祥月命日
ある日子供からこんなメールが入った。
「明日はおじいちゃんの祥月命日です。ちょうど亡くなった日が、1月10日の土曜日でした。私が小学校一年生の三学期のときでした。
まさに今、長女が小学校一年生の三学期の1月10日の土曜日を迎えます。偶然の一致か、不思議で不思議でなりません。。。
今、孫を持ってみて、どんな気持ちがしますか?
短すぎる、祖父と孫の時間だったと思いませんか?
おじいちゃんはどんな気持ちだったんだろう?と考えずにはおられません。
でも私には、時間は短くても、一緒に伊東温泉に行ったり、天王寺動物園へ行ったり、奈
良公園へ行ったり、小さいながらにはっきりと覚えている思い出がたくさんあります。
子供達はなんだかんだ言って、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。
一緒に過ごせる間に自分のためにも孫のためにも、たくさんの思い出を作ってくださ
い。明日、お寺さんは来なくても、私の分までしっかりとお参りしてくださいね。」
子供から来たこのメールには、ありがたや、ありがたやの連発になった。
大家族制は確かに崩壊したが、親子3代に亘る心の交流が有ることは非常に嬉しい。
人間としてこの世に生まれ、親子の関係が出来れば、たとへ核家族化しても心の交流だけは失いたくは無いものだ。
今の日本にかけているものは、親子関係の親密度が薄くなっていることだ。これでは世代間の交流がうすれ、親が生涯かけて獲得した生きる知恵の伝承なんか有りはしない。さばさばした人間関係がこの世にはばかると、ギスギスした社会しか産まれない。それは結果として犯罪を多発させる。
つまりコミュニテイの崩壊は治安の悪化を未然にふせぐ予防壁にならない。家族という社会の最小単位、それを体で言う細胞に例えるならば、なかば死んでいるという事に成りはしないか。細胞は活性化されて健康体が保てるように、核家族という現実には、縦にも横にも繋がるネットワークが必要だ。
ある日子供からこんなメールが入った。
「明日はおじいちゃんの祥月命日です。ちょうど亡くなった日が、1月10日の土曜日でした。私が小学校一年生の三学期のときでした。
まさに今、長女が小学校一年生の三学期の1月10日の土曜日を迎えます。偶然の一致か、不思議で不思議でなりません。。。
今、孫を持ってみて、どんな気持ちがしますか?
短すぎる、祖父と孫の時間だったと思いませんか?
おじいちゃんはどんな気持ちだったんだろう?と考えずにはおられません。
でも私には、時間は短くても、一緒に伊東温泉に行ったり、天王寺動物園へ行ったり、奈
良公園へ行ったり、小さいながらにはっきりと覚えている思い出がたくさんあります。
子供達はなんだかんだ言って、おじいちゃんとおばあちゃんが大好きです。
一緒に過ごせる間に自分のためにも孫のためにも、たくさんの思い出を作ってくださ
い。明日、お寺さんは来なくても、私の分までしっかりとお参りしてくださいね。」
子供から来たこのメールには、ありがたや、ありがたやの連発になった。
大家族制は確かに崩壊したが、親子3代に亘る心の交流が有ることは非常に嬉しい。
人間としてこの世に生まれ、親子の関係が出来れば、たとへ核家族化しても心の交流だけは失いたくは無いものだ。
今の日本にかけているものは、親子関係の親密度が薄くなっていることだ。これでは世代間の交流がうすれ、親が生涯かけて獲得した生きる知恵の伝承なんか有りはしない。さばさばした人間関係がこの世にはばかると、ギスギスした社会しか産まれない。それは結果として犯罪を多発させる。
つまりコミュニテイの崩壊は治安の悪化を未然にふせぐ予防壁にならない。家族という社会の最小単位、それを体で言う細胞に例えるならば、なかば死んでいるという事に成りはしないか。細胞は活性化されて健康体が保てるように、核家族という現実には、縦にも横にも繋がるネットワークが必要だ。