日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

祥月命日

2010年05月31日 | Weblog
祥月命日
 
  ある日子供からこんなメールが入った。

 「明日はおじいちゃんの祥月命日です。ちょうど亡くなった日が、1月10日の土曜日でした。私が小学校一年生の三学期のときでした。

まさに今、長女が小学校一年生の三学期の1月10日の土曜日を迎えます。偶然の一致か、不思議で不思議でなりません。。。
今、孫を持ってみて、どんな気持ちがしますか?
短すぎる、祖父と孫の時間だったと思いませんか?
おじいちゃんはどんな気持ちだったんだろう?と考えずにはおられません。

でも私には、時間は短くても、一緒に伊東温泉に行ったり、天王寺動物園へ行ったり、奈
良公園へ行ったり、小さいながらにはっきりと覚えている思い出がたくさんあります。

子供達はなんだかんだ言って、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。
一緒に過ごせる間に自分のためにも孫のためにも、たくさんの思い出を作ってくださ
い。明日、お寺さんは来なくても、私の分までしっかりとお参りしてくださいね。」
子供から来たこのメールには、ありがたや、ありがたやの連発になった。

大家族制は確かに崩壊したが、親子3代に亘る心の交流が有ることは非常に嬉しい。
人間としてこの世に生まれ、親子の関係が出来れば、たとへ核家族化しても心の交流だけは失いたくは無いものだ。

今の日本にかけているものは、親子関係の親密度が薄くなっていることだ。これでは世代間の交流がうすれ、親が生涯かけて獲得した生きる知恵の伝承なんか有りはしない。さばさばした人間関係がこの世にはばかると、ギスギスした社会しか産まれない。それは結果として犯罪を多発させる。
つまりコミュニテイの崩壊は治安の悪化を未然にふせぐ予防壁にならない。家族という社会の最小単位、それを体で言う細胞に例えるならば、なかば死んでいるという事に成りはしないか。細胞は活性化されて健康体が保てるように、核家族という現実には、縦にも横にも繋がるネットワークが必要だ。











































































此の恥ずかしい実体を見よ

2010年05月30日 | Weblog
此の恥ずかしい実体を見よ



1,停職:都が痴漢、盗撮で2職員処分 /東京
2,東近江市職員の盗撮:市主事、停職4カ月に /滋賀
3,千葉の盗撮:容疑のJR東運転士、起訴猶予処分に /千葉
4,懲戒処分:スカート内盗撮、男性教諭を停職6カ月 昨年、容疑で書類送検 /鹿児島
5,警察学校生、盗撮で逮捕=書店で女性狙う―千葉県警(時事通信) 5月29日21時27分
6,内科副部長、盗撮容疑で逮捕=専門学校生のスカート内―広島(時事通信) 5月23日18時40分

一体今の日本はどうなっているんだろう。あなたは上の記事を見て何を思う?
それもそれぞれに社会的に地位や立場がある人が多いじゃないか。
自分の欲望を自分の力でコントロール出来ないのか。模範となることが期待されているそんな人間が何という情けないことをするのだ。一言でいえば甘えの構造がこの国にはびこっているのだ。自由も大切だが、公衆道徳(ルール)守れない人間に対しては、ある種の厳しさが必要である。


恋衣2-24

2010年05月29日 | Weblog
恋衣

夏の終わりは、秋というよりは、初冬を連想させる。

真っ黒な雲が、かたまりになって、空を覆い、午後の一時すぎだと言うのに、まるで夕方のように暗くなっている。

北国の夏の終わりとはこんなものか。僕はもやもやと曇った心で空を見上げた。
北国の夏の終わりの頃は空は怒気をふくんでいる。

今朝は、堺の自宅を4時に出た。京都を通り越して、鯖街道を北上し、山川登美子のふるさと小浜に着いたのは、一時すぎだった。

小浜の町は、静かで、落ち着いた雰囲気の城下町である。おそらく、夏の始まりには、海水浴でにぎわったことであろうが、もうその時期も過ぎて、祭りのあとの寂しさが漂っていた。そんな感じを受けた町の素顔は他人を押しのけてしゃしゃりでる図々しさや、自己主張に乏しい古風で、女性的なたたずまいである。それは正しくひそやかな恋こそふさわしい街である。

