路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

今朝の地に動くものあり土崩る

2006年03月15日 | Weblog

 朝方ふと見ると地面があちこちでパタパタと小さく動いている。ドミノが互いになんの関連もなく倒れていくみたいに。小さなモグラ叩きを広い範囲でやっているみたいに。
 よく見れば、日盛りで霜柱がちょっとづつ崩れて、上に乗った土が小さな落下を繰り返しているのでありました。

 それにしても寒い一日。
 寒の戻りどころではない。這い上がる寒気がこころまで寒くする。
 夕方水道の元栓だけは閉めるが、凍りついて動かなくなった蛇口が破裂するのではないかと夜中に心配になる。

 ツバメにプレゼントした「坊ちゃん」を夕食後何気なく読み出したら面白くて読了してしまう。
 数十年ぶりに読んで、改めて名作だと思った。
 近代の日本の青年像の少なからざる部分は「坊ちゃん」を模倣しているのではあるまいか。事実が芸術を模倣する。

 それと今回思ったことは、この小説がほぼ「落魄」小説であったということ。
 旗本の裔である主人公は両親の死後、九州へ行く兄と別れて遺産で学歴を得て四国へ。清は瓦解で零落した女だし、会津の山嵐と、父親の死後騙されて金に困り、許婚者にも逃げられるうらなり。赤シャツだって弟を伴っての任地赴任だから背後に不幸を背負っている趣き。
 敗者たちの活劇。
 時代は明治38年で、日本が坂の上へ出たところだから、これは「三四郎」につながるあきらかな漱石の近代日本へのアイロニーか。
 漱石が実際に松山に行ったのは明治28年で、作品上の時代は「祝勝会」の開かれる10年後である。そのほぼ中間の明治32年に中学校令の改定だから、この作品は近代学校教育史の面からも注目作だな。その面からの研究はあるのだろうか。
 名作は時を越えて生き続ける。

 明日は少しは暖かくなるのだろうか。
 もう三月も半ばだなあ。