保坂正康さんが2月7日の朝日新聞の書評欄に鶴見さんの『「思想の科学」私史』と『まなざし』という2冊の遺著とでもいうべきものを取り上げておられた。
そして保坂さんが同志社大学の出身であり、鶴見さんの講義を聞かれた方であるということを知った。この書評欄は書評というよりはむしろ保坂さんの鶴見さんの思い出を述べられた文章でもあるかのように思われた。
この2冊ともまだ私は手に入れてないが、ぜひ読んでみたいと思っている。保坂さんが鶴見さんの講義を聞いたころは鶴見さんがまだ39歳のころであり、いまでいうならば、鶴見さんが青年であったころといっていいだろう。
そして、その後保坂さんはノンフィクション作家となった。保坂さんは1939年生まれらしくちょうど私と同年である。そのせいかどうかはわからないが、私には一度も保坂さんにお会いしたことはないが、ちょっと親しみを感じている。
Gennaio 'e un mese freddo, che congela le manine e fa il nasino rosso come le fragoline.
Ma noi andiamo a scoula anche se freddo fa i bambini della scuola so tutti coraggiosi.
とあった。
一部は辞書を引かないでわかったが、Gennaio 'e un mese freddoとは「1月は寒い月だ」だろうか。
noi andiamo a scuola は「私たちは学校に行く」だろうか。あとはわからない。辞書を引いてみないと。
少なくとも私にはわからない詩のように思えたので、ここに書き出してみた。
2行目は
We, however, go to school in spite of cold boys and girls in the scool are playing with joy.
だろうか。1行目は辞書が小さい辞書なので言葉があまり載っていないのだが、
January is a cold month that freeezes hands and becomes noses red as strawberries.
だろうか。
いずれにしても自宅においてある、伊和辞典をもってこなければわからない。il nasino がわからなかった。
というのは森毅氏の講談社学術文庫に収められた書の題名(原題 『計算のいらない数学入門』(光文社))である。この書を先日何とはなしに手を取って読んでいたら、69-72ページにかけて武谷の三段階論への言及があった。
これを私の集めている「他人から見た武谷三男」に収録したいと思っている。森さんはさすがに教条的に考えないとすればとの条件付きながら、ポジティブに評価をしていると思う。
発想の契機とするにはなんでも役に立つと思うことを利用すればよい。森さんはそれに加えてそのある種の発展を与えた板倉さんの二つの実体論から本質論への契機にも言及している。
一つは基本的な矛盾がみずからを解決していこうとする運動ともう一つはある実体的なものが、そうした矛盾を反映しながら解釈を受けていくことで量子力学を論じたときのUmbedeutungを板倉は転釈、「転じて解釈される」というとあった。
実は板倉が書いた論文はこのことを多分読んだことがあると思うのだが、こういう風にまとめることができなかった。さすがに森さんは私なんかよりも数等も頭がいい。
これもともに「他人からみた武谷三男」に収録をしておきたい。それと最近原田正純氏の書の『水俣への回帰』(日本評論社、2007)にも武谷思想への言及があるらしい。これは前にそのような書があるらしいとは知っていたのだが、それが何だったかわからなくなっていたのだ。
(2017.2.10付記) 「他人からみた武谷三男」に森さんの武谷三段階論の評価は結局引用しなかった。このことをブログに書いておきながら、その事実を忘れてしまったらしい。それと他の引用をした人ほどインパクトがなかったことも理由であろう。
なぜか「ウナ セラ ディ トウキョウ」という歌謡曲があったことを思い出していた。車に乗ったときに、NHKのFMをよく聞いている。そのときたまたまブラジルの曲かなんかが流れていた。
Una Sera di Tokyo ウナ セーラ ディ トウキョウとはどんな歌謡曲だったかは忘れてしまったが、なぜだかこの曲名のみが頭に残っているだけである。
もっともウナ セーラ ディ トウキョウという文句が曲の最後にあったことだけは確かである。訳すると「東京の一夜」ということであり、それが若い女性か男性の恋の歌だったのだろうか。
Buona Sera ブォナ セーラは「今晩は」にあたるイタリア語である。ちなみに「今日は」はBoun Gi'orno ブォン ジョウルーノである。
大学院生のころにイタリアから来ていた研究生から、イタリア語を教えもらったことがある。もちろん1対1ではなくちょっとしたクラスである。彼はLivio Allessiという名でトリノの出身だった。彼は教育学部の Y 先生の研究室におられた。Y 先生はイタリア史か何かが専門であったのだろう。
その前にはバッサリーノという女性が彼の研究室におられて、やはりイタリア語の講習会を開いておられたが、そのときにはイタリア語を学ぼうとは思わなかった。
Ci sono ~とかc'e ~とかいうのがイタリア語で「~がある」という言いかたである。だからAlessi氏はまず「あります」という。そのつぎに「~が」というわけである。まるでCi sono ~を単に日本語で言いかえているだけだが、それでも日本語は語順に融通が利くのでわかる。
彼にイタリア語を学んでいた頃に、大学の食堂で昼食の時に彼にあったときに「昼間はなにをしているのですか」と日本語で言ったら、この「昼間」という語の「間(ま)」に彼はひっかかってしまった。いまならin giornoとかなんとか助け舟を出せたかと思うが、そのときはどうしていいかわからずその語は大したことではないとか言って済ませた。
もう50年以上も昔のことである。もっともその後イタリア語を勉強したことはないのはあまり若いときの貴重な経験を生かしているとは言えない。
を昨夜、Eテレでみた。自分の人生に満足しているかというアンケートがそのなかであったが、自己採点すると20点であり、まずまず自己満足していