盛期であり、あと30年もすれば人口減少に転じ、現在よりも2,000万人も減ることになると、この近江路風景はまた変わるのではなかろうか。
50年というスパンで見てみると、正しく街は生き物である。時代によって姿を変えるみたいだ。どう変わるかしれないが、あと50年も経てばこの近江路の風景も変わることは間違いない。

駅弁

2014年02月16日 | Weblog
駅弁

「弁当や弁当」懐かしい昭和の風景である。胸のあたりに、箱をぶら下げて、その中にいわゆる駅弁を10個ぐらい入れて歩きながら、声をかけて売っていた。
列車が駅に着くと(弁当や弁当)と声をかける。列車の窓を開けて乗客が金を払い弁当を受け取る。
時によったら列車が動き出し、弁当屋は走りながら弁当を渡していた。
姿を消した昭和のなつかしい1つの風景である。

当世は「ドアが閉まります。ご注意ください。」と言うアナウンスがあると、フエが鳴って同時にドアがビシヤリと閉まる。弁当屋が弁当を売る暇などない。

年々歳々、人同じからず。 と言うが、人も時代も刻々と移り変わっていく。
この先どうなるのか。そんなことは、なるようにしかならない。それ以上のことを思い続けると、頭が禿げる。

伊吹山

2014年02月15日 | Weblog

伊吹山

東海道線に乗って、米原から関ヶ原に向かって走ると、左手にひときわ高い山が見える。それが伊吹山である。登山する人も多いと聞くが、冬は雪ですっぽり覆われ山は真っ白である。
雪山登山は禁止されているのかどうか知らないが、冬の伊吹山は見るだけでも身震いがする。標高が高いだけに冠雪も凄い。

夏の登山は気持ち良さそうだ。それよりも雪解けの季節が来て、雪が消える頃には、草花が一挙に輝きだすだろう。長い冬に耐えて命を燃やす時、伊吹山は生命の息吹を、見るものに与えるだろう。
何千年、何百年、この風景は変わらないのであろうが、人の世は30年くらいを境にして世代交代が起こり次々に変わっていく。
伊吹山は自然の営みによって姿をそのままにして衣だけを変える。だから季節によってこの山は見る者に与えるものが違ってくる。
ついでだが、直近の登山口としては近江 長岡が良いのだろうか。それとも柏原が良いのだろうか、ふとそんなことを思った。




>

馴れは恐ろしい。

2014年02月14日 | Weblog
馴れは恐ろしい。

よく乗る地下鉄で公益社(葬儀社)の宣伝が放送されるようになった。はじめはなんと嫌な放送日と気も悪くしていたが、 1年経った今では特別何とも思わなくなった。慣れ親しんでしまったのだろう。

先日テレビで棺桶と死装束の展示会の様子が放映されていた。年配の女性がお棺に入るときの装束の色を白にするか、ピンクにするか、目を輝かしていた。
白く薄い布で作ったドレスはワンピースで、死んで何も分からない状態の時でさえも、せめて生前には好みの衣装を、という女心には、そこまで衣装にこだわりがあるのかと感心した。どうせ燃やしてしまうのだから、何でも良いと思うけど。
僕のこの感覚は特別なのかもしれない。

畳が腐り床が抜けている所でも、なんとか凌ぐことができれば、それで良いから。
またボロを着ることで40年生きてきたから。
死に装束などの選定等は想像もつかない。人はいろいろだ。