聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2020/8/30 エレミヤ書17章14~17節「預言者の涙 一書説教 エレミヤ書」

2020-08-29 11:34:55 | 一書説教
2020/8/30 エレミヤ書17章14~17節「預言者の涙 一書説教 エレミヤ書」[1]

前奏
招詞  イザヤ書2章3節
祈祷
賛美  讃美歌73「奇しき神」①③
*主の祈り  (マタイ6:6~13、新改訳2017による)
交読  詩篇121篇(29) 
賛美  讃美歌259「天なる主イエスの」①②
聖書  エレミヤ書17章14~17節
説教  「涙の預言者 一書説教」古川和男牧師
賛美  讃美歌259 ③④
応答祈祷
報告
*使徒信条  (週報裏面参照)
*頌栄  讃美歌546「聖なるかな」
*祝祷
*後奏

 「エレミヤ書」の一書説教として「預言者の涙」としました[2]。今読んだ箇所もエレミヤの嘆きが吐露されています。エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれます。聖書の歴史でも、最も悲惨な時期でした。紀元前7世紀。イスラエルの国が、神に背信を続け、社会に不正や暴力を満たして四百年、とうとう北の大国バビロンが侵攻してエルサレムの都が破壊される時代。その前後を、エレミヤは目撃しながら、民に罪を指摘して、主に立ち返るよう語ったのです[3]。

 しかし、エレミヤ書が悲惨で、重く暗いだけの書かといえば決してそうではありません。
29:11わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
31:3主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」

 このような慰めに満ちた言葉がエレミヤ書に語られます。25章には捕囚となって連れて行かれた人々が70年後に帰還する予告もされます[4]。
 31章には「新しい契約」が宣言されます。
33…わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。[5]

 このような慰めや希望に満ちた言葉が語られるのもエレミヤ書です[6]。将来、囚われた人も帰ってくる。主は災いではなく平安を与える計画がある。「新しい契約」を立てて、私たちの心に神の御心を記してくださる。だからこそその主に立ち返って、今、亡国の事実を見つめて、悔い改めなさい。この社会の悲惨、苦しみに喘いでいる人の声を聴いて、嘆きなさいと、エレミヤは語り続けました。でもそう語っても、聴いてもらえません。それどころか笑われたり、命を狙われたりする目にあうのです。その事が今日の箇所でも吐露されています。

17:14「私を癒やしてください、主よ。そうすれば、私は癒やされます。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。15ご覧ください。彼らは私に言っています。『主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよ。』

 聴いてくれるどころか馬鹿にされる。その嘆きが、随所に出てくる。預言者の内面の思いを最も伝えているのもエレミヤ書です[7]。この言葉も絞り出すように叫ばれているのでしょう。
16…私は、あなたに従う牧者になることを避けたことはありません。癒やされない日を望んだこともありません。あなたは、私の唇から出るものが御前にあることをよくご存じです。17私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。
 こう逞しく語っています。嘆き、癒やしを求めつつ、
「癒やされない日を望んだことはない」
と主に助けを確信しています。
 これは、エレミヤの成長でした。一章で、まだ若かったエレミヤが預言者として神に召された時、エレミヤは最初、辞退しようとしました。臆病でした。
6「私はまだ若くて、どう語って良いのか分かりません」

しかし、主は言われます。

7「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。
8彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」

 この言葉通り、主はエレミヤと一緒にいてくださいました。エレミヤが嘆き、疲れる時も、その言葉を受け止めてくださっています。いいえ、主ご自身が民のため、人間のため、傷ついて嘆きを忘れた人のために、なりふり構わず嘆いています。
 新改訳聖書では、一人称の「私・わたし」を、人間の場合は漢字の「私」、神やイエスの場合はひらがなで「わたし」と区別しています。これは親切なのですが、エレミヤ書はこれが難しいのです。どっちと訳していいのか分かれる。いや、あえてどっちとも読めるくらい、神とエレミヤが一つになって嘆いている。エレミヤの涙は主の涙でした。預言者の涙は、私たちのために嘆く神の涙です。だからエレミヤは自分の嘆きを恥じたり我慢したりせず、率直に吐露しています。同時に主を
「私の賛美…私の身の避け所です」
と告白しています。
「癒やされない日を待ち望んだこともありません」
と、主を待ち望み続けたのです。そういう意味では、嘆きつつ希望を語った主イエスの先取りなのです。
 エレミヤは、人の罪が招く悲惨を確り見つめて、指摘しました。避けられないバビロン軍によるエルサレム陥落を予告しつつ、その先にある希望を語りました。その最たる希望が
「新しい契約」
でした。エルサレム陥落なんて「最悪」と思える絶望的な出来事ですが、エレミヤは「最悪」に見える神のさばきの先にこそ、人が思いもつかない「新しい契約」を主が備えてくださっていると語ります。だから、その主に立ち返りなさいと強く語るのです。「回復」という言葉が最も多く出てくるのもエレミヤ書です[8]。悔い改めたら回復してあげよう、ではなく、私たちのために嘆いてくださる神の回復があるから、その神に立ち返りなさい、なのです。神の、大きくて、熱いご計画を、エレミヤ書は教えてくれます[9]。

「天地を造られた主よ。天地の法則が確かなように、あなたは私たちを確かに回復なさいます。今もあなたはここに働いて、心からの悔い改めと感謝を与えようとしておられます。私たちはその御国を信じます。だからこそ、エレミヤが語ったように、今の不正や現実を、嘆き、悲しみ、心を取り戻したいのです。そして深い、心からの賛美を喜び歌う日を迎えさせてください」
[1] http://www.sujp.org/biblereading.html
[2] 今回の参考として、ブルッゲマン『預言者の想像力』107~127頁、動画「エレミヤ書」(Bibleプロジェクト https://www.youtube.com/watch?v=mbmWnapAZhg)。
[3] エレミヤは、ヨシヤ王の時代に預言者として召されました。ヨシヤ王は敬虔な王で、偶像崇拝を一掃しようとしたのですが、強硬な改革で、本当の悔い改めにはならなかったようです。その息子のエホヤキム、更にその子のエホヤキン、次のゼデキヤ王の時、バビロン帝国軍がエルサレムを陥落して、残された民もまだ混沌としている。その50年の間を、預言者として活躍したのがエレミヤでした。
[4] 25:11-12「この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──主のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。13わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。14 多くの国々と大王たちは彼らを奴隷にして使い、わたしも彼らに、その行いに応じ、その手のわざに応じて報いる。』」。ダニエルはこの言葉を知って、バビロンから祈っています。ダニエル書9章2節。
[5] 「新しい契約」の箇所を、もう少し前後を長く引用します。「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。34 彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」
[6] この他にも、次のような言葉は有名でしょう。9:23~24「 ──主はこう言われる──知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。まことに、わたしはこれらのことを喜ぶ。──主のことば。』」、10:23~25「主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。24 主よ、私を懲らしめてください。御怒りによらないで、ただ、公正をもって。そうでなければ、私は無に帰してしまいます。25 あなたを知らない国々の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって滅ぼし、その牧場を荒らしたからです。」、13:23~24「クシュ人がその皮膚を、豹がその斑点を、変えることができるだろうか。それができるなら、悪に慣れたあなたがたも善を行うことができるだろう。24 わたしは彼らを、荒野の風に吹き飛ばされる藁のように散らす。」、17:9~10「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。10 わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれその生き方により、行いの実にしたがって報いる。」、20:8~9「私は、語るたびに大声を出して『暴虐だ。暴行だ』と叫ばなければなりません。主のことばが、一日中、私への嘲りのもととなり、笑いぐさとなるのです。9 私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。」、20:14 「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。15 のろわれよ。私の父に、『男の子が生まれた』と知らせて、大いに喜ばせた人は。」、23:7~8「それゆえ、見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、もはや人々は『イスラエルの子らをエジプトの地から上らせた主は生きておられる』と言うことはなく、8 『イスラエルの家の末裔を、北の地や、彼らが散らされていたすべての地から上らせた主は、生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」、同23~24「わたしは近くにいれば、神なのか。──主のことば──遠くにいれば、神ではないのか。24 人が隠れ場に身を隠したら、わたしはその人を見ることができないのか。──主のことば──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──主のことば。」、29:4~7「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。7わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』」
[7] エレミヤの告白: 11:18-12:6、15:10-21、17:14-18、18:18-23、20:7-18。神との対話は、1:4-19,24:1-3
[8] エレミヤ書30:3「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる──主は言われる──。わたしは彼らを、その父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」、18 ──主はこう言われる──見よ。わたしはヤコブの天幕を回復させ、その住まいをあわれむ。都はその丘の上に建て直され、宮殿はその定められている場所に建つ。」、33:6「見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。7 わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。」、11「楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。彼らは言う。『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と。わたしがこの地を回復させ、以前のようにするからだ──主は言われる。」、26「わたしは、ヤコブの子孫とわたしのしもべダビデの子孫を退け、その子孫の中から、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ぶということはない。しかし、わたしは彼らを回復させ、彼らをあわれむ。」、48:47「しかし終わりの日に、わたしはモアブを回復させる。──主のことば。」ここまでがモアブへのさばきである。」、49:6「その後、わたしはアンモン人を回復させる。──主のことば。」、39「しかし、終わりの日になると、わたしはエラムを回復させる。──主のことば。」
[9] エレミヤの名前は「主は基礎づける」とも「主は高められる」とも訳せます。「基礎づける」と「高める」は正反対のようですが、神は土台をしっかり据えられるからこそ、高められるお方です。大きな山は、裾野を広く持ち、人を下から支えているではありませんか。
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