山川登美子という人は、こういう雰囲気の中で、生まれ育ちつつしみ深いまわりの環境の中で、情熱を燃やし、歌作りに励んだ、女流歌人である。

人間は、いかに個性的であろうと、育った環境の影響を受ける。彼女もきっとこの小浜の雰囲気を身に浴びて、心の奥底には、たぎるような情熱を胸の底に秘めて、それを控えめに、歌作りに励んだのだろう。

山川登美子は、1879年小浜に生まれ、29歳の若さで、不幸な生涯を終えたと僕は思う。恋には敗れ、父が勧めた銀行員と結婚して2年に、夫とは死に別れ、更に不運にも夫の病が移って当時不治の病であった結核にかかり、この世を去った。恋愛といい、結婚生活と言い人生の重大な局面では、彼女は悲運の神にとりつかれたように、彼女の人生は彼女にとっては不幸、不幸の連続で人生を終えることになった。

歌人与謝野鉄幹に認められ、与謝野鉄幹をめぐっては堺出身の鳳晶子と激しい恋争いをした。自由奔放な気質の鳳晶子比べて、小浜の町の古風で、女性的なひそやかな恋心を燃やしていた。


しかし、父親が一方的に決めた当時のエリート銀行家との結婚話で、古風で、堅気な彼女は、封建的な家風に逆らうことなく、恋を断念する。与謝野鉄幹は、そんな古風な女性よりも、自由奔放な鳳晶子を選んだ。つまり、山川登美子は、この恋愛レースには敗れたのである。
登美子は、恋の敗北者である。だが、若い情熱を断ち切って、運命に従った女の悲鳴にも似たる恋の情炎の激しさは、鳳晶子の情熱に、決して劣るものではないと僕は思う、いや、そう願いたい。

晶子との恋争いには破れはしても、それで彼女の心の中が収まったわけではない。激しい恋愛感情とその情熱は心の底に沈んだまま、内に秘めた悲しい叫び、恋をあきらめ人並の命さえも授からなかった不幸な生涯の断腸の思いが、彼女の歌に限りないに力を与えている。
彼女の著書を調べ、現地へ赴いて、調べることによって僕は、彼女の不幸に対して、同情の涙を流さないわけにはいかなかった。
彼女自身の自分の不幸な運命に対する嘆きは、僕の心に直接に響いて、縁もゆかりもない彼女の運命に対して、彼女に変わって敵討をしたい衝動に駆られた。彼女の悲痛なこの思いを時の闇の中に、埋もれさせてたまるか。僕の心の中は、怒りのマグマが、あれくるっていた。

彼女の実家に、立ち寄ったけれども、まわりを一周しただけで、たちよる事無く、通りすがりで、家の中を覗き、家人がおられるのを横目に見て通り過ぎ、彼女について尋ねる事はしなかった。実情を詳しく調べるという思いの前に、僕自身が、彼女の心中をそっくりそのまま、僕の心の中に、取り込んだ。いや、彼女のその部分が、乗りうつったと言った方が適切かもしれない。そして足を小浜図書館に向けた。

図書館には、山川登美子に関するコーナーは設けられてはいるが書物は、ほんのわずかしかなかった。ここに来る前に彼女が、学んだとされる梅花女学校から、彼女の著書をコピーしてもらって、調べておいたから、あらかた彼女の事は判ってはいたが、それにしても、高名な歌人をもっと顕彰すべきではないか。何か物足りないものを感じた。人というものは恋の敗者にはたとえ同郷の人であっても、同情を寄せないものであろうか。

