goo blog サービス終了のお知らせ 

物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

町田茂さんが亡くなっていた

2019-07-10 11:47:37 | 物理学

町田茂さんといえば、京都大学理学部の物理学の教授だった。

町田さんには、ちょっとしたかかわりがある。町田さんが勤めた大学は3つだと思うが、彼が一番初めに勤めたH大学での町田さんの教え子が私の先生たちであった。

ということで、出身大学の研究室の同窓会の開催のときにはいつもご案内を差し上げていた。同窓会に来られたことはなかったが、そのときにいつも丁重なご返事をいただき、彼の近況報告をできた。

あまり私の先生方からは町田さんについて聞いたことはない。一番はじめに町田さんにあったのは素粒子・原子核・宇宙線三者の 若手の夏の学校だったと思う。

武谷三男の核力についての研究方針である、核子と核子の距離が遠いところでの力がそこでは弱いから、摂動の計算が近似としてよいという説明をされたのがなかなか見事だと思った。

大体、その当時は強い相互作用では結合定数が1よりもぐっと大きく、摂動論が使えないというのが定評であった。

現在では、強い相互作用はクォークとクォークの距離が小さいところでは、力はあまり働かず(asymptotic freedom)摂動論が使えることになった。これがいわゆるQCD (Quantum Chromo-Dynamics) である。

逆に、クォークをハドロンから引き出そうとすると、無限大の力が働いてクォークをハドロンの外に引き出すことができない。いわゆるクォークの閉じ込め (quark confinement) が起こっている。

ということで、いかに摂動論が使えるところ探すかが、大事になる。しかし、QCDができる、はるか以前のことだから、その適用範囲でうまく摂動論を使うという考えに感心したのであろう。

 


数学・物理通信9巻5号も発行

2019-07-09 14:23:16 | 数学

今日、9巻5号も発行した。

これでようやく6月分の仕事が終わった。やはり6月中の仕事の始まりが10日遅れたことがきちんとそのまま響いたことになる。おかしなものだ。

もっとも、9巻5号を発行する気持ちはまったくなかった。自分でも予想がついていないのだが、ときの勢いというものはある。実は足し算をしてみると、この9巻5号は「数学・物理通信」は通巻で80号となる。だから、100号で総目次を発行するつもりであったが、それは数年さきになるので、私がそこまで生きている保証はない。だから、この機会に総目次を発行しようかと考えている。

そのほかにいままでの全部80号をまとめて、国会図書館にCDかなにかで寄贈しようかと考えたりしてもいる。そのことが実現するか、どうかはわからないが。


Cardinal number

2019-07-08 12:19:10 | 数学

Cardinal numberというのは私は集合の数、すなわち、基数のことだと思っていた。ところが集合の濃度という意味もあると最近ようやく知った。

数学者の N さんによれば、集合の濃度という訳は知っていたが、基数という意味は知らなかったというから、立場が違うと訳語も違ったものとなる。

基数、序数というのがcardinal number, ordinal numberの世間で通用している訳語だと思うのだが、数学者の遠山啓はそれぞれを集合数、順序数といっていた。

『新明解国語辞典』(三省堂)によれば、cardinal numberは基数、集合数、計量数という言葉が出ていた。ordinal numberの方は序数。順序数という語であった。

話は濃度になるが、集合の濃度はcardinal numberであるが、溶液の濃度はもちろんcardinal numberではなく、concentrationという。これも何十年も昔に論文のタイトルかなにかで見て、あれ、これはどういう意味だろうと辞書を引いたのを覚えている。

もちろん、concentrationの普通の意味は「集中」であろう。ちなみに、あまりいい意味ではないが、ドイツ語でKonzentrationslagerは(ナチスの)強制収容所のことである。

ラテン語を学んだことはないが、イタリア語をかじったことがあるので、conは「一緒に」とか「ともに」とか意味の接頭辞であることを知っていた。


数学・物理通信9巻4号の発行

2019-07-06 17:35:34 | 数学

今日、7月6日数学・物理通信9巻4号を発行した。やれやれ。

続いて、6月分ということで9巻5号の発行を目指している。前に編集済であったが、ちょっと変更をくわえて、発行するつもりである。

来週中くらいの発行を目指している。あまり決められた月以外に仕事が残るのは望ましくはないのだが、6月の出発が10日ほど遅れた影響を受けている。

それにしても投稿くださる方がいて、割と楽に発行できるのはありがたいことである。

午前と午後2時過ぎまではその仕事にかかわっていたので、ブログは後回しにされた。

午後3時からは愛媛日独協会の総会と講演会があったので、それに出席をしていた。


「ダイソン教授に聞く」から 3

2019-07-05 16:45:52 | 物理学

ドイツ語圏の研究者をダイソンがどう見ていたかを書く。

パウリは高等研究所(IAS)に大戦中いたが、あまりそのときは孤独で幸せではなかったが、1951年にスイスで会った。彼はそのころ進んでいた宇宙線の実験の結果を全て知っており、量子電気力学の摂動展開の収束について議論したが、彼はその級数が発散するだろうと言った。現在では級数は発散することが知られている。

ハイゼンベルクは高等研究所(IAS)には、来なかったが、アインシュタインを訪問したという。アインシュタインと交友があったある女性の日記にハイゼンベルクはあまりよくは書かれていないとか。そのうえ、彼が助手の人の才能を開花させなかったとあまりいい評価を下していない。

ヤンとミルズのゲージ場理論はパウリの否定的な見解に提唱者のヤン自身も含めて影響を受けたという。理由はヤンのゲージ場が質量をもたないために、自然とは何の関係もなく、無意味だと考えたからである(注)。

高等研究所(IAS)は気候科学と計算機科学の中心になりそこねたが、いまではMITとIBMとが科学の中心となっている。また、気候科学はUCLAとノルウエーとが中心となっている。

3回にわたった「ダイソン教授に聞く」はKavli IMPU No. 26 (2014)からの抜粋である。正しく抜粋していないかもしれないので、関心を持たれた方は元の文献にあたってください。

(注)これは現在では対称性の自発的破れからゲージ場のウィークボソンも質量をもてるようになったことから評価が変わってきている。

 ダイソンがWentzelの場の量子論のテクストを読んだということは彼自身が書いているので知っていたが、その前にHeitlerの"Quantum Theory of Radiation"(輻射の量子論)を読んでいたことは知らなかった。やはり手順を踏んで、場の理論を学んでいたことを知った。

(2021.7.28付記) ちなみに私が最初に場の量子論を学んだ本がHeitlerの"Quantum Theory of Radiation"(輻射の量子論)であった。有名なCompton散乱の計算(Klein=Nishinaの公式)を夏休み前だったかにチェックしたことを覚えている。その当時のノートはまだどこかにあるはずだ。

もちろん、その後に共変的な量子電気力学はK"allen(チェレーン)のQEDで学んだ。これはドイツ語の書であり、私が曲がりなりにも読んだことのあるドイツ語の本はこれ一冊である。

K"allenはスエ―デン人であり、ドイツ語は彼にとって外国語であるから、ドイツ語としてはやさしいと思う。Handbuch der PhysikのK"allenのQEDの前にはPauliの量子力学がある。これは量子力学の3大名著の一つと言われている。


昔、書いたエッセイの発見

2019-07-05 12:44:13 | 日記

「古本を読む」というシリーズのエッセイを見つけた。とはいってもそれはたったの7回にすぎないが。

こういったシリーズで文章を書いたことは他にも「ドイツ語圏世界の科学者」というシリーズもある。これもあまり回数は多くなくて、18回で尻切れトンボになった。こちらは N さんという方が、愛媛ドイツ会という小さな団体を組織して、Zeitung der Deutsche Gruppe in Ehimeという少数ページのコピーのパンフレットを発行し始めたときに、ドイツ人の R 氏がなにか書きませんかと言われて書き始めた。

ドイツ語の先生で大学に在職中に亡くなったある方から文章が上手ですねと褒められた(?)が確かに短い文章ではあるが、何回も推敲した覚えがある。第1回はオットー・ハーンで始まり、第18回のシュレディンガーで終わった。

これはたぶんZeitung der Deutsche Gruppe in Ehimeというサーキュラーが発行されなくなったので、連載が中止と自然になった。最後のシュレディンガーはたぶん掲載されなかったと思う。

それでその連載の全部を『燧』という今治総合文化研究所という物々しい名前のところから出されていた雑誌に全文一挙に掲載した。19ページにわたるエッセイであった。


武谷技術論の意味

2019-07-04 13:32:54 | 日記

武谷技術論の意味はそれ以前に存在していた、技術とは「労働手段の体系である」とした定義に対して、まったく別のテーゼであった。武谷技術論が正しいか、「労働手段の体系説」正しいかという議論も意味はある。

しかし、問題はもっとちがうところにあり、別の技術の定義が出てきたことで、議論が深まったところにその重要な意義があると思う。

そういう議論は私自身はみたことがない。何でも単に一つの説で閉じているときにはあまり発展は期待できない。異なった説がでてくると自分自身もちがったものの見方ができるようになるときに発展がある。

そういう点では科学の歴史において、武谷三段階論が正しいかどうかもさることながら、そういう新しい考えの提唱によって、議論が深まる。そういった点で新しい説は役立つと思う。

第一、広重徹さん自身が「武谷三段階論はなり立っていないという説」で自分自身の存在意義を示した。それは一つの効用であるが、あまり影響を与えるものではないと思っている。

(2019.7.5付記)  武谷の技術の定義を書いていなかった。「人間実践(生産的実践)における客観的法則の意識的適用」が技術である(『弁証法の諸問題』(勁草書房))

新しい見解を発表して議論を巻き起こすのは、それテーゼ自身の正否も重要であるが、それ以上に影響が大きくて貢献度が大きいのではないかという観点である。あまりこういう観点からの議論はなかったと思う。

 


AIに感情をもたすことは可能か

2019-07-04 12:54:09 | 日記

昨夜のNHKのEテレの超AI入門でAIに感情や共感とかをもたせることが必要な時代がやってくるのではないかというような話題が取り扱われていた。

倫理学者のインタビューであったのだが、論理だけで物事が決まるという時代はすぎたということだろうか。もっともその前の週のテーマはAIの判断を人間が理解できないことが問題になっていた。

これで思い出すのは武谷三段階論である。これは人間の自然認識等をテーマにしたものであったが、AIに感情を持たせることよりも前に「AIの判断を人間が理解できないこと」の方がむしろ深刻なテーマかもしれない。

将棋とかでAIの手を人間が理解できないとかいうことがいわれている。しかし、それはAIの判断を一つの自然現象と考えて、それを人間が理解するという風に考えれば、AIが人間に与える謎も自然を人間が探求していったときに遭遇する謎も似たようなものかもしれない。

要するに、「AIも人間がつくった拡張Aされた自然だ」と考えれば、AIの判断もすぐにはわからないかもしれないが、理解する方途はあるのであろう。

それにしても「AIが下す、ある判断はどういうことから来ているのか」ということを人間が判断するということで、また人間の認識の構造が分かるようにならないかという夢もある。


武谷三男の和文論文目録

2019-07-03 18:17:35 | 物理学

武谷三男研究の第一人者とでもいうべき N さんがつくった和文論文目録を整理している。

エッセイも含めて彼が作った目録の中の論文数は860以上ある。どういう風にしてNさんがこの目録をつくったか尋ねてみたい。

武谷の著書目録は私がつくったし、論文目録も英語で発表されたものは私がつくったが、この和文論文目録はかなり強烈な目録である(注)。

(注) 私の「武谷三男の著作目録」と「武谷三男の論文リスト」はいずれも改訂がされて、一番新しい版はいずれも「素粒子論研究」電子版で読むことができる。


三角関数の加法定理の導出

2019-07-03 12:28:14 | 数学

ここ数日は三角関数の加法定理をどう導入するかについて考えていた。平面上でのベクトルの回転から加法定理を導入したいと考えて武藤徹先生のテクストなどを見ていた。

もっとも、これはどうも「鶏が先か、卵が先か」といった様相を帯びている。加法定理を使わないで、平面上のベクトルの回転の説明することができるか。

武藤先生は平面上の直交座標系上の単位ベクトル(1,0)と(0.1)とが反時計方向に角度 \theta だけ回転するとそれぞれ

(\cos \theta, \sin \theta)と(-\sin \theta, \cos \thteta)となるので、これを列ベクトル式に表すことから、よく知られた回転行列を導出している。すなわち、

 \cos \theta   -\sin \theta

   \sin  \theta    \cos \theta

である。ただ、その論理がまだ十分に了解できていない。

他の本を参照すべきだろうか。

すでに三角関数の加法定理の導出法については『数学散歩』(国土社)でいろいろ述べている。しかし、このときにはいろいろな知識を前提としていたので、少数の前提から加法定理を導出するという、教育で普通の行われる過程を行ってはいなかった。

しかし、高校時代に学んだような、図形からの加法定理の導入をしたくないのだ。

オイラーの公式から加法定理を導入するということも考えられるが、そのときにはオイラーの公式の導出にはマクローリン展開をする必要があるので、三角関数の微分を導入する必要がある。

