日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

人を食った話

2010年10月31日 | Weblog
人を食った話

「 吉田総理。いつもお元気で、血色も良いようで。」
「ははあ。おれはいつも人を喰ってるから、元気もいいわさ」
人を喰うという言葉は、日常会話で、よく耳にするフレーズだが、今から会いに行くシーウイという男は本当に人間を食べたということである。

その犯罪者が、樹脂で固められて死体のまま、展示されているところがあるのだ。
バンコクのチャオプラヤ河のエキスプレス、ボートの船着場プロンノックを降りて、正面の道路を300メーターほどまっすぐに歩くと、大学構内に入る幅の広い道路があり、ここは車も通る。
その道を構内に入り、ほぼ突き当たりに近いところまで行くと、右手に大きな建物がある。
構内は病院と大学があると思ったが、それはきっと東大医学部と東大病院の関係ではあるまいが。どちらが主体かは、はっきりしない。

その構内には、僕が今から尋ねようとする博物館の案内が、日本字で書かれてはいるが、博物館とだけしか書いてないので、何の博物館か見当がつかない。
日本だったらたぶん、外科標本展示室とか、犯罪加害者ならびに被害者の標本展示室と書くだろう。それでもまだ日本人には親切な方である
タイ人にはどんな案内板があるのだろうか。
けれども、そこに行くと、タイ人が大勢来ていたところをみると、僕は、タイ人の案内板を見落としていたのかもしれない。

犯罪博物館には、タイ人の間でも人気があるらしい。
「ミュージアムはどこですか。」つたない英語で構内で、3カ所ほど道案内を乞うた。それでやっとこさ、目的地へ到達した。

ここ3日はずっと曇りと、パラパラ天気で、出歩く気がしなくて、自室で本を読んだり、書き物をしたりして過ごした。
久しぶりに、今日は朝から晴れたので、見残した部分というよりは、探しても分からなく、面倒くさくなって途中で引き上げた、犯罪博物館に再度でかけたのであった。

広い構内に近代的な大きなビルが、なん棟も建っている。
患者さんやその家族、看護婦さんや構内で働く職員に医学書を小脇に抱えている学生など随分見かけた。

案内を乞うと、皆親切に教えてはくれるが、博物館は、どうも幾つもあるらしく、日本流に言えば、この道をまっすぐに手突き当たりを左に曲がればすぐです。という案内をタイ語に、英語を混ぜて案内してくれるからさっぱりわからない。

聞いても聞かなくても、結果は同じなら聞かないでもいいやと思って、それらしい雰囲気のところを探して、うろうろした。

30分ほど迷っただろうが、行く手に、駅が見え、そこは操車場をらしく、客車が1杯あった。そこまで行ったらちょっと薄暗い感じのするところが、
ある。この辺りだ。直感が働いた。
人々はかいがいしく働いているが、作業の様子からみて、ランドリーに見えた。このあたりに違いないと言う予感がした。、
最後の詰めだと思って「、ミュージアム」 と道行く人に聞いたら、あっちだ、と言わんばかりに指さした。
また違ったのか、迷いに迷って歩くのも疲れた。

やれやれ引き返そうと思って歩き出した。すると博物館と、書かれた。矢印の看板が、壁にかかっていた。
やっとたどり着いたと思って、入口を見ると、それは先日尋ねた外科標本展示館だった。何だ、せっかく来たのに。疲れがどっと出た。

気を取り直して職員と思われる人に、「シーウイ。ミュージアム?」
と言ったら、この先を突き当たりまで行って、右に曲がり、まっすぐ行ったら、左手に、構内のショッピングセンターが見える。それを通り越してまっすぐ行ったら、突き当たり近くの右手の建物の2階が、ミュージアムだ。と丁寧に地図を書いて教えてくれた。
説明は英語であるが、通じたのは、ところどころで、最初から最後まで、意味が通じたわけではなかった。
言葉は通じなくても、現在から目指す博物館までの、道順は先ほど通ったばかりだから、ほぼ理解できる。犯罪博物館というより、ここではシー・ウイ博物館の方が、名が通っているのだろうか。


1階のドアを開けて、室内に入ると、空気がよどんでいる感じがした。
空気も室内もすべてが灰色や白色のモノトーンで、彩られているようである。
扉を開いて、内側に入るなり、気分はセピア色になった。
2階の階段にのぼろうとしたとき、このミュージアムの開館が月曜から金曜で、時間は、朝9時から4時までと表示されているのが目についた。


階段はくの字になっていて登っていくと、2階には展示室がある。2階に到着した途端、気分は、けだるい灰色一色の濃さを増した。
窓から外を見た。先ほどまだ晴れていたのに、ここから見ると、外の色はまるで雨が降りそうな、ドンヨリ重苦しい灰色である。
さてはそういう仕掛けがしてやって、窓もそれなりのものを使っているのか、僕は何か仕掛けがしてやるように疑ってみた。しかし何の仕掛けもなかった。そう見えたのは、自分の思いこみが、激し過ぎただけだった。
そしてこのことは後になって、落ち着いて考えてみると、よくわかった。

階段を登り切った左手に有名人になったシー・ウイの実物標本があった。
ほかに三体、どれも凶悪犯で、強姦殺人で処刑された男の標本だ。
標本はすべて立像で、三体が並べてあり、その後すなわち窓に近い方に、一体と、殺傷された人が着ていたであろう血のりの着いた衣服も、そのままに標本として展示されていた。

「シー・ウイ」と書いてあって、名前が分かるのは、彼だけだった。外は名前の表示はなく、レイプマーダーと英語で書かれていたから、凶悪な強姦殺人犯だと見て取れた。
それが2体、頑丈な体躯の持ち主だった。