彼女のお墓は、発心寺に在ると聞いた。図書館から、小浜線の線路を渡った近くにお寺はあった。この地方ではかなりの名刹らしく、雲水が4,5人いて庭掃除をしていた。そのうちの一人に、登美子の墓のありかを訪ねた。正面に向かって、本堂の左側の方は、山になっている。
その山を切り開いたような形で、一帯は墓地になっている。
人一人が、通れるほどの細い坂道を登っていって、左の奥に山川家の墓があった。登美子の石塔は山川一族のお墓の隣に建てられていた。

僕は、合掌しながら心の中で、彼女に次の様に、語りかけた。
恋には破れるは、結婚して夫にはわずか2年で先立たれ、同じ病を移されてわずか29才でこの世を去ったあなたの人生に想いをいたすとき、僕は心から、同情申し上げる。そして、あなたの悔しい思いは、必ずや僕の手で、世間に知らしめたい。
歴史上には、歌人として名を残しながらも、表舞台からは、忘れ去られているあなたの存在と歌集を必ずや世に問うてみる。
歴史は常に勝者にスポットライトを当てるが、そのうらには、こんな悲しい人生もあったのだと言うことを知らせば、あなたが生きた真実も世間に理解されるに違いない。
それがどうしたのかと問われると、何とも答えようながないが、それでも同じような境遇にいる人に、あなたの存在が慰めになり、場合によっては勇気ツケになり希望を与えるかも知れない。あなたのように慎ましい古風な女性はこの世にごまんといる。事実を知ればきっと多くの女性が共感するのではないだろうか。

幸い僕は人の気持ちを表現する手段を持っている。僕は今自分が感じているこの思いを詞と曲に託し、いつか世に問うてみたい。せめてそれだけが今自分の出来る事である。
どういう縁が働いてこういう事に成ったのか、自分でもよく分からないが、今このときあなたを訪問しているのは紛れもない事実である。
帰宅すれば早速筆を取ろう。そしてあなたに代わって僕の思いを世に問うてみることにする。それがせめてもの本日こうしてあなたと対面したことの意味である。

恋衣

一、
赤い夕日に 身を染めて   
北を指して帰る鳥たち
白い翼に悲しみ乗せて    
お前達かえるのか
かなわぬ恋に 身を焼いて  
北を指して帰る私
つらいさだめを  一人逃れて
私は帰るのよ
ああー 貴方は今も  私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している


二、
今は幻の恋人であっても
離したくない 離れない
恋の戦に敗れても    
恋衣は破れない
例えこの身は 召されても  
私の恋は終わらない
あなた色に染まる 恋の炎は
激しくもえるのよ
ああー 貴方は今も 私のそばにいる
ああー 貴方は今も  私を愛している
誰よりも誰よりも  私を愛している

























ある限界

2010年05月28日 | Weblog
              ある限界


芸術作品は、作者において、すべてを表するとしても、受け手には、そのすべてが伝わるわけではない。

人は、各個性によって、生活経験によって万人万様に作品を受け止める。そして人は、己の内部に沈潜するもろもろの感情を作品を媒体にして、引き出し、自分の好みの感情にひたる。

ある人は、悲しみの音楽を聴いて、悲しみの感情にひたるのであって、喜怒哀楽そのまますべての感情に包まれるのではない。

そういう意味では芸術作品は一切を言いつくというのはオーバーな表現だ。



マッチ箱

2010年05月27日 | Weblog

マッチ箱


走る列車の窓から沿線の状況を見てみると、マッチ箱のような家が鈴なりになってつながっている。このマッチ箱を得るために日本人は己の生涯をこれに費やす。
人の一生のエネルギーはマイホーム(西洋人にいわせればウサギ小屋)につぎ込まれて終わる。それが現実であるが、庶民の本当の願いだろうか。
江戸・明治・大正・昭和と、時はなお流れたが、住宅事情が明治や大正と余り変わらないというのなら、政治が悪いとしかいいようがない。

