人を食った話
「 吉田総理。いつもお元気で、血色も良いようで。」
「ははあ。おれはいつも人を喰ってるから、元気もいいわさ」
人を喰うという言葉は、日常会話で、よく耳にするフレーズだが、今から会いに行くシーウイという男は本当に人間を食べたということである。
その犯罪者が、樹脂で固められて死体のまま、展示されているところがあるのだ。
バンコクのチャオプラヤ河のエキスプレス、ボートの船着場プロンノックを降りて、正面の道路を300メーターほどまっすぐに歩くと、大学構内に入る幅の広い道路があり、ここは車も通る。
その道を構内に入り、ほぼ突き当たりに近いところまで行くと、右手に大きな建物がある。
構内は病院と大学があると思ったが、それはきっと東大医学部と東大病院の関係ではあるまいが。どちらが主体かは、はっきりしない。
その構内には、僕が今から尋ねようとする博物館の案内が、日本字で書かれてはいるが、博物館とだけしか書いてないので、何の博物館か見当がつかない。
日本だったらたぶん、外科標本展示室とか、犯罪加害者ならびに被害者の標本展示室と書くだろう。それでもまだ日本人には親切な方である
タイ人にはどんな案内板があるのだろうか。
けれども、そこに行くと、タイ人が大勢来ていたところをみると、僕は、タイ人の案内板を見落としていたのかもしれない。
犯罪博物館には、タイ人の間でも人気があるらしい。
「ミュージアムはどこですか。」つたない英語で構内で、3カ所ほど道案内を乞うた。それでやっとこさ、目的地へ到達した。
ここ3日はずっと曇りと、パラパラ天気で、出歩く気がしなくて、自室で本を読んだり、書き物をしたりして過ごした。
久しぶりに、今日は朝から晴れたので、見残した部分というよりは、探しても分からなく、面倒くさくなって途中で引き上げた、犯罪博物館に再度でかけたのであった。
広い構内に近代的な大きなビルが、なん棟も建っている。
患者さんやその家族、看護婦さんや構内で働く職員に医学書を小脇に抱えている学生など随分見かけた。
案内を乞うと、皆親切に教えてはくれるが、博物館は、どうも幾つもあるらしく、日本流に言えば、この道をまっすぐに手突き当たりを左に曲がればすぐです。という案内をタイ語に、英語を混ぜて案内してくれるからさっぱりわからない。
聞いても聞かなくても、結果は同じなら聞かないでもいいやと思って、それらしい雰囲気のところを探して、うろうろした。
30分ほど迷っただろうが、行く手に、駅が見え、そこは操車場をらしく、客車が1杯あった。そこまで行ったらちょっと薄暗い感じのするところが、
ある。この辺りだ。直感が働いた。
人々はかいがいしく働いているが、作業の様子からみて、ランドリーに見えた。このあたりに違いないと言う予感がした。、
最後の詰めだと思って「、ミュージアム」 と道行く人に聞いたら、あっちだ、と言わんばかりに指さした。
また違ったのか、迷いに迷って歩くのも疲れた。
やれやれ引き返そうと思って歩き出した。すると博物館と、書かれた。矢印の看板が、壁にかかっていた。
やっとたどり着いたと思って、入口を見ると、それは先日尋ねた外科標本展示館だった。何だ、せっかく来たのに。疲れがどっと出た。
気を取り直して職員と思われる人に、「シーウイ。ミュージアム?」
と言ったら、この先を突き当たりまで行って、右に曲がり、まっすぐ行ったら、左手に、構内のショッピングセンターが見える。それを通り越してまっすぐ行ったら、突き当たり近くの右手の建物の2階が、ミュージアムだ。と丁寧に地図を書いて教えてくれた。
説明は英語であるが、通じたのは、ところどころで、最初から最後まで、意味が通じたわけではなかった。
言葉は通じなくても、現在から目指す博物館までの、道順は先ほど通ったばかりだから、ほぼ理解できる。犯罪博物館というより、ここではシー・ウイ博物館の方が、名が通っているのだろうか。
1階のドアを開けて、室内に入ると、空気がよどんでいる感じがした。
空気も室内もすべてが灰色や白色のモノトーンで、彩られているようである。