ここでシー・ウイについて少し書いてみよう。
生前の写真が、実物の横に貼ってあり、背後には説明がついていた。残念ながら英文はないから、なんのことやらさっぱりわからない。
知識としては、ぼくのうろ覚えである。それによると、目のまえの男は1950年から、数年間に渡って子供を誘拐し、殺し、不老長寿の妙薬と信じて内臓を食べたというのである。
それがなんと5人もの子供を喰ったというのである。へどを吐きそうになる話だ。
常識という、あるいは倫理観。常識という普通の人の持つ頭の回路の線が、どこかで間違って変な所に、つながり、身の毛も目立つような誘拐をして子供を殺すという犯罪を犯し、さらにそれを料理してくった。となっては、天人ともに生かしておけないやつた。それも一人ではなくて、5人も、ということになれば、殺された子どもたちや、親のためにも地獄の責め苦を、未来永劫に負わなければ、赦すことができない。

僕はシー・ウイのために、
「お前は何という出来損ないの人間だ。犯した罪を自覚すれば、己の手で己の首をしめて殺す。罪を罪として思わないのなら、逃げかくれすることは無い。自らの行為を天下に公表したらいいじゃないか。お前には明らかに犯罪を犯したという意識がある。お前が警察に捕まって法の裁きを受けたということは、お前は己の罪を自覚していながら逃げまわった挙げ句、捕まって処刑され、俺の目の前にいる。
両眼とも、抜かれて、それに、ろうでもはめ込まれている点だけが不気味だ。
お前は小柄で、俺によく似た体つきが、身長は165センチ、体重は50kg前後のどちらかといえば、小柄な男だ。生前の写真を見ても、さるには似てると思うが、そんな凶悪な大人には見えない。もし、お前が大人の男をやったとしたら、お前は逆に殺される立場になったことだろう。
小男で、体力に自信がなかったから、子供ばかり狙ったんじゃないか。お前の写真を見ているとそう思う。ついでながら、お前の生涯が映画になったというじゃないか。ぜひ見てみたいものだ。
人を殺すということだけでも恐ろしいのに、その内臓を喰うのは、もうクレイジーとしか言いようが無いし、鬼の所業である。俺は絶対におまえの行った残虐な犯罪を赦すことはしない。
世間には心の広い人や、修行によって心を磨いた人が居る。さらに、神仏に使える人々もいる。彼らはいうだろう。
人間は間違いを起こすとか、ふと魔が差したのだろうとか、
罪人を救うのがこれらの天職だとか、
それは色々な考え方や思想や理解の仕方、懲罰の形状の求め方から、あることは100も承知だが、しかし何があろうとも俺は許さん。一切の同情はしない。
お前のような凶悪犯はこのようにしないと社会正義を実現できない。社会正義の無い社会は闇だ。平凡で善良な市民を闇から、守るためには、最低限必要な事項として、お前のような凶悪犯を再びこの世に出現させてはならないのだ。そのための見せしめとしても、お前ような凶悪犯はさらしものにしなくてはならんのだ。
俺は輪廻転生を信じる。が、お前は死後の世界でも、次に生まれ変わる世界でも、すでに地獄しか行くところがない。それはひとえにお前の責任だ。己が罪そのもので誰の責任でもない。それよりもおまえに殺されて喰われた子供は、赤鬼青鬼となり、四六時中お前を苦しめ、その子供達の両親はさらに怒りに燃えさかる炎となって毎日お前の魂を責め、さいなむ。毎日毎日身を切り刻まれる苦しみを味わわされていることだろう。その苦しみはお前が子供に与えた苦しみであり、親たちに与えた苦しみなのだ。それが今写し鑑となって、いまお前に跳ね返っているだけだ。因果応報当然の話だ。己のしたことがどれほど人を苦しめたことか、その苦しみが、己が跳ね返って、どれほどのものか分かるだろう。
重ねていうが俺は同情のかけらもお前には寄せないし、しない。
情け容赦をしない。社会正義のために、常に被害者の立場に立つ。殺されて、食べられた子供と、愛しい子供たちを喰われた
親の復讐の怒りの炎の代弁をする。悪魔のような奴には徹底的に戦いを挑み、木っ端みじんに、打ち砕かないと腹の虫がおさまらない。お前にしてみれば、日本人がタイに来て余計なお世話だ思うかもしれないが俺だって人の親だ。可愛い子供が殺されたとしたら、どんな悲嘆の地獄に落ちるか。ましてや喰われたとなったら半狂乱だ。そうなったら完全に復讐の鬼だ。鬼になりきる。お前をどんなことをしても探し出して凄惨なリンチを食わせてやる。処刑、せいぜい30分の苦しみで、あの世行き、そんな短時間の苦しみで、あの世にいかれてたまるもんか。

罪のない子供が親の苦しみのツケは、しっかり払わせないと、あの世行きは許さない。たとえ法律の禁を犯しても、どんな代償を支払っても、この命さえかけても、子供の恨み、親の恨み、言葉を絶する嘆きを必ずはらして見せる。まじめに平凡に暮らしている良き市民が、一旦腹に据えかねて怒ったときに、感情は暴発する。この恐さは、、世界共通というより、人類共通のものだ。人間であれば、日本人、タイ人の区別は無い。一見関係ない日本人のように見えるが、天に代わって不義を打つ精神は、人類共通だ。




本来なら俺と異次元の世界にいるお前のことだ。赦すも赦さんもあるものか。ほっておくよ。しかし、人間の悪行をいろいろ調べてみたが、個人で犯した犯罪で、最悪なのは、お前を除いてほかは知らない。お前が人間として最低だ。そう言う例を一つ聞かせよう。
これは日本であった話した。


太平洋戦争に敗れた日本の社会混乱期の出来事が、当時は砂糖がなくてさ。サッカリンとか、ズルチンが、甘味料としてヤミ取引が盛んに行われていた。
父と肺病を病んだ娘の二人が、ある日、忽然と姿を消した。隣近所が騒ぎ出して警察が動き出した。犯人はそのヤミ取引をしていた父の相方の男女二人組の仕業だった。ヤミ取引が成立して、現金の受け渡しが行われた瞬間を狙って、女が取引相手の男の首を絞めて殺した。もちろん、相棒の男も、その女に手を貸した。共同正犯、それから結核で病に伏せっていた娘も殺した。そこまではヤミ取引が横行したり、時代のことで、戦争の混乱で、割に驚きはしな。ところが事件が、そこから先の進展ぶりに世間の人々は、はっと息を呑んだのである。