というのはいつの時代も庶民は勤勉であり、投資の集団ではない。

にもかかわらず、この世に生れてきて、これだけしか残せない、というのはどこかがおかしい。

GNPが一位、二位だと誇らしげにいっている連中はこの現実をどう説明するのか。

参院選の立候補予定者

2010年05月26日 | Weblog
参院選の立候補予定者

民主党が、オリンピックのメダリストを擁立すれば、

自民党は、プロ野球選手や俳優を擁立する。

票を獲得するためには有名人を擁立すればよいと考えているのであろう

実にふざけた話である。片手間に政治をやられてたまるものか。

なぜ、地道に、地域の人材を増やして、候補者を公募をしないのか、

公開討論や予備選などを積み上げて、選ぶ基準とプロセスを透明にする。
そういう姿を見せてこそ政治家への信頼が、回復するのだ。

有名人だから票になるという安直な考えは、国民を愚弄している。

有権者は、必ずしも有名人を候補者にすることを望んでいない。

むしろ冷ややかな視線を投げかけているのである。このようなことが、なぜわからないのであろうか。
そのレベルの政治家が日本をリードしているということか。もしそうなら情けないの一言に尽きる。そしてそれはなんと国民を見下して舐めた話しか。

政治は三流といわれている。日本でその三流を担う候補者を有名人だからという理由で擁立するとは、いったい何を考えてるのかこれほど有権者を馬鹿にした話は無い。

政党は、志を持つ人間を時間をかけて人材養成し、または発掘して、政治家に値するような人材を国民の前に提示して、選挙に臨むことこそ、政党に求められているということを肝に銘じるべきである。

意味不明の言葉

2010年05月25日 | Weblog
意味不明の言葉

数字の1は万人が1だと、わかる。だから、1として解釈される。

つまり、誰にとっても1は1である。

人権とか自由と言うのは、解釈する人によって、それぞれ中身が違う。

それゆえに、人によって、言葉の中身が、大きく食い違うのは当然である。

そういう観点から眺めてみると、これらの言葉は、意味不明用語である。

自由があるとは、どういうことか。人権とは、どういうことなのか。

万人に共通する中身を定義しておかないと、これらの言葉は、意味不明

用語とならざるを得ない。

にもかかわらず、人の都合によって、自由や人権が、自分の都合のよいように解釈されて、議論されていることは全くナンセンスである。

例えば、人権を守るという範囲はどこまでのことだろうか。

どのような前提条件がつくのであろうか。この中身を極大に解釈することと

極小に、解釈するのとでは、天と地ほどの違いが生じる。議論はかみ合わないはずである

監察制度

2010年05月24日 | Weblog
事実 情況 
新潟県警は 9年2カ月女子、誘拐監禁 の犯人を、探し出すことができずにいただけでなく、発見、救出までの不手際を嘘で固めた。

警察庁の対応
この不手際に対して警察庁は、処分を行った。本部長が、10分の1、1カ月分
辞職したためにおとがめなし もちろん退職金が出る

国の対応
総理、   言語道断、あるまじきこと
官房長官 個人的には怒りがこみ上げてくるか公安委員会の決定を覆すことはできない
自民党の有力者 内部監察では何もできない。

庶民の意見
警察も公安委員会もこのレベルでは信じられない

私の意見
警察は責任感がなさすぎる
公安委員会はぼけているのではないか
何事も正義の感覚を持たないこんな連中に法による 正当性を任せるわけにはいかない。

今の日本は、たるみ切っている。 警察がこんな状態ては1体何をどう考えたらいいのか法律があっても、これでは意味がないじゃないか。
どうして、日本の国)まで、上から下までたるみきったのか。