扉を開いて、内側に入るなり、気分はセピア色になった。
2階の階段にのぼろうとしたとき、このミュージアムの開館が月曜から金曜で、時間は、朝9時から4時までと表示されているのが目についた。
階段はくの字になっていて登っていくと、2階には展示室がある。2階に到着した途端、気分は、けだるい灰色一色の濃さを増した。
窓から外を見た。先ほどまだ晴れていたのに、ここから見ると、外の色はまるで雨が降りそうな、ドンヨリ重苦しい灰色である。
さてはそういう仕掛けがしてやって、窓もそれなりのものを使っているのか、僕は何か仕掛けがしてやるように疑ってみた。しかし何の仕掛けもなかった。そう見えたのは、自分の思いこみが、激し過ぎただけだった。
そしてこのことは後になって、落ち着いて考えてみると、よくわかった。
階段を登り切った左手に有名人になったシー・ウイの実物標本があった。
ほかに三体、どれも凶悪犯で、強姦殺人で処刑された男の標本だ。
標本はすべて立像で、三体が並べてあり、その後すなわち窓に近い方に、一体と、殺傷された人が着ていたであろう血のりの着いた衣服も、そのままに標本として展示されていた。
「シー・ウイ」と書いてあって、名前が分かるのは、彼だけだった。外は名前の表示はなく、レイプマーダーと英語で書かれていたから、凶悪な強姦殺人犯だと見て取れた。
それが2体、頑丈な体躯の持ち主だった。
ここでシー・ウイについて少し書いてみよう。
生前の写真が、実物の横に貼ってあり、背後には説明がついていた。残念ながら英文はないから、なんのことやらさっぱりわからない。
知識としては、ぼくのうろ覚えである。それによると、目のまえの男は1950年から、数年間に渡って子供を誘拐し、殺し、不老長寿の妙薬と信じて内臓を食べたというのである。
それがなんと5人もの子供を喰ったというのである。へどを吐きそうになる話だ。
常識という、あるいは倫理観。常識という普通の人の持つ頭の回路の線が、どこかで間違って変な所に、つながり、身の毛も目立つような誘拐をして子供を殺すという犯罪を犯し、さらにそれを料理してくった。となっては、天人ともに生かしておけないやつた。それも一人ではなくて、5人も、ということになれば、殺された子どもたちや、親のためにも地獄の責め苦を、未来永劫に負わなければ、赦すことができない。
僕はシー・ウイのために、
「お前は何という出来損ないの人間だ。犯した罪を自覚すれば、己の手で己の首をしめて殺す。罪を罪として思わないのなら、逃げかくれすることは無い。自らの行為を天下に公表したらいいじゃないか。お前には明らかに犯罪を犯したという意識がある。お前が警察に捕まって法の裁きを受けたということは、お前は己の罪を自覚していながら逃げまわった挙げ句、捕まって処刑され、俺の目の前にいる。
両眼とも、抜かれて、それに、ろうでもはめ込まれている点だけが不気味だ。
お前は小柄で、俺によく似た体つきが、身長は165センチ、体重は50kg前後のどちらかといえば、小柄な男だ。生前の写真を見ても、さるには似てると思うが、そんな凶悪な大人には見えない。もし、お前が大人の男をやったとしたら、お前は逆に殺される立場になったことだろう。
小男で、体力に自信がなかったから、子供ばかり狙ったんじゃないか。お前の写真を見ているとそう思う。ついでながら、お前の生涯が映画になったというじゃないか。ぜひ見てみたいものだ。
人を殺すということだけでも恐ろしいのに、その内臓を喰うのは、もうクレイジーとしか言いようが無いし、鬼の所業である。俺は絶対におまえの行った残虐な犯罪を赦すことはしない。
世間には心の広い人や、修行によって心を磨いた人が居る。さらに、神仏に使える人々もいる。彼らはいうだろう。
人間は間違いを起こすとか、ふと魔が差したのだろうとか、
罪人を救うのがこれらの天職だとか、
それは色々な考え方や思想や理解の仕方、懲罰の形状の求め方から、あることは100も承知だが、しかし何があろうとも俺は許さん。一切の同情はしない。