その女は殺した娘の尻の肉を食べたというのである。食べ方はすき焼き風にしていたらしい、食べた感想といえば、桜いろの肉で淡泊だったとか、そして死体の残りは夜になって畳をあげて床下に隠したという。世間はこの猟奇事件を固唾をのんで見守った。以後、詳報は、なかったらしい、あまりにも、うす気味が悪く、後味の悪い、この事件にはきっと進駐軍からストップがかかったのだろう。なにせこれが昭和23年の時の話だ。大人の新聞をまだ読めない頃の話だ。この話は怖い話として、母親が子供に語ってくれた話だ。まず、大筋において、間違いはないだろう。もちろん、この鬼女は、二人を殺した罪で死刑になったことだろうが、言論検閲で、その後のことは、計画的な殺人ではなく、父を殺したからついでに娘も、という成り行きの偶発的要素があったりしたが、お前の場合は最初から、子供を誘拐して、殺しその内蔵を不老長寿の妙薬として、己の不良長寿という、とんでもない間違った実験をするために食べるという、どの方面から見ても、神も人も許せない犯罪を犯している。
お前にどんな言い訳があろうと、やったことはすべて帳消しにして、なおさらに大きな罪の跡が残る。
神はいざ知らず、人間、平凡な市民として、絶対に見逃せないものだ。

じつは、このミュージアムの訪問については2の足を踏んだ。たとえ死体とは言え、お前を目の前にすれば、これが怒り狂うことは自分が1番よく知っている。久しぶりに怒り心頭に発するのも旅の経験だと割り切って、今日ここまでやって来た。予想通り、案の定、怒り心頭に発した。爆発した。しかし、今は冷静さを取り戻した。安らかな気分で日本に帰れる。
僕は以上烈火のごとくお前をののしった。しかし今はむなしさだけが残っている。人間の現実って悲しいことが多いよね。

ついでに強姦殺人犯の2体について書いておこう。親からもらった五体満足の壮健な体を、なんという恥知らずなことをしでかして、いまその醜態を俺の目の前で、標本になって晒しているのか馬鹿者。
お前が生まれたときに、男子誕生で、両親や家族が、どれほど喜んだか。
だれもが処刑を望むような極悪大罪をおかして、天下にその罪を恥さらして、いったい何を考えて殺人まで犯して、その醜い様を残して両親を始め、関係者一族にどうわびるつもりなのか。
強姦だけならまだしも、その被害者も、殺したとなると、それは、人間のやることではなく、まさに畜生の世界の出来事である。お前は、社会的制裁として、社会正義のもとに処刑されて、ここにさらしものとなって、今俺の目の前にあるが、この展示標本にされてしまうことこそ善良な市民の大多数が望むことだということをシッカリして知っておくがいい。」

ありがとう

2010年10月31日 | Weblog
歩き遍路であれ、車遍路であれ,、遍路をされた人人の体験談を読んでみると、必ずと言って良い程,御礼とか感謝とかいう言葉が出てくる.
普通の観光旅とは違ってこれは物見遊山気分ではできない旅である

ある人は1200kmを歩き通し,またある人は、例えマイカーで巡拝するにしても、山門や本堂の軒下で野宿をするようなきつい旅行をしている人たちが多い.
その人たちが御礼とか、感謝とかいう言葉を口にするのだから、我々が日常会話で使っている言葉の意味とは少し違うように思う。

普通の観光旅行と違ってかなり厳しい条件の旅をしつつも、どうして御礼とか感謝という言葉が出るのであろうか。.普通の常識からいうとそこに何か違和感がある。
しかし私が違和感を抱こうと、そういう遍路をされている人は心の底から
気持ちを込めて、それらの言葉を口にされるから、それは真実の言葉なのである.。
四国88カ所遍路して回る旅は、ひとつには自然とのふれあいであり、
また四国の人々の暖かい人情に触れることでもある

それによって、普段は心のそこに閉じこめられでしまって、心のそこで眠ってしまっている感謝という言葉や気持ちを思いだしたりして、人間本来の素直な気持ちになることから、こういう言葉が出てくるのであろう。
いずれの年からか、私もまた菅笠や2白装束の遍路姿にあこがれを抱きバイク遍路を始めるようになった。
確かに肉体的には楽な旅ではないが、精神的には今まで経験したことがないような、すがすがしいさを感じる。
もちろんお大師さまには心を寄せて、同行二人という安心はあるものの
、初めての遍路の旅ということもあって、心細い感じもし。

私が四国遍路を思いたった理由のひとつに、先祖供養ということがある。
今は亡き父母や、父方や母方の祖父母の菩提を弔うために、写経をしてそれを本堂と大師堂に納経するために、遍路したいのである
簡単なことではあるが、写経100枚はそれなりに我慢のいることであった。100枚目が終わったときに、私はまずありがとうという言葉が口から出た。さあ出来た。やれやれ。これでいけるという前に、ありがとうが出たのだ。何故だかわからないが、ごく自然に腹の底から出た言葉であった。
ひょっとしたら お遍路さんは今の私のような状態でごく自然に御礼の言葉が出たり、感謝の言葉が出たりするのではなかろうか。
意図していう言葉ではない。自然に口をついて出る言葉である。

もちろん遍路には、人それぞれの目標がある。それが成就されたとき
には、感謝の気持ちが湧いてきて当然だ。
そして目的成就を考えてみると、そこには同行二人、つまりいつもお大師さまが側にいて、付き添ってくださり、そのおかげで、満願成就したという実感もある。

理由はなんであれ物欲に振り回され、いつも飢餓状態に置かれている現代人が幸せのもとである感謝の気持ちを取り戻した、あるいは自覚したというのなら、現代人にとって遍路することこそ、幸せへの近道ではないかそんなことも考える。

さて私は8月末の天候にはいらいらしている。あんなに暑かった日照りの続いた今年の夏は、はや衰えて秋雨前線が2、3日おきに雨を降らせている。バイクで走るには、雨の日は都合が悪い。雨で写経がぬれて字がにじんでしまうことも考えられるし、なによりも道が滑って危ない。
そこで私は天気の日を選んで巡ろうと思っている。

それにしても、長いあいだ忘れかけていた感謝の心を教えて、とりもどさせてくれた四国遍路には感謝したい気持ちでいっぱいである。

お大師様ありがとう。四国遍路ありがとう。









うたかた

2010年10月30日 | Weblog
うたかた

パット浮かんでは サット消え去る うたかたよ

そなたは 一体  どこからやってきて どこへ行くのか

遠い遠い遙か宇宙のかなたから やってきて 頭の中を通り過ぎていく



時という川の流れに 流されて うたかたよ

かつは結び  かつは消え去る うたかた

お前を捕まえて この本の中に閉じこめてやる

ここがお前の 本当の 居場所なんだ


観音様と不動さまの会話

2010年10月29日 | Weblog

観音様と不動さまの会話

清水寺の東側にある、坂の石段をだらだらと下がると、今日も音羽の滝が千年の水音をたてています。
例年なら、膨らむ桜のつぼみも、今年は、寒かったせいでしょうか、まだ膨らみを見せておりません。が、しかし、今朝などは、春をしのばせる暖かさで、観音様も、上着を1枚を脱ぎになって、そしていつものように朝の散歩を楽しんでおられます。

去年12月5日より、山門は閉められて、人の足音は、ばったりと途絶え、静かではあるが、何か物足りない思いを胸に、観音様は、音羽の滝のほうへ歩いてお行きになりました。

不動明王は、と見るとコンガラ、セイタカ両童子を両脇に従えて、いつものように利剣とサンゾウをもち、零れ落ちる、音羽の滝の水を目の前にしながら京の街をじっとにらみつけておられます。
じっとして、岩のように動かない音羽の不動明王を見つけられた観音様は、一瞬、立ち止まって、お考えになりました。

去年の暮れから、山門が閉じられ、良くも悪くも、観音様をお慕いしてやって来る人々が、誰一人として姿を見せなくなってしまったからです。
一体どうなるのだろう。観音様は、古都税問題をとても気になさり、拝観停止になることに心を痛めて、おいでだったのです。

観音様は、きっと不動明王も同じお気持ちだろうと考えになり、朝の散歩がてらに音羽の滝に足を向けられたのでした。
「お不動さんや。えらいことになりおしたなあ。」
「ほんまに、ほんまに、なあ。観音はん。もう何日に、なりますねん。あのなあ。何でも去年で、暮れごろからと違いますか。わしらに、つかえてくれる弟子たちが何やら古都保存協力税ちゅうもんに反対や言うて、門をしめよりましたやろ。こんなことされたら、わしらは、庫裏放り込まれたも同然や。
そりゃ厨子の扉をぴしゃりと、閉められたのとは違うけど、お参りにくる善男善女の顔を見てこそ、陽のあたる場所にいる気がするが、春先の良い時候やと言うのに、人の足音がせん。
お滝の水を受けて、行をする信者の姿が見えないと言うのは、何か、せいない感じがしませんか。観音はん」
お不動さんもやはり観音様と同じことを思っておいでだったのです。

事の起こりの発端は、京都市が、税収の一環として、古都保存協力税というものを参拝者から徴収しようとして、拝観券の中に税金分を上乗せして、寺に税金を集めてもらおうように、しようと計画したが、拝観は宗教行事の1つで、課税対象とはなり得ないという、寺の主張と真っ向から対立して、両者とも譲らず、紛争のままくすぶり続けて、3年半の年月が流れたのです。

こういう種類の税金問題は、ずっと以前にもあったそうで、京都市と寺がかなりもめた経緯があり、時の市長がこういう種類の税金は、今回限り、と約束し、寺院側も折れて、実施した経緯を持ち、一度やけどをした。
京都市も、寺も、本来ならば、避けて通りたかったに違いないのです。が、そこは人間社会のこと寺院だけ優遇せずに、税金を負担してもらうのは筋じゃないか。しかも税金は寺の収入から取るというのではなくて、参拝者に、古都保存するための金の一部を負担してもらうと、徴税者の京都市が言うのも、庶民感情として納得できるような気もしますし、反対に、寺側が、本来人間の宗教心にまで税をかけると言うのは許せない。と主張するのもうなずける気がいたします。
いつの世でも、いつの場合でも、人それぞれの立場があって言うことも違うのか、仕方がないにしても、早く解決しないと、どちらにとっても不利なことになり、時間をかけてじっくり考えて、という性質のものではないので、余計に、じりじりしますな」
観音様は、慈悲深いお顔に、苦悩に満ちた色をうかべながら、じっと不動明王の説明に耳を傾けて、おられました。

ひと呼吸置いて、観音様は、流れ落ちる滝の音をジッと眺めながら、大きく、ため息を一つついた格好で、もう少し待とう。と決意なさいました。
と言うのは、根本的なところでは、寺院側と、京都市側では真っ向から対立して譲る気配は無い。というよりも、世論に押されてか、あるいは、寺の事情でということか、開門をするところもぼつぼつ出始めているのです。寺側という同じ立場にたっても、その寺その寺にはいろいろな事情があり従って言うこともまちまちである。
しかし紛争を続けると、いずれの側にも支障が生じる。表面上だからにらみ合いは続いてはいるか、いつかはお互いに落としどころを見つけて
何とかなるのではないか。
今回のことでどちらに軍配があがろうとも、それはそれで良い。
観音様はそのような見通しを持っておられるから、心配顔はなさるが、心中はさほど深刻ではありません。

お不動様もにたような考えをお持ちだから、お二人は腹の中は似たようなものであり、会話こそ心配話になるが、内心では楽観しておられます。
何時の世でも、誰か一方が主張すれば、利害が相反する片方が反対ののろしを上げる。そして両者が各各の主張にこだわれば、問題はこじれるばかりである。そこの所はうまく落としどころで見つけてそれを腹に収めて
利害対立を表面化させない、と言うのが何というのでしょうか、大人の知恵と言うものでしょう。
微妙な問題には正面切って対立を深めない知恵が必要だということを、両者に教えようと考えておられるのです。
さて今回の尖閣諸島問題ではお二人だったどのようなご意見をお持ちなのか、伺ってみたいものです。


お犬様 

2010年10月28日 | Weblog
  お犬様    

乳母車には犬が乗っている。 乳母車を老人が押している。てっきり孫を乗せて押しているのだろうとのぞいたら、
中には気持ちよさそうな顔をしたに犬がねそべっている。
瞬間人間と犬のどちらが大事なのだろうかと首をかしげた。

今は不景気で、ホームレスの人間が居るというのに。お犬様か。 犬公方の時代じゃあるまいに。  なんか腹が立ってきた。

確かに人間相手は煩わしい。犬は文句は言わないし、人になついてくるとかわいらしい。
そういうことがあろうとも、犬が乳母車に乗ると社会はおかしくはないか。

勿論これは例外的なことではある。それにしても犬が乳母車に乗る時代とは何かがおかしい。それとも何時の時代でもこういう事があるのだろうか。もしそうだとすれば自分がおかしいのか。僕は自分ではまっすぐに物事を見ているつもりだが。

タイ娼館という本を読んでいたら著者の富岡さんは次のように書いている

現在の境遇を悲観せず、過去に執着しないで、未来を悩むことなく今日を生きている。
サヌック(快いこと楽しいこと)が大切だ。

この章句にふれて、お犬様なんて関係ないなとつくづく慨嘆した。

NHK騒動

2010年10月27日 | Weblog
NHK騒動


大部昔の話である。もう時効だから書いても良かろう。
ハチ公
「何?赤城山も今宵だと、。しゃらくさい。
国定忠治親分が聞いたら、俺の面に泥を塗りやがって、。
おめえは人の風上にも置けないやろうだ。」

クマ「オイオイ。ハチ。何をぶつくさいってるんだい。」

ハチ公
「こんな野郎は、とっとときえうせるがいい。クマ聞いてくれるかい。
NHKのエライさんらしいが、その部分職を辞するにあたって,取材記者から心境を聞かれると、「赤城の山も、今宵限り,」,とタンカを切ったものだ。だから記者たちも国民も大部分もそれは当然のことだ。と思った。ところが夜が明けると、顧問として、残るという話じゃねーか。
クマ公俺は唖然としたぜ:。開いた口がふさがらないとはこのことだ。」

クマ
「ほー。これは又面白いやつが入るもんだ。時たま、こんなのが出る方が面白くて良いじゃないか。」

ハチ
「じゃかましい!!!!!。何がおもしろいのだ。世間の常識を持ち合わせていないヤツがトップで、俺達は番組を見る。見ない。にかかわらず見料をとらわれるんだぜ。ふざけるんじゃね。俺はこれから払わんからな。
クマ
 こらこらハチ。てめえ一人で怒こったって、しようがないじゃないか。
いったいこれはどういうことなんか。先生の日記を覗いてみようじゃないか。正義派を唯一の誇りとしている先生のことだ。お前が騒ぐ位ならきっ日記の上に、何かを論じているだろう。」


二人は先生の書斎のふすまをそー?っと、開けた。
先生は、ヨダレをたらしながら、お昼寝中である。
そういえば昨夜はコーヒーを飲みすぎて、寝付かれなかったと朝飯の時に、細君に、ぼやいていたから、不足分をペンを握りながら補っているのだろう。
先生の日記を除いた二人は顔を見合わせた。
案の定原稿用紙にびっしりと書いてある。赤字で、書いてあるところもあるが、これはきっとキーワードか、最も良い主張したいことなのだろう。
先生も今回の辞任劇を自分の正義感を振りかざして、気にしているのだろう。
二人は、問わず語らず、そう思った。

先生の日記を読む。
NHK会長として権力の座についていた。彼は、なぜ辞任するはめになったのか、よく、理解できていない。
権力のトップに登りつめて、周りはおそらく、イエスマンもばかりに囲まれて、実質は裸の王様になっていることに気がついていない。
民間企業の厳しく、冷たい風に、さらされていない役所でのうのうと過ごしてきたもんだから、世間常識が、分かっていない、
すなわち己に向いて、吹いている逆風を甘く見ている。言い方を変えれば、世間をなめているのである。
彼に向かって吹く逆風の原因がなになのか。よくものごとをつかめていない。

国民の心の内には、受信料を払うものの、払わないですむものなら、そうしたい。よしんば払うにしても、安い方が良い。と思っている。それに加えて、少数派ではあるが、不払いを決め込んでいる人々もいる。これは不公平である。受信料で持って運営している公共放送が、支払いたくない人間は、支払わなくて済み、と言うのは、公平の原則に反する。なんとしても、受信料は、全員支払うこと。これは建前だけではなくて、実際にそうなっていなければ不公平である。国民は、このことも知っていて、不公平感に対して、快く思っていない。
こういう国民の思いの基盤の上に、不正な事件が起こった。さらに
国会に出て、この不始末を説明する段階で、国民には知らせないように、テレビ中継をしなかった。そのほかにも、原因はあるが。

こういうもろもろの思いが、国民の間で、募って、トップある。NHK会長に、責任を取るように、迫ったのである。
ところが彼はそれを払い退けるようにして、今年度は、続けることが彼の責任であるような言い方をし、そうすることが責任を取ると、いうことを言った。

1日も早く責任を取って、やめるべきという国民の思いとは大きな隔たりである。ところが、彼も馬鹿ではない。彼に対するこの大きな風当たりやうねりは、何かすることによって、かわせると踏んだのだろう。
そこで彼が考えたのは、会長の座は降りるが、引き続き顧問として残る。という方針である。
この方針に対しては、国民は猛烈に反対した。そして、顧問でも、辞退しなければならないような所まで追いつめられて、彼は、公職から退いた。バカみたいな一連の騒動である。