未完成交響楽

2010年05月23日 | Weblog
未完成交響楽


「わが恋が、終わることのないがごとく、この曲が終わることなし」

1X2=2 2X2=4 から黒板に、2/4が生まれ、質屋の娘が投げてよこしたゲーテの詩「野バラ」が算数の授業の真っ最中に、黒板の上で作曲されていく。
作曲は、作曲家のハートによってなされるもので、楽器によってなされるものではないことの証明である。
、ピアノは、音の確認のために補助的に使われるものであって、ピアノによって作曲されたというのは、本末転倒の話である。

私にも、教壇に立って、授業をしている真っ最中にメロデイーが湧いてきて、あわてて胸のポケットに忍ばせてある5線紙に書きとめた経験がある。

神は、洋の東西を問わず、特定の人に、時間空間を超越して、メロディーをお与えになる。
そこで私は神にお願いしたい。シューベルトに与えたもうた美しいメロディーを私にも与えたまえ。と、




奈ー良の大仏っつあん

2010年05月22日 | Weblog
奈ー良の大仏っつあん


クリーム色の横長の紙に、墨で縦書きにされた。4行詩がどうして私の手元にあったのか。
今もって分からない。
それはともかくとして、目に飛び込んできた奈良東大寺長老、清水公照師作の「奈ー良の大仏っつあんー、心象五景をひと目見たとき、これはいける、ものになる、と直感した。
案の定、いつもの調子ですらすらと出来上がった。詩の中にリズムがあり、テンポがある。

 猊下と尊称される天下の東大寺の大僧正という厳しい肩書とは裏腹に、なんとユーモラスな詩なんだろう。師の絵が、墨跡が、エッセイが引っ張りだこになる秘密がここにあるのだろう。まさに師そのものがそこに浮かび出ている。

おおらかさ。春風駘蕩ののびやかさ 、童心 なじみやすさ 、庶民性、それでいて博識で、威厳があり、人を引きつける。
「奈ー良の大仏っつあん」は 「奈良の大仏さん」ではなくて「 ナーラのだいぶっつあん」 である。

日本全国民から、特に関西人から敬愛を受けるこの大仏さんは 「だいぶっつあん」 で親しまれ。「」大仏さん」ではかたぐるしい。
ナーラとなると、童べ唄を連想し、子供のイメージが強く、浮かび上がるが、子供一色ではなくて、
「寂の影踏み肉(しし)盛り返す」という難句もあるところを見ると、やはり大人の童謡というべきだろう。




共生は難しい

2010年05月21日 | Weblog
共生は難しい

同じ人間のなかでもは、とりわけ女性のなかでさえも、生理的に全然受け付けない人がいる。生理面だけではなくて、価値観や、思想や宗教や人生観など全くあり受け入れることのできない人間がいる。

こういう人たちと話をしていると、話がかみ合わないだけでなく、砂をかむような思いが残る。いやな気分に包まれるだけでなく、自分の内なる抒情性も失うことになる

好き嫌いは顔やスタイルだけではない。人間性そのもので、あわない人は徹底的に受け入れることができない。

そういう人たちと共生するということは、不可能に近いわけだが、でも共生しなければ生きていけないという現実がある。

共生ということは簡単だが、いざそれを実行してという段になると途端に難しくなる。人間はすべてこういう問題を解決しながら生きているのだ。

では人間と下等な動植物との間の共生はどうか。爬虫類とりわけ蛇と共生するというのは、考えただけでもぞっとする。蛇ワニやトカゲをペットにする人がいるが、私には到底こういうことはできない。

だから言葉の上の共生はあり得でも、自分の受け入れがたいものとの共生は実行不可能のように私には思える。たとえそれが皆命をもったものであったとしても。
のぞましいとするところの共生とはこういう困難を含んでいる。

風邪

2010年05月20日 | Weblog
風邪

今年の冬は事のほか寒かった。風邪をひくまいと冬の間、自宅に引きこもっていたが、とうとう風邪を引いてしまった。、

熱が38度5分まで出た。体の節々が痛いし、だるいしとてもやりきれない。医者に行って薬を貰ってきたので大部楽にはなったが、まだ正常には戻っていないから、とても出歩く気にはなれない。