お前のような凶悪犯はこのようにしないと社会正義を実現できない。社会正義の無い社会は闇だ。平凡で善良な市民を闇から、守るためには、最低限必要な事項として、お前のような凶悪犯を再びこの世に出現させてはならないのだ。そのための見せしめとしても、お前ような凶悪犯はさらしものにしなくてはならんのだ。
俺は輪廻転生を信じる。が、お前は死後の世界でも、次に生まれ変わる世界でも、すでに地獄しか行くところがない。それはひとえにお前の責任だ。己が罪そのもので誰の責任でもない。それよりもおまえに殺されて喰われた子供は、赤鬼青鬼となり、四六時中お前を苦しめ、その子供達の両親はさらに怒りに燃えさかる炎となって毎日お前の魂を責め、さいなむ。毎日毎日身を切り刻まれる苦しみを味わわされていることだろう。その苦しみはお前が子供に与えた苦しみであり、親たちに与えた苦しみなのだ。それが今写し鑑となって、いまお前に跳ね返っているだけだ。因果応報当然の話だ。己のしたことがどれほど人を苦しめたことか、その苦しみが、己が跳ね返って、どれほどのものか分かるだろう。
重ねていうが俺は同情のかけらもお前には寄せないし、しない。
情け容赦をしない。社会正義のために、常に被害者の立場に立つ。殺されて、食べられた子供と、愛しい子供たちを喰われた
親の復讐の怒りの炎の代弁をする。悪魔のような奴には徹底的に戦いを挑み、木っ端みじんに、打ち砕かないと腹の虫がおさまらない。お前にしてみれば、日本人がタイに来て余計なお世話だ思うかもしれないが俺だって人の親だ。可愛い子供が殺されたとしたら、どんな悲嘆の地獄に落ちるか。ましてや喰われたとなったら半狂乱だ。そうなったら完全に復讐の鬼だ。鬼になりきる。お前をどんなことをしても探し出して凄惨なリンチを食わせてやる。処刑、せいぜい30分の苦しみで、あの世行き、そんな短時間の苦しみで、あの世にいかれてたまるもんか。
罪のない子供が親の苦しみのツケは、しっかり払わせないと、あの世行きは許さない。たとえ法律の禁を犯しても、どんな代償を支払っても、この命さえかけても、子供の恨み、親の恨み、言葉を絶する嘆きを必ずはらして見せる。まじめに平凡に暮らしている良き市民が、一旦腹に据えかねて怒ったときに、感情は暴発する。この恐さは、、世界共通というより、人類共通のものだ。人間であれば、日本人、タイ人の区別は無い。一見関係ない日本人のように見えるが、天に代わって不義を打つ精神は、人類共通だ。
本来なら俺と異次元の世界にいるお前のことだ。赦すも赦さんもあるものか。ほっておくよ。しかし、人間の悪行をいろいろ調べてみたが、個人で犯した犯罪で、最悪なのは、お前を除いてほかは知らない。お前が人間として最低だ。そう言う例を一つ聞かせよう。
これは日本であった話した。
太平洋戦争に敗れた日本の社会混乱期の出来事が、当時は砂糖がなくてさ。サッカリンとか、ズルチンが、甘味料としてヤミ取引が盛んに行われていた。
父と肺病を病んだ娘の二人が、ある日、忽然と姿を消した。隣近所が騒ぎ出して警察が動き出した。犯人はそのヤミ取引をしていた父の相方の男女二人組の仕業だった。ヤミ取引が成立して、現金の受け渡しが行われた瞬間を狙って、女が取引相手の男の首を絞めて殺した。もちろん、相棒の男も、その女に手を貸した。共同正犯、それから結核で病に伏せっていた娘も殺した。そこまではヤミ取引が横行したり、時代のことで、戦争の混乱で、割に驚きはしな。ところが事件が、そこから先の進展ぶりに世間の人々は、はっと息を呑んだのである。
その女は殺した娘の尻の肉を食べたというのである。食べ方はすき焼き風にしていたらしい、食べた感想といえば、桜いろの肉で淡泊だったとか、そして死体の残りは夜になって畳をあげて床下に隠したという。世間はこの猟奇事件を固唾をのんで見守った。以後、詳報は、なかったらしい、あまりにも、うす気味が悪く、後味の悪い、この事件にはきっと進駐軍からストップがかかったのだろう。なにせこれが昭和23年の時の話だ。大人の新聞をまだ読めない頃の話だ。この話は怖い話として、母親が子供に語ってくれた話だ。まず、大筋において、間違いはないだろう。もちろん、この鬼女は、二人を殺した罪で死刑になったことだろうが、言論検閲で、その後のことは、計画的な殺人ではなく、父を殺したからついでに娘も、という成り行きの偶発的要素があったりしたが、お前の場合は最初から、子供を誘拐して、殺しその内蔵を不老長寿の妙薬として、己の不良長寿という、とんでもない間違った実験をするために食べるという、どの方面から見ても、神も人も許せない犯罪を犯している。
お前にどんな言い訳があろうと、やったことはすべて帳消しにして、なおさらに大きな罪の跡が残る。
神はいざ知らず、人間、平凡な市民として、絶対に見逃せないものだ。
じつは、このミュージアムの訪問については2の足を踏んだ。たとえ死体とは言え、お前を目の前にすれば、これが怒り狂うことは自分が1番よく知っている。久しぶりに怒り心頭に発するのも旅の経験だと割り切って、今日ここまでやって来た。予想通り、案の定、怒り心頭に発した。爆発した。しかし、今は冷静さを取り戻した。安らかな気分で日本に帰れる。
僕は以上烈火のごとくお前をののしった。しかし今はむなしさだけが残っている。人間の現実って悲しいことが多いよね。
ついでに強姦殺人犯の2体について書いておこう。親からもらった五体満足の壮健な体を、なんという恥知らずなことをしでかして、いまその醜態を俺の目の前で、標本になって晒しているのか馬鹿者。
お前が生まれたときに、男子誕生で、両親や家族が、どれほど喜んだか。
だれもが処刑を望むような極悪大罪をおかして、天下にその罪を恥さらして、いったい何を考えて殺人まで犯して、その醜い様を残して両親を始め、関係者一族にどうわびるつもりなのか。
強姦だけならまだしも、その被害者も、殺したとなると、それは、人間のやることではなく、まさに畜生の世界の出来事である。お前は、社会的制裁として、社会正義のもとに処刑されて、ここにさらしものとなって、今俺の目の前にあるが、この展示標本にされてしまうことこそ善良な市民の大多数が望むことだということをシッカリして知っておくがいい。」
「 吉田総理。いつもお元気で、血色も良いようで。」
「ははあ。おれはいつも人を喰ってるから、元気もいいわさ」
人を喰うという言葉は、日常会話で、よく耳にするフレーズだが、今から会いに行くシーウイという男は本当に人間を食べたということである。
その犯罪者が、樹脂で固められて死体のまま、展示されているところがあるのだ。
バンコクのチャオプラヤ河のエキスプレス、ボートの船着場プロンノックを降りて、正面の道路を300メーターほどまっすぐに歩くと、大学構内に入る幅の広い道路があり、ここは車も通る。
その道を構内に入り、ほぼ突き当たりに近いところまで行くと、右手に大きな建物がある。
構内は病院と大学があると思ったが、それはきっと東大医学部と東大病院の関係ではあるまいが。どちらが主体かは、はっきりしない。
その構内には、僕が今から尋ねようとする博物館の案内が、日本字で書かれてはいるが、博物館とだけしか書いてないので、何の博物館か見当がつかない。
日本だったらたぶん、外科標本展示室とか、犯罪加害者ならびに被害者の標本展示室と書くだろう。それでもまだ日本人には親切な方である
タイ人にはどんな案内板があるのだろうか。
けれども、そこに行くと、タイ人が大勢来ていたところをみると、僕は、タイ人の案内板を見落としていたのかもしれない。
犯罪博物館には、タイ人の間でも人気があるらしい。
「ミュージアムはどこですか。」つたない英語で構内で、3カ所ほど道案内を乞うた。それでやっとこさ、目的地へ到達した。
ここ3日はずっと曇りと、パラパラ天気で、出歩く気がしなくて、自室で本を読んだり、書き物をしたりして過ごした。
久しぶりに、今日は朝から晴れたので、見残した部分というよりは、探しても分からなく、面倒くさくなって途中で引き上げた、犯罪博物館に再度でかけたのであった。
広い構内に近代的な大きなビルが、なん棟も建っている。
患者さんやその家族、看護婦さんや構内で働く職員に医学書を小脇に抱えている学生など随分見かけた。
案内を乞うと、皆親切に教えてはくれるが、博物館は、どうも幾つもあるらしく、日本流に言えば、この道をまっすぐに手突き当たりを左に曲がればすぐです。という案内をタイ語に、英語を混ぜて案内してくれるからさっぱりわからない。
聞いても聞かなくても、結果は同じなら聞かないでもいいやと思って、それらしい雰囲気のところを探して、うろうろした。
30分ほど迷っただろうが、行く手に、駅が見え、そこは操車場をらしく、客車が1杯あった。そこまで行ったらちょっと薄暗い感じのするところが、
ある。この辺りだ。直感が働いた。
人々はかいがいしく働いているが、作業の様子からみて、ランドリーに見えた。このあたりに違いないと言う予感がした。、
最後の詰めだと思って「、ミュージアム」 と道行く人に聞いたら、あっちだ、と言わんばかりに指さした。
また違ったのか、迷いに迷って歩くのも疲れた。
やれやれ引き返そうと思って歩き出した。すると博物館と、書かれた。矢印の看板が、壁にかかっていた。
やっとたどり着いたと思って、入口を見ると、それは先日尋ねた外科標本展示館だった。何だ、せっかく来たのに。疲れがどっと出た。
気を取り直して職員と思われる人に、「シーウイ。ミュージアム?」
と言ったら、この先を突き当たりまで行って、右に曲がり、まっすぐ行ったら、左手に、構内のショッピングセンターが見える。それを通り越してまっすぐ行ったら、突き当たり近くの右手の建物の2階が、ミュージアムだ。と丁寧に地図を書いて教えてくれた。
説明は英語であるが、通じたのは、ところどころで、最初から最後まで、意味が通じたわけではなかった。
言葉は通じなくても、現在から目指す博物館までの、道順は先ほど通ったばかりだから、ほぼ理解できる。犯罪博物館というより、ここではシー・ウイ博物館の方が、名が通っているのだろうか。
1階のドアを開けて、室内に入ると、空気がよどんでいる感じがした。
空気も室内もすべてが灰色や白色のモノトーンで、彩られているようである。
扉を開いて、内側に入るなり、気分はセピア色になった。
2階の階段にのぼろうとしたとき、このミュージアムの開館が月曜から金曜で、時間は、朝9時から4時までと表示されているのが目についた。
階段はくの字になっていて登っていくと、2階には展示室がある。2階に到着した途端、気分は、けだるい灰色一色の濃さを増した。
窓から外を見た。先ほどまだ晴れていたのに、ここから見ると、外の色はまるで雨が降りそうな、ドンヨリ重苦しい灰色である。
さてはそういう仕掛けがしてやって、窓もそれなりのものを使っているのか、僕は何か仕掛けがしてやるように疑ってみた。しかし何の仕掛けもなかった。そう見えたのは、自分の思いこみが、激し過ぎただけだった。
そしてこのことは後になって、落ち着いて考えてみると、よくわかった。
階段を登り切った左手に有名人になったシー・ウイの実物標本があった。
ほかに三体、どれも凶悪犯で、強姦殺人で処刑された男の標本だ。
標本はすべて立像で、三体が並べてあり、その後すなわち窓に近い方に、一体と、殺傷された人が着ていたであろう血のりの着いた衣服も、そのままに標本として展示されていた。
「シー・ウイ」と書いてあって、名前が分かるのは、彼だけだった。外は名前の表示はなく、レイプマーダーと英語で書かれていたから、凶悪な強姦殺人犯だと見て取れた。
それが2体、頑丈な体躯の持ち主だった。
ここでシー・ウイについて少し書いてみよう。
生前の写真が、実物の横に貼ってあり、背後には説明がついていた。残念ながら英文はないから、なんのことやらさっぱりわからない。
知識としては、ぼくのうろ覚えである。それによると、目のまえの男は1950年から、数年間に渡って子供を誘拐し、殺し、不老長寿の妙薬と信じて内臓を食べたというのである。
それがなんと5人もの子供を喰ったというのである。へどを吐きそうになる話だ。
常識という、あるいは倫理観。常識という普通の人の持つ頭の回路の線が、どこかで間違って変な所に、つながり、身の毛も目立つような誘拐をして子供を殺すという犯罪を犯し、さらにそれを料理してくった。となっては、天人ともに生かしておけないやつた。それも一人ではなくて、5人も、ということになれば、殺された子どもたちや、親のためにも地獄の責め苦を、未来永劫に負わなければ、赦すことができない。
僕はシー・ウイのために、
「お前は何という出来損ないの人間だ。犯した罪を自覚すれば、己の手で己の首をしめて殺す。罪を罪として思わないのなら、逃げかくれすることは無い。自らの行為を天下に公表したらいいじゃないか。お前には明らかに犯罪を犯したという意識がある。お前が警察に捕まって法の裁きを受けたということは、お前は己の罪を自覚していながら逃げまわった挙げ句、捕まって処刑され、俺の目の前にいる。
両眼とも、抜かれて、それに、ろうでもはめ込まれている点だけが不気味だ。
お前は小柄で、俺によく似た体つきが、身長は165センチ、体重は50kg前後のどちらかといえば、小柄な男だ。生前の写真を見ても、さるには似てると思うが、そんな凶悪な大人には見えない。もし、お前が大人の男をやったとしたら、お前は逆に殺される立場になったことだろう。
小男で、体力に自信がなかったから、子供ばかり狙ったんじゃないか。お前の写真を見ているとそう思う。ついでながら、お前の生涯が映画になったというじゃないか。ぜひ見てみたいものだ。
人を殺すということだけでも恐ろしいのに、その内臓を喰うのは、もうクレイジーとしか言いようが無いし、鬼の所業である。俺は絶対におまえの行った残虐な犯罪を赦すことはしない。
世間には心の広い人や、修行によって心を磨いた人が居る。さらに、神仏に使える人々もいる。彼らはいうだろう。
人間は間違いを起こすとか、ふと魔が差したのだろうとか、
罪人を救うのがこれらの天職だとか、
それは色々な考え方や思想や理解の仕方、懲罰の形状の求め方から、あることは100も承知だが、しかし何があろうとも俺は許さん。一切の同情はしない。
お前のような凶悪犯はこのようにしないと社会正義を実現できない。社会正義の無い社会は闇だ。平凡で善良な市民を闇から、守るためには、最低限必要な事項として、お前のような凶悪犯を再びこの世に出現させてはならないのだ。そのための見せしめとしても、お前ような凶悪犯はさらしものにしなくてはならんのだ。
俺は輪廻転生を信じる。が、お前は死後の世界でも、次に生まれ変わる世界でも、すでに地獄しか行くところがない。それはひとえにお前の責任だ。己が罪そのもので誰の責任でもない。それよりもおまえに殺されて喰われた子供は、赤鬼青鬼となり、四六時中お前を苦しめ、その子供達の両親はさらに怒りに燃えさかる炎となって毎日お前の魂を責め、さいなむ。毎日毎日身を切り刻まれる苦しみを味わわされていることだろう。その苦しみはお前が子供に与えた苦しみであり、親たちに与えた苦しみなのだ。それが今写し鑑となって、いまお前に跳ね返っているだけだ。因果応報当然の話だ。己のしたことがどれほど人を苦しめたことか、その苦しみが、己が跳ね返って、どれほどのものか分かるだろう。
重ねていうが俺は同情のかけらもお前には寄せないし、しない。
情け容赦をしない。社会正義のために、常に被害者の立場に立つ。殺されて、食べられた子供と、愛しい子供たちを喰われた
親の復讐の怒りの炎の代弁をする。悪魔のような奴には徹底的に戦いを挑み、木っ端みじんに、打ち砕かないと腹の虫がおさまらない。お前にしてみれば、日本人がタイに来て余計なお世話だ思うかもしれないが俺だって人の親だ。可愛い子供が殺されたとしたら、どんな悲嘆の地獄に落ちるか。ましてや喰われたとなったら半狂乱だ。そうなったら完全に復讐の鬼だ。鬼になりきる。お前をどんなことをしても探し出して凄惨なリンチを食わせてやる。処刑、せいぜい30分の苦しみで、あの世行き、そんな短時間の苦しみで、あの世にいかれてたまるもんか。
罪のない子供が親の苦しみのツケは、しっかり払わせないと、あの世行きは許さない。たとえ法律の禁を犯しても、どんな代償を支払っても、この命さえかけても、子供の恨み、親の恨み、言葉を絶する嘆きを必ずはらして見せる。まじめに平凡に暮らしている良き市民が、一旦腹に据えかねて怒ったときに、感情は暴発する。この恐さは、、世界共通というより、人類共通のものだ。人間であれば、日本人、タイ人の区別は無い。一見関係ない日本人のように見えるが、天に代わって不義を打つ精神は、人類共通だ。
本来なら俺と異次元の世界にいるお前のことだ。赦すも赦さんもあるものか。ほっておくよ。しかし、人間の悪行をいろいろ調べてみたが、個人で犯した犯罪で、最悪なのは、お前を除いてほかは知らない。お前が人間として最低だ。そう言う例を一つ聞かせよう。
これは日本であった話した。
太平洋戦争に敗れた日本の社会混乱期の出来事が、当時は砂糖がなくてさ。サッカリンとか、ズルチンが、甘味料としてヤミ取引が盛んに行われていた。
父と肺病を病んだ娘の二人が、ある日、忽然と姿を消した。隣近所が騒ぎ出して警察が動き出した。犯人はそのヤミ取引をしていた父の相方の男女二人組の仕業だった。ヤミ取引が成立して、現金の受け渡しが行われた瞬間を狙って、女が取引相手の男の首を絞めて殺した。もちろん、相棒の男も、その女に手を貸した。共同正犯、それから結核で病に伏せっていた娘も殺した。そこまではヤミ取引が横行したり、時代のことで、戦争の混乱で、割に驚きはしな。ところが事件が、そこから先の進展ぶりに世間の人々は、はっと息を呑んだのである。
その女は殺した娘の尻の肉を食べたというのである。食べ方はすき焼き風にしていたらしい、食べた感想といえば、桜いろの肉で淡泊だったとか、そして死体の残りは夜になって畳をあげて床下に隠したという。世間はこの猟奇事件を固唾をのんで見守った。以後、詳報は、なかったらしい、あまりにも、うす気味が悪く、後味の悪い、この事件にはきっと進駐軍からストップがかかったのだろう。なにせこれが昭和23年の時の話だ。大人の新聞をまだ読めない頃の話だ。この話は怖い話として、母親が子供に語ってくれた話だ。まず、大筋において、間違いはないだろう。もちろん、この鬼女は、二人を殺した罪で死刑になったことだろうが、言論検閲で、その後のことは、計画的な殺人ではなく、父を殺したからついでに娘も、という成り行きの偶発的要素があったりしたが、お前の場合は最初から、子供を誘拐して、殺しその内蔵を不老長寿の妙薬として、己の不良長寿という、とんでもない間違った実験をするために食べるという、どの方面から見ても、神も人も許せない犯罪を犯している。
お前にどんな言い訳があろうと、やったことはすべて帳消しにして、なおさらに大きな罪の跡が残る。
神はいざ知らず、人間、平凡な市民として、絶対に見逃せないものだ。
じつは、このミュージアムの訪問については2の足を踏んだ。たとえ死体とは言え、お前を目の前にすれば、これが怒り狂うことは自分が1番よく知っている。久しぶりに怒り心頭に発するのも旅の経験だと割り切って、今日ここまでやって来た。予想通り、案の定、怒り心頭に発した。爆発した。しかし、今は冷静さを取り戻した。安らかな気分で日本に帰れる。
僕は以上烈火のごとくお前をののしった。しかし今はむなしさだけが残っている。人間の現実って悲しいことが多いよね。
ついでに強姦殺人犯の2体について書いておこう。親からもらった五体満足の壮健な体を、なんという恥知らずなことをしでかして、いまその醜態を俺の目の前で、標本になって晒しているのか馬鹿者。
お前が生まれたときに、男子誕生で、両親や家族が、どれほど喜んだか。
だれもが処刑を望むような極悪大罪をおかして、天下にその罪を恥さらして、いったい何を考えて殺人まで犯して、その醜い様を残して両親を始め、関係者一族にどうわびるつもりなのか。
強姦だけならまだしも、その被害者も、殺したとなると、それは、人間のやることではなく、まさに畜生の世界の出来事である。お前は、社会的制裁として、社会正義のもとに処刑されて、ここにさらしものとなって、今俺の目の前にあるが、この展示標本にされてしまうことこそ善良な市民の大多数が望むことだということをシッカリして知っておくがいい。」