ハチ
もう忘れかけているが腹の虫の収まりどころが非常に悪い。
クマ
こんなことばかり考えていると、頭がはげるぞ。人生とはこういうものなんだ。面白いこともあれば、ばかげていることもあるよ。もう幕を引くよ
チャンチャン。

楽しく読みました。

2010年10月26日 | Weblog

拝復
楽しく読みました。
今日手書き新聞拝見。あなたは随分旅なれているなという感じ。取材はもっとしたんでしょ。
コース、印象記、食べ物 出会い 見物先 宿、 車中 後は食べ物1、2、3、4.という構成ですね

僕が行ったときも電脳,補習は盛んだったが相変わらずですね。台湾はもう全土が都会みたいですね。高雄では丘に上って全市一望されましたか。あれが一番印象にあり、その次が円山飯店の建物かな。

台北の故宮博物館は意味がわからなかった。書、絵画、陶芸、民芸品などにはまったく関心が無いので、素通り。4階?で休んでいたときに聞こえた胡弓のメロデイが美しかった。

万華街にあるロンサンスー龍山寺ー辺りの雰囲気は良かった。特に西華街の生きた蛇の皮をむいて、細切れにして大きな鍋で煮ていたのは、気持ち悪かったが印象深かった。

僕は東南アジアに行くとまず病気のことを考えて食べ物も制限してしまう。
フルーツは特別好きで食べたいのだが、安全を確認するまでは手が出ない。細菌性下痢、 食当たり、食中毒などで床にふした人をたくさん知っているけど、皆さん良くやるなと感心はするが自分は出来ない。次回もピュア(飲み水を消毒する薬)を持っていきます。

さてタイの件だが
1、水上マーケットほどつまらないものはないというのが僕の実感です。朝5時に起きて見に行ったが(このときはツアーだった)船をこいで行くと観光化した物売り船が近づいてきて商売をはじめる。振り払って進むと川の左岸に大きな土産物屋があってここで船を下ろされて、そこにはいる。何か買わされるが、それが市内の店で買うよりも高い。たとえばスカーフはジムトンプソンよりも高い値段がついているあとでこのことを知って腹が立った苦い思い出がある。このことを話したら行った人は同じような怒りを感じていた。もう二度といくものか僕はニホンジンノートにそう書いておいた。商売のドツボに掘り込まれてしまうだけで盛り上がることはないと思います。あなたが希望だったらもちろんご自由ですが。

2、バンコクだけでは勿体無いのでアユタヤ、出来ればスコータイまで足を伸ばすのもいいですね。
僕は初めてです。行って見ませんか。あなたの親友のメーチャンのところまでは行けないのと違いますか。多分時間が無いと思います。その他現地で臨機応変に対応しましょう。 

お礼に僕の作品送ります。聞いてみてください。竜馬がいく 司馬遼太郎がお好きなようだから彼の作詞による歌 花供養(僕が勝手に名前をつけた)です。

これはすごく質の高い作品です。 三千世界とか仏三千とかの世界です。司馬さんのつかんだ世界をどれだけうまく曲で表現するか。
それが僕の腕前ですこの曲は条件反応的に出来て僕も驚いた作品です。

2、飛鳥路は大和ののどかさを作詞作曲したものです。女性二部で美しいメロデイです。
聖徳太子賛歌は1150年祭記念作品です。煩悩賛歌。これを歌っているのは宝塚スターです。演歌も作るのですよ でもどちらかといえば。叙情歌曲が得意です
3、エッセイは何篇か入れておきます

一人旅をしても、何年かあとにこういう話が出来るのは旅の余徳です。僕は一人旅を続けながら何時も、以上のようなことを考えつつ、それを創作に生かしています。
それではまた。次はどこを廻りますか。僕はインドで見残したクシナガラとルンビニ、サンチーとカジュラホへ行ってみたいと思っています。 でわでわ。

2010年10月25日 | Weblog


風の誘いに身を任せ、私は今旅の中。

青春の輝きを身に浴びて。若い日は二度と来ない

あの美しいふるさとは、君のふるさと。君はふるさとだ

自然と両親の愛に恵まれて。

あの美し自然は君そのものだ



クレージー

2010年10月24日 | Weblog
クレージー


還暦を迎えると価値観も変わるのだろうか。今の私の価値観からすると金儲けに血道を上げるなんてナンセンス。だが金儲けに奔走しているご仁を見るとクレージで哀れさは感じる。
金の力に物を言わせて好き放題する人はそれはそれで楽しいのであろうが、人間性まで無くして金の亡者になるのは醜い。

人生観にもよるが、今更金を追い回して一体どうなるのか。油断していると金のもつ力に追い回されて身の破滅を導くことになる。金は両刃の刃で使い用によっては毒にも薬にもなる。

夢、幻の人生で、位階勲等何するものぞ。地球の命に比べれば1瞬の瞬きにも及ばない。それを追い求めて人生を費やす愚かしさ。賢人はそんなもの求めはしない。

僕もそう思いたいし、その真似をしてみたい。

ボーイフレンド7-56

2010年10月23日 | Weblog
ボーイフレンド

縁はいなものと、よく言われるが、まさににその通りだということを、昨日実感した。 ふとしたご縁で齢90歳のおかたにご縁をいただいた。
人生の先輩だといってしまえば、あまりにも素っ気ない。気持ち的には兄貴といいたいが、何しろ22歳も年上のお方はには、それだけ人生の重みがある。あだやおろそかで、おつきあい願えるお方ではない。

今仮にそのお方のことをA氏と呼んでおこう。
今日も氏のお宅を訪問した。氏は400年以上も続いた旧家のご亭主である。
世が世なら、とてもお近づきなど許されない、大旦那である。
氏からお借りした写真集には、ご自宅を空から撮った航空写真があるが、それを見て、その旧家ぶりを実感した次第である。おそらくお屋敷の広さは2000坪ほどあるのではあるまいか。