こんな風邪はここ数年経験したことがない。完全に風邪に負けている

そう言えばここ1週間ほどはよく眠れなかった。夜中に目が覚めたり、5時過ぎに目が覚めたりして、どうもからのコンデションが良くない。そんな風にして体力が消耗している中で、風邪の菌が忍び込んで体を犯していく早さはまるで台風並だった。

喉が痛いなーと思ったら、1晩たたないうちに、もう胸まで侵入。咳はでるは、体の節々は痛むはで、風邪に追いまくられた。風邪を撃退する抗体は手も足も出ないような形だった。
この冬は意識して気をつけたつもりであるが、かかるときはかかるのだろう。気をつけたからといって、病気は防げるものではない。やはり御身大切の心がけを忘れないでこの冬を乗り切ろう。

三四郎池にて

2010年05月19日 | Weblog
三四郎池にて

構内バス通りを、一歩校内に入ると別世界の静けさがある。
これが日本の最高といわれる東京大学か。現在は少し様子が違うけど、明治以来、西洋の学問を急速に取り入れた中心的存在だ。

その構内にある三四郎池の縁に座り込んで考えた。

自然科学でも人文科学でも基礎的な部分、基礎理論はほとんど外国から学んでそれを応用発展させたものである.。.
実用化あるいは応用化、商品化する際には日本人は才能を発揮する。.
1+1=2ということも何故こういうことが成り立つのか、いえるのかということについては日本人は考えようとはしない。ところがこれを無批判に受け入れて1+1=2だから
1+2=3になるというところから出発してその一つ前段階を考えることはしない。
だから応用動作に優れても基礎的なことはお粗末だ。こういうことが遠因になって現在の行動パターンや価値観が形成されている。

例えば現代日本人の生き方やものの考え方の根底にしっかりした人生観や価値観作り上げること。と同時に僕は生きる根元的なところに空白が生じているから根無し草のように流れ流されてただふわふわと生きている。これではいけないと反省した。

だからヨーロッパのようにしっかりと地に足がついた生活ができないのではないか。政治を見ているとそう思う。と思いを広げた。

町並みの作り方や生活様式などの根底には人間の望ましい基本が隠れている。

通天閣

2010年05月18日 | Weblog
通天閣

 都会のど真ん中に、キリンみたいに高くそびえる鉄塔がある。

大阪人はそれを、通天閣と呼ぶ。

ただ、背丈があるというだけなのに。大阪、特にミナミの人は、これに夢を託す。
それは、下町の希望の象徴であり、フアイトをかき立ててくれるものである。
さらに

空に灯がつく、通天閣に、俺の闘志がまた燃える。

とは歌の文句だが、それがナニワの住人の根性を、かきたてるのだから不思議だ。底辺を這いずり回っているさなかにも、やがて時節到来すればと、闘志を燃やしている人が幾人もいる。

それが通天閣を心のよりどころとして、フアイトを燃やすのだ。ナニワ名物、通天閣
は摩訶不思議な代物だ。

霊界通信だろうか

2010年05月17日 | Weblog
霊界通信だろうか

今から思いなおしてみると、20代前半の私には今以上に霊界通信があった。

霊界と言っても、神のお告げ的な通信ではなく、ものを考えたり調べたりする際のヒントみたいなものである。

それは主として人生論とか、哲学とか、宗教とか、芸術などに関するものが多かった。
ひらめきが一瞬頭をよぎって、遥か彼方へ去っていく。

当時は、それを一つも捕まえて記憶しておかなかったから、今は手元には何も残っていない。ごく最近になって、きらめくものをメモするようになった。

今から考えてみると、頭脳の鋭敏さが、今より優れていたのであろうか。つまり、受信機の感度が良かったのか。それとも通信量が多かったのか。

今思えば勿体ないことをしたものだ。