聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き(二八章23-31節)「扉は開かれている」

2016-07-31 14:28:19 | 使徒の働き

2016/07/31 使徒の働き(二八章23-31節)「扉は開かれている」

1.「使徒の働き」 教会という珍道中

 今日は、新約聖書の五番目の書、「使徒の働き」(使徒言行録)のことをご紹介しましょう。これを書いたのは、三つ目の福音書「ルカの福音書」と同じルカです。ルカは福音書で、イエスのご生涯をクリスマスから十字架と復活、そして昇天まで書きました。その続きが「使徒の働き」です。イエスのご生涯の続きとなる、教会の最初期の三〇年ほどを、第二巻として書きまとめたのが「使徒の働き」です。福音書と「使徒の働き」は「歴史書」だとも言えます。

 勿論「歴史書」といっても、ただ歴史を年代順に追うわけではありません。ルカは、イエスのご生涯と教会の歩みとを続けて書きながら、読者である教会にメッセージを語っています。皆さんも、ともかく「使徒の働き」を最初から最後まで読んで戴きたい。その物語を楽しみ、味わって、読んでくださるのが一番です。どんな感想を皆さんもたれるでしょうか。

 私は「使徒の働き」を読む度に、教会の歩みは一筋縄ではないなぁ、珍道中だなぁと感じます。結果的に教会は拡大し、成長していきます。エルサレムから始まって、サマリヤやアンテオケへ広がり、パウロは小アジアとギリシャに伝道旅行をし、最後はローマです。驚くべき拡大です。しかし、決してそれは順調な旅路ではありませんでした[1]。迫害があります。使徒ヤコブは殺され、ペテロもパウロも殺されかけます。船旅をすると嵐で船は木っ端微塵になりました。その旅は、迫害や躊躇いで行きつ戻りつし、最後は強制的に辿り着いたものでした。

 教会の中も、盤石ではありませんでした。麗(うるわ)しい交わりが生まれたかと思えば、見栄を張って嘘の献金の申告をする夫婦が現れ、貧しい人への配給の問題で文句が出て来ます。ユダヤ人ばかりだった教会は、異邦人への宣教など考えつきもしません。そういう所に、エチオピア人やローマ軍の百人隊長が信仰を持って、教会はついて行くのがやっとです。そして意外も意外なことに、教会を迫害しているサウロにキリストが現れます。キリスト者を苦しめ、殺しさえした責任者が、イエスに出会って洗礼を受けます。そればかりか、彼は伝道者となり、使徒の働き後半の中心的存在となるのです。そして、彼の旅も常に予測のつかない展開でした。勝利主義なんかではなく、福音の広がりに躊躇い、異邦人との出会いに戸惑い、余計なことをいって分裂仕掛ける。教会の歩みは珍道中です。ドタバタと人間的な面を見せながら、しかし、不思議な事に主に導かれ、宣教に携わり、エルサレムからローマにまで来てしまった物語です。

2.中途半端な終わり方

 今日読んで戴いたのは「使徒の働き」の最後の部分です。どうでしょうか。ローマまで囚人として連れて来られたパウロが、イエスの教えられた「神の国」の福音をユダヤ人に語ったけれど、信じる人と信じない人で意見が分かれて、パウロはイザヤの聖書を引きながら、

28ですから、承知しておいてください。神の救いは、異邦人に送られました。彼らは耳を傾けるでしょう。」

30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、

31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

 これで終わりです。

「少しも妨げられることなく」

と言っていますが、一応囚人だったのですね。ある程度の自由はあったとはいえ、思うままにならないことも多かった筈です。そして、パウロはこの後どうなったんでしょう。どれほどの人が信じたんでしょう。そういう疑問は宙ぶらりんです。話のまとめを失敗したようで、呆気なさ過ぎる幕切れにも思えます。ですから、「ルカは何かの事情でこの不本意な結びにせざるを得なかった」と説明する人もいるのです。

 けれどもルカはあえてこう結んだのだと思います。パウロの生涯とかオチを付ける話を書きたかったのではないのです。教会の歩みはまだ終わりにはなっていません。今も続いている。皆さんも自分の証しを話す時、オチを付ける必要はないのですね。「神様がこうして下さって感謝です。」と結べる時もありますが、多くの場合はまだ生活は進行中で、まだ悩みは残っていたり、気持ちが整理しきれなかったり、この先違う展開があるかもしれません。人生はまだ途中です。「使徒の働き」はハッピーエンドで閉じるより、まだ教会が続いていることを感じさせる、開かれた、オープンな文章でルカの筆は置かれました。それが教会だからです。

使徒の働き一1テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、…

 イエスが行い始め、教え始められたことは、十字架や昇天で終わったのではなく、今も教会を通して行い続け、教え続けておられる。イエスは生きておられ、教会が迫害されたり衝突や間違いをしたりしても、それでもそこに働いておられる。使徒の働きを読んでいくと、主がこうなさった、という記述が多くあります[2]。だから最後も、教会を通して主はなお働いておられる、と結ぶのです。だから、私たちも「来る人たちをみな迎え入れて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え」続けていくのです。

3.働き続けておられるキリスト[3]

 使徒の働きが語る教会の歴史は、真っ直ぐではありません。エルサレムからローマまで宣教が前進した、と単純に片付けることは出来ません。人種や国境を越えて広がる事自体、ペテロも最初の信徒たちも抵抗したのです。教会がビジョンを大きく掲げて、その願い通り成長したというよりも、教会自体が神の御支配の大きさに驚き、自分たちの無知や罪に戸惑いながら、新しい出会いや新しい展開に絶えず驚きながら歩んで行ったのでした。福音を宣教する教会そのものが福音に驚かされ、福音によって変えられながら、世界を広げられていったのです[4]。誰も異邦人と家族になるなんて考えていませんでした。誰も、サウロが回心し、喜んでイエスを証しするなんて、想像も期待もしていませんでした。エルサレムからローマへ旅をしながら、教会そのものが変えられ、成長していくのです。それが主の教会の歩みなのです。

 「初代教会は純粋で理想的な教会だった。神の臨在と力に溢れていた」

と考える人もいます。

 「使徒の時代の教会に戻ろう」

というスローガンもよく聞きます。よく「使徒の働き」を読めば、最初から穴だらけだった教会が見えます。もし私たちが一世紀の教会に行けば、天国かとウットリするより、日本人でもキリスト者なんだと分かってもらうのに苦労するでしょう。民族の壁を越えて心から受け入れてもらうのにどれほど骨を折るかしれません。今も、昔も、教会は人間の集まりである以上、限界があり、旅人です。道を間違え、新しい環境に適応するのに苦労します。珍道中と呼ぶにはあまりにも辛い出来事だって起きます。それでも、主が私たちとともにいて旅を導かれ、常に扉を開いてくださること。そして、この道の終わりには、主が正しい裁きをなさり、王となられる栄光の御国があることを信じ、証ししていくのです。

 使徒の働きは私たちのための、慰めと気づきに溢れた物語です。キリストは教会をこの世におかれて、その不完全な私たちが変えられていく歩みを通して、福音を証しなさるのです。今も、皆さんの体験する一つ一つが、与えられた新しい出会いや、目から鱗が落ちる体験、或いは思ってもいないチャレンジであって、無駄ではないのです。一筋縄ではいかない人生に、神は思いも掛けない扉を開いて、私たちを導いてくださり、私たちを通してこの世界に挑戦しておられるのだと信じるのです。「使徒の働き」を読み、これを「私たちの物語」としましょう。

「教会のかしらなる主よ。「使徒の働き」を通して、今も続いている教会の歩みに、光と慰めを与えてくださり、感謝をします。あなたが始めて下さった御業に与らせてください。あなたは私たちの思いもかけない所に、扉を開いておられ、私たちを新しくし、更に深く、広くされます。恥をさらしながらともに歩む私たちの旅路ですが、どんな人生であろうとも、旅のゴールであるあなたの御国と、ともに歩んでくださるあなた様とを証しするものとしてください」



[1] ウィリモンは、ルカの神学を「楽観主義」「勝利主義的教会論」と評する人を紹介していますが、それは間違っていることも言明しています。今回は、ウィリモン『使徒言行録 現代聖書注解』を大いに参考にしました。

[2] Acts 29(使徒二九章)という宣教運動があります。「使徒の働き」は二八章で終わっていますが、私たちはその続きの「二九章」を書く歩みをしているのだ、というユニークなネーミングです。

[3] 「使徒の働き」(口語訳では「使徒行伝」)は、「使徒」たちよりも「聖霊」が働いておられる「聖霊行伝」である、と言われることもあります。しかしよく読めば、聖霊の記述よりも、主の記述が多いのです。イエスが始められたこと(一1)が、今も続いているし、パウロのローマ滞在でも、その死でも終わらず、今に至るまでイエスは教会を御自身の証しとされるという理解です。それは、聖霊の働きを通してではあるのですが、聖霊が独自に働いておられたかのような誤解をしてはなりません。そういう意味でも「聖霊行伝」というようなネーミングは慎んだ方が賢明です。

[4] そして、その教会の存在そのものが、当時の社会には脅威となりました。和解や希望、赦しと全世界的な福音は、民族主義・為政者たちにはそれだけで脅威となったのです。キリスト教は、その本質からして「対抗文化的」な存在でした。それ自体が政治運動ではないのですが、社会に挑戦するものでもあったのです。ユダヤ人との軋轢(十三45など)、異教徒(十九26)、権力者(十七7)。エルサレムでもエペソでも大騒動。「世界中を騒がせる」(十七6)と言われる存在でした。現代も、キリスト教は日本にあって、それ自体の「閉じた社会」であることを止め、日本の文化・伝統を一新するほどの、自由で大胆な存在であることを求められています。

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