団地住まいの僕には、途方もない広さのお屋敷だ。サラリーマンのマイホームは5,60坪が精々で100坪は大きい方。地元の地主や金持ちのお屋敷でも5,600坪といえばびっくりするような小生の感覚からすると、1町歩近いお屋敷なんて想像を遙かに超えている。屋敷の中には、ドバトやふくろうや、イタチなど鳥や獣が住みついているそうな。さもあらんだ。

戦前は確かに村だったろうが、開発が進んで大阪の都心までは電車で20分もの乗れば行ける。車の発達や、住宅開発の波は、当然この地域にも及んでるから、その影響を免れるわけにはいかないことだろう。

実は氏は遠い先祖から数えて13代目のご当主である。400年も大庄屋を続けることは至難の業だと思うので、どういう先祖さんが出て、どういう家訓があって、代々に伝えた人生の生き方を守って、浮き沈みの多いこの世を、今日まで時代の波をの乗り切って、昔の状態を維持されているのか非常に興味があった。
そしてある日、氏から見せてもらった随筆のなかに、私は次のような章句を見つけ出した。それは氏の父親のかかれた家訓、すなわち人生の生き方の経験的な知恵なのである。
3ほれ主義というのがそれである。
1,与えられた仕事に惚れよ、2,家庭に惚れよ 3,女房にほれよ。
これらがそうである。この3句を見るなり、私と妻はうなった。
この人にして、この家ありとつくづく思った。さすがだと思った。

確かにこの三つを文字通り実行すれば、時代の波を乗り切って、お家は安泰であり、自壊することはなかろう。私の考えでは、この3惚れ主義は金剛不壊の鉄則に思えたからである。
だいたい特別な家をのぞい、長者3代続かずというのが世間相場だ。それで普通である。凡人は大抵そうだ。

そして太平記の冒頭の文章を持ち出すまでもなく、人間社会の浮沈は世の常である。13代に亘って大家を維持できるほうが、この世の常識に反することなのかもしれないとも思う。

遭難ヨット「たか」号7-55

2010年10月22日 | Weblog
遭難ヨット「たか」号
の生存者佐野三治さんの手記を読んで手記を新潮45 。7月9月号に発表)

チリの落盤事故から三十三人が無事に生還したことは僕の心を明るくした。それにつけても思い出すのは、「タカ」号の遭難で27日目にしてたった一人生還した事故のことである。

当時のことを彼の手記から抜き書きすると、
グアム、レース。4日目の夜、風速20から25メートル波の高さ3、4メートルの荒海の中で、変則的に起こる異常な大波を後からかぶり、転覆。漂流するライフラフトの中で、アクリル製下着が生死分けたを分けた。保温が良かったのである。

仲間は14日目に飛来した海上自衛隊機に発見されずに次々と死んでいった。
初めて知り合った短い付き合い一生涯の仲間への鎮魂の気持ちを込めて見送ったが、最後の一人になって、いよいよ次は俺の番と思ったが、楽になるための自殺は考えなかった。

そして彼は続けて言う。
「日々の生活の中で思っていたけど、自然の前ではもっと謙虚にならねばと思います」
27日間死と向かい合って生還し、やはり人生は素晴らしいと思う。
ほぼ死に近い境界辺をさまよった人が出した、人生にタイする見方の1つである。僕が彼だとしたら、どういう事を考えて思っただろうか。そういう間近に迫る死との対面ではなから、ここでどんなことを想像しようと、迫力に欠けるし、第一今まさに死に直面しているわけでもないから、何を思っても単なる思いつきで、切迫感感がない。

たった一人生還して仲間の死を見送った彼は、
「あの世にに行くときに持っていけるのは、思い出だけ。これからも楽しい思い出をたくさん作ります」と言うが、人生とは思いで作りで生きているのなら、より多くの楽しい思い出を作ることが大切だと思う。

だが本当にあの世に行くときに思い出だけは持って行けるのだろうか。必ずしもそうだとは思わないが、そうでも思わないと何のための人生なのか、考え込んでしまう。
何事によらず死と直面し、生還した人の口から出る普段使う言葉は、キーワードとして胸に問題意識を投げかける。自分なりにもう一度人生をかみしめてみたいし、自分なりの答えを出してみたい。















知能は1つの要素

2010年10月21日 | Weblog
知能は1つの要素

知能には、よい仕事を得るための手段となるなどのプラス面と、別の生活スタイルがあることに気付いてしまう、より大きな業績を求めてあがくなどのマイナス面があり、どちらも幸福感に影響を与えるが、専門家の1人は、知能以外の多くの要因が幸せかどうかに大きく影響し、知能は単に小さな要素の一つにすぎないと述べている。

結局、歳をとったときの幸福感に影響するのは生活の質(QOL)で、例えば寝たきりで歩き回ることできなければ、それが決定的要因になる。
お金で幸せを買えないことは誰もが知るところだが、知能でも幸せは保証されないことを示す研究が、英国医師会誌「BMJ」7月16日号に掲載された。

知能を鍛えてそれによって最終学歴がどうなるか、それまでが重視されて、
丸で最終学歴が人生の幸せであるかの錯覚を与える。指摘されているように幸せの条件の1つにはなり得るが、それが即幸せだと考えるのは間違っている。雑多な能力を持ち合わせて生きる人間社会とは、そう簡単なものではない。またそれでよいのだ。

解脱

2010年10月20日 | Weblog
解脱

解脱とは輪廻転生の輪から外れて常住極楽にいると言うことらしい。

そもそも、我々がこの世に現れたのは、輪廻転生するためである。
何が目的かというと、この世にいるときにどれだけ魂を磨いて生きているかということである。

この世が魂を磨く場であるとすれば、人生が気楽なものだとはとても思えない。
この世で苦しみ、もがきながら、それによって魂を磨き魂のレベルを少しでもあげて、天上界に帰っていくというのが、人生なのだろう。

しかし、インド、バラナシにおける葬送の儀式は、この場所で荼毘に付し骨灰をガンジス河に流すと、苦しみのある人生に生まれ変わることなく、天上界すなわち常住極楽の世界に行くことができるとヒンズー教では信じられているから、このガンジス川河畔における、荼毘の火が消えることは無いのだろう。

