聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/7/18 創世記42-46章「助けを求めてエジプトへ」こども聖書㉓

2021-07-17 12:11:21 | こども聖書
2021/7/18 創世記42-46章「助けを求めてエジプトへ」こども聖書㉓

 聖書の最初の「創世記」は、ヨセフという人のことを、最後にとても詳しく書いています。ヨセフは、お父さんから可愛がられ、溺愛されて、お兄さんたちに妬まれて、エジプトに売り飛ばされてしまいました。そこで、奴隷として働かされ、無実の罪で監獄に入れられ、そこから出されて、エジプトの大臣になったのです。
使徒7章9~16節
「族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、
10あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王ファラオの前で恵みと知恵を与えられたので、ファラオは彼をエジプトと欧の全家を治める高官に任じました。
11すると、エジプトとカナンの全地に飢饉が起こり、大きな苦難が襲って来たので、私たちの父祖たちは食べ物を手に入れることができなくなりました。
12しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まず私たちの父祖たちを遣わしました。
13二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがファラオに明らかになりました。
14そこで、ヨセフは人を遣わして、自分の父ヤコブと七十五人の親族全員を呼び寄せました。
15こうして、ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの父祖たちも死にました。」



 このように詳しく書かれている通り、ヨセフの波乱に満ちた生涯は、聖書の中でも特に印象深い、波乱に満ちた物語で、私たちの心に刻む価値のある神様からの贈り物です。
 ここには、二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分のことを打ち明け、と書いていますが、勿論それは簡単ではありませんでした。この時ヨセフは50歳近く。兄たちに突然捕まえられてエジプトに売られたのが17歳。それから奴隷と囚人として23年。大臣になって、8年以上。33年も経っていました。まずヨセフはビックリしたでしょうし、兄たちはヨセフだとさえ分かりませんでした。ヨセフは、最初お兄さんたちを試そうとしたのでしょうか。
「あなたがたは回し者(スパイ)だ。この国の隙をうかがいに来たのだろう」(42章9節)
と疑いを掛け、閉じ込めてしまいます。そして、一人を残して、残りのお兄さんたちが家に帰って、もう一人の兄弟、末の弟を連れてくるように、乱暴な言い方で言うのです。お兄さんたちは、何が何だか、訳が分かりません。その時、
42:21彼らは互いに言った。「まったく、われわれは弟のことで罰を受けているのだ。あれが、あわれみを求めたとき、その心の苦しみを見ながら、聞き入れなかった。それで、われわれはこんな苦しみにあっているのだ。」
 この言葉をヨセフは聞いていました。兄たちは、ヨセフがエジプト人で、自分たちの言葉が分かるはずがないと思っていましたけれど、ヨセフは分かったのですね。
23彼らは、ヨセフが聞いていることを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間には通訳がいたからである。24ヨセフは彼らから離れて、泣いた。…
 兄たちが、30年経っても苦しんでいること、この出来事も、弟を苦しめた罰だと思ってしまっていること、それでもまだ自分が兄たちに名乗ることを躊躇わせる思いがあること…。そうした複雑な深い思いの詰まった、ヨセフの涙ですね。この後も、ヨセフは何度も涙を流します。やがて兄たちは一度家に帰ってから、父親を説得して、弟のベニヤミンを連れてきます。ヨセフは、ベニヤミンも一緒にいるのを見て、また泣きます。
43:30ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。31やがて、彼は顔を洗って出て来た。…
 こんな事を繰り返しながら、兄たちが本当に悲しみ、心を痛めていることを知ります。そして、遂にヨセフは兄たちに、自分がヨセフであることを打ち明けるのですね。
45:3ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。…
5私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。…
7神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。
8ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。

 兄たちがヨセフを憎み、売り飛ばした事は確かに酷い暴力です。兄たちは、長く苦しまずにおれないことでした。けれど、そうしてエジプトに来たヨセフは、今、飢饉でも人々が死なないよう食べ物を蓄え、配る働きをしています。ヨセフが来ることがなかったら、大勢の人がどうなっていたか分かりません。ヨセフはそれを、「神が私を遣わしてくださった」と受け止めています。神はどんな悪をも、不思議に益となさいます。
ローマ書8章28節
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

 神はどんな禍をも益に変えてくださる。だから何が起きても平気、ではありません。ヨセフ物語の結末は、ヨセフの涙を何度も描きます。溜まっていた悲しみ、怒り、思いが涙になって流れ出します。そして最後は喜びの涙が溢れるのです。ヨセフが後悔してもしきれない兄たちを赦し、慰めたことは説明を超えた奇蹟です。
 そして、ヨセフが弟懐かしさに胸が熱くなったように、主は私たちに胸が熱くなるほどのあわれみをお持ちです。深い心を持つ神は、私たちの心にも触れてくださいます。

ホセア11:8 
エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができるだろうか。
イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができるだろうか。
どうしてあなたをアデマのように引き渡すことができるだろうか。
どうしてあなたをツェボイムのようにすることができるだろうか。
わたしの心はわたしのうちで沸き返り、
わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

 その神の御子イエス・キリストが、後に来られた時の出来事は、ヨセフの歩みと多く重なります。イエスも人々を救うために、父の元から遠く離れた地に来られました。着物をはぎ取られ、無実の罪を着せられました。牢でも飢饉でも、そこにいる人々に仕えました。そして、憎まれ妬まれて酷い目にあったのに、赦し、近づいてくださるお方です。
「心を痛めたり、自分を責めたりしないで」
と言ってくださるお方です。

「天地の創造主なる神様。あなたは、世界を創り、ヨセフの人生をも創られ、この世界に命の業を創ってくださるお方です。私たちを、罪や過去の重荷から救い出して、あなたが人を生かし、慰め、祝福してくださる業に加えてください。御子イエス様が、呪いの十字架を、復活の希望へと変えてくださったように、私たちも、あなたの摂理と愛の御心を信じて、前に進ませてください。心にも触れて十分に涙をも流させてください」
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