それはそれでいいのだが、そんなことをしないで三角関数の加法定理を導けないかと考えている。

(2021.9.28付記) 『数学散歩』(国土社)に書いていた三角関数の加法定理の導出法を改訂した記事を「数学・物理通信」11巻6号に書いた。もっともここでは幾何学的証明は省略した。これは暗に三角関数の加法定理の導出の続編を書くつもりがあるからである。

武藤先生の三角関数の加法定理の導出法を突き詰めて考えたつもりである。それに三省堂の高校数学のテキストにある導出も突き詰めて考えたつもりである。

 

 


「ダイソン教授に聞く」から 2

2019-07-03 11:48:07 | 物理学

ダイソンはイギリス生まれのアメリカ人である。

いろいろな物理学者への感想があるのだが、湯川とは数度あったが、物理の話しをしなかったから、政治の世界で活躍していたという感じをもっている。

また、オッペンハイマーは複雑な性格の人で、まったく口をきかなかった二人の物理学者がいた。一人はファインマンの先生にあたるホイーラーだった。もっともダイソンはホイーラーはもっと高く評価されてもしかるべきだとの意見である。

これはうなずける判断である。しかし、ホイーラーは右翼で、政治的な思想はいけなかったらしい。そのことがオッペンハイマーが口を利かなった理由かもしれないといっている。

これはヤンの述懐でもあったと思うが、オッペンハイマ―はブラックホールの生みの親の一人でもあるのに、ブラックホールの存在が観測から確かにもなったときでも、それに言及すると話題を変えたという。

アインシュタインもブラックホールに否定的だったというから、なかなか知的巨人も時代遅れになっていたのかもしれなない。

 


「ダイソン教授に聞く」から

2019-07-02 15:50:21 | 物理学

Kavli IPMUのニュースにたまたま行き当たった。これにフリーマン・ダイソンがKavli IPMUに来たときのインタビューが出ていた。

いろいろなことをダイソンに聞いているのだが、現在の科学と関係のあることを一つだけ書いておく、

ダイソンは地球の気候に関係した研究が行われるべきだと思っているが、現在の二酸化炭素だけの増加を問題とするだけの気候学研究はあまり成果がないのではないかという風に思っているらしい。

彼は二酸化炭素だけではなく、水分の空気中の含有率を正確に測定して、気候変動とか予測に使うことが大切なのではないかと考えているらしい。

Princeton 大学のInstitute for Advaced Studyでもコンピュータ科学と気象・気候学を重点的に盛んにする可能性があったのにそれが周りの教授の賛成が得られず、振興できなかったことを残念がっている。

素粒子物理関係の実験が巨大な費用と時間がかかることを憂いているというふうではないが、

もっと経費のかからないというか、低予算で行われる研究にも目を向けるべきだという感じがある。

(2020.11.21付記) 
ここで述べたDysonの意見を見ると、日本でも朝永振一郎さんが晩年に地球物理学をもっと研究すべきだとか言っていたことととの類似性を感じる。もっともこの朝永さんの考えに対して武谷三男の反論もあることを注意しておこう。

 

 

 

 


意外なことに

2019-07-02 11:23:21 | 日記

意外なことに大坂なおみ選手がウインブルドンの1回戦で敗退した。それも2連敗していた相手に負けたので、3連敗となった。

本人にも意外であったかもしれないが、そのゲームを視聴していた日本のファンが一番落胆したのではあるまいか。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(野村克也)とかいうから、当然の負けであったのかもしれない。

メンタルなものなのか、それともテクニカルなものなのかわからない。全米、全豪を2連覇した後にコーチを解任して世間を驚かした。

そのコーチとテニスをするのが楽しくないというものだった。そうだったのかもしれないが、我慢が必要ではなかったろうか。

私のような心ないことをいう人が出てくるだろう。世間では結果がでないと失望されるのは世の常である。耳がいたいかもしれないが、ご辛抱です。

世間の不評を次回の成績で吹き飛ばしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界平和アピール七人委員会

2019-07-01 14:55:46 | 日記

一言いえば、世界平和七人委員会の声明文にまったく共鳴するので、このブログにその声明を載せた。Tetsu

 

 

 

2019年7月1日 WP7 No.134J

不誠実な外交・内政との決別を―参議院選挙を前にして―

世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 髙村薫 島薗進

 

6月下旬、アメリカの複数のメディアはドナルド・トランプ大統領が、日米安全保障条約を不平等だとして破棄する可能性について、さまざまな場で再三言及していることを報じ、日米の政府当局者は直ちにこれを否定した。ところが、G20(主要20か国・地域首脳会議)閉会後の記者会見で記者の質問に答えたトランプ大統領本人は、同条約を破棄するつもりはないが、不平等だとあらためて言明したのである。G20に合わせて行われた日米首脳会談で、安倍晋三首相はいったい何を話し合ったのか。日本として誤解を解く努力もせず、真意も問いたださず、国益を踏まえた主張もせずに済ませてよい問題ではない。日本の根幹をゆるがすこの問題について、首相の口から国民に何も語られないのは、どういうことか。

 また安倍首相が米軍基地の実態と沖縄県民の意思をトランプ大統領に伝えた形跡も、一切伝わってこない。米軍駐留経費の受け入れ国負担は、日本が金額でも負担割合でも最大であり、2位以下の他国を大きく引き離している。日米安全保障条約とその第6条に基づく駐留米軍の地位協定は、米国との他の同盟国と比べて、日本にとって著しく不平等になっている。政府は、日本国民が苦しんでいる不平等性の具体的解消に速やかに努めなければならないのに、誤解に基づく対日政策が続くことになる。

 北方領土返還交渉においても同様である。安倍首相は、個人的な「信頼関係」で領土交渉の突破口が開けるかのような幻想を振りまいてきたが、4月23日に閣議決定された外交青書から、国是であった「北方四島は日本に帰属する」の文言が突然説明なく削除された。2016年11月には訪ロした谷内正太郎国家安全保障局長が、ロシア側から返還後に米軍基地を置く可能性を打診されて、可能性があると答えたと報じられた。非武装地帯にできないようでは、返還が実現できないのは明らかである。

 外交軽視・信頼の不在は朝鮮民主主義人民共和国との関係でも見られる。声高に圧力をかけることを主張していた姿勢からいつの間にか転換し、拉致問題を国際社会に訴えるために2008年からヨーロッパ連合(EU)と共同で国連人権理事会に提出してきた対北朝鮮非難決議案からも説明なく降りてしまった。国内外に誠意のある説明を尽くした上であれば方針変更を理解してもらう可能性があるが、それがないのだから迷走でしかない。

力の強いものに従属することで庇護を得ようとする外交姿勢は、日本の立場を弱めるものである。

国内に目を向ければ、首相は通常国会での予算委員会開催に消極的であったし、年金問題など国民が関心をもつ諸問題を誠実に国民に説明する姿勢を見せなかった。首相が官邸で官庁幹部と面談する際、記録を何ら作成していないことも明らかになった。自らは強者として力を行使しつつ、そのことに責任を負わないというのでは、民主主義国家の政治家として失格であり、人間としての道義に反する。

このような政治は国の未来を危うくする。集団自衛権は放棄し、専守防衛に徹してそれを超える装備を持つことなく、すべての国との自主的な友好関係を積み上げる外交・内政を目指していくことこそが、日本の安全を高めるものである。

来る参議院選挙において、安心して住める安全な日本を創るために、有権者一人一人が熟慮して投票されることを期待する。

連絡先:http://worldpeace7.jp

 


早くも半年たった

2019-07-01 12:58:59 | 数学

今年は「少し頑張るかな」などと正月に決意したような気がするが、それも半年も経つと忘れてしまった。

頑張っていないともいえないが、どうだろうか。だいたい「数学・物理通信」も発行月に2号の発行が定着化しつつある(注1)。

それでも6月分はまだ1号しか発行しなかった。しかし、もう1号は編集後記ができるのを待っている段階だし、ひょっとすると、さらに5号の発行ということにもなるかもしれない(注2)。

これはずっと以前に投稿を頂いていたのを、すっかり忘れてしまっていた原稿があった。だが、これを投稿者の注意によって気がついた。だからこれをできるだけはやく掲載したい。編集者の怠慢であるから、今回は無審査で掲載する。

原稿のレフェーリはしないのだが、それでもまったく無審査というわけでもない。そこが曰く言い難しだ。

(注1)3の倍数の月に発行する。すなわち、3月、6月、9月、12月発行である。

(注2)何でも書いてみるものである。ちらっと5号の発行がありかもしれないと書いたら、いつも投稿をくださる S さんから、5号への投稿をしてもいいかとのメールをもらった。ありがたい、ありがたい。

実はもうほとんど発行の用意はできている。編集後記も書いていた。しかし、S さんの投稿で5号の模様替えをしなくてはいけないかもしれない。