バラナシの薄暗い小路を突然楽隊がラッパを鳴らしながら賑やかに行進してきた。
何事かと思ったら、楽隊の後に竹で作られた担架に金糸銀糸を使った彩錦で覆われた、死体が担がれて目の前を通った。その後にはおそらく、遺族と思われる年配者が10人ばかりゾロゾロついて歩いていた。

日本の葬式では見かけない鳴り物入りの葬式に僕は驚いた。
元来、葬式とは、個人との悲しい別れで、その雰囲気は哀愁きわまりない雰囲気が普通一般である。

故人が特別な葬式をするのは別にして、庶民の葬式は肉親が中心で、大往生である場合でも、悲しみに満ちあふれている。

愛別離苦とは仏教用語であるが、その意味するところは愛しい人とは必ず別れなければならないという真理であり、それをどのように受け止めるかによって悲しみも違ってくる。

祝い事じゃあるまいし、楽団は不要だと思ったが、ひょっとすると
天国へ行くためのお祝いの儀式じゃあるまいかと思い直した。
僕は輪廻転生を信じないわけではないが、かといって、死んだ後に閻魔さんのさばきも受けないままに、骨灰をガンジス川に流すだけで一直線に天国行きが保証されるとも思わない。所変われば品変わると言うが、何か不自然なものを感じた。

最近日本でも電子オルガンで生前故人が愛唱した歌などを静かに演奏することがあるが、それは違和感なく受け入れることが出来る。これがトランペットだったらやはり、故人を偲び最後のお別れをする場にはふさわしくないと思う。

ところで、ヒンズー教がそうであるように、一直線に天国行きが保証されるのなら、いや堅くそう信じるならば、やはりお祝いのラッパはふさわしいものだろう。とはいえ最後の別れの場面では、おそらく感情がついて行けないだろう。そう思った。



バブルかバルブか

2010年10月19日 | Weblog
バブルかバルブか

クマ  バルブとかで日本経済はめちゃくちゃになったらしいよ

ハチ バルブじゃない。バブルというんだ。

クマ  何でも金を大量に市中にながした。つまり栓をゆるめたから
金が世にあふれて株や不動産の買いあさりが生じて土地建物がものすごい値上がりをした。ということだろう。だから金のたれ流れのパイプをしめる
つまりバルブを回してしめる。そういう事じゃないのかい。

ハチ うーん。なるほど。お前はそう解釈してバルブと呼んでいるのかい。しかし世間ではお前の理屈と違ってバブルつまり泡のような経済状態で何時かかならすはじける泡という事に似ているからバブルというんだよ

クマ それも理屈だね。世の中には俺のように思っている連中が沢山いるはずだからバルブでも通用するよ。

死刑執行自動マシン

2010年10月18日 | Weblog
死刑執行自動マシン


鳩山法務大臣が死刑の実施の仕方に、大臣の意志がはいらない自動的に執行を受ける者の順番をきめるシステムを考えてはどうかという、提案は完全に誤解されて、殺人鬼よばわれされたことがある。しかしよく考えてみると、人権侵害や生命の尊厳を害するものではないと僕は考える。いろいろな見方があるから難しい問題ではあるが、死刑は実施されなければならない現状から眺めてみると、到底殺人鬼には当たらない。凶悪犯罪者とはいえ、死刑執行書にサインしなくてはならない法務大臣の苦悩がよく表れているとさえ思う。

死刑制度がある限り法務大臣は職務の1つとして 死刑執行書にサインをして粛々と死刑を行うのが法治国家だと理解している。
法務大臣個人の主義主張によって、法律の執行がゆがめられるのであれば 、一番厳格厳正さが要求される法律をないがしろにされていると言うことが、まかり通っていることになる。それも個人の信条や主義思想によって。これほど無茶な話があるものか。

法務大臣につく人間は、与えられた任務に忠実である事が大前提であるから、死刑廃止論者は最初から排除されるべきである。また法務大臣候補になったものは、執行命令にサインすることに、拒否感がある場合には、辞退すべきではないか。

大臣の地位や肩書きはほしいくせに、サインはいやだというのでは身勝手すぎる。死刑廃止主義者は法務大臣になってはいけない。常識的に考えれば、当然の話じゃないか
前の千葉氏は廃止論者であったが、実際には2名の執行書にサインした。しかし彼女は自分の主義主張をとうす一助として、処刑場の公開に踏み込んだ。議論を巻き起こすためらしい 。僕から見れば全くのナンセンスである。

そんなことよりも死刑囚にかける金銭的な負担がいくらになっているのか、公表してもらいたい。 僕の予想では一般房よりは高くついているのではないか。凶悪犯罪者のために 国費=税金がどのくらい使われているのか、国民の目の前に明らかにしてほしい。アメリカの例によると長期間執行されない死刑囚は特別房で処遇しなくてはならないから、年間一般房より3万2千ドル余計にかかる 。

せっかく多くの人手と金をかけて死刑制度を維持しているのに10年以上も死刑を執行しないで放置すれば、そこにかかる経費は、いったいいくらになるのか計算して公表する必要があるだろう。処刑場所の公開より以前に。

国民の現在の年間平均所得と比較する数字を、国民の前に提示してもらいたい。
被害者ももっと声を上げてもらいたい。殺人という凶悪犯がいかに残酷非情なことをした者か、もっと世間に訴えてもらいたい。それによって犯罪が減少することを期待したいが現実はそうもいかないだろう。

しかし何の落ち度もない人間が、ある日突然ものすごい恐怖を、あるいは残酷な目に遭わされながら死んでいくこの不正義には、社会防衛のためにも、 犯人に対して社会全体によるそれ相応の制裁は不可欠である。
国民の85%が死刑制度を支持している現状は、日本の国情に合っている。そこには単なる報復感情でないものも当然含まれている。死刑廃止を考える前に、殺された犠牲者の気持ちや、遺族の感情を考える方が優先するのは当然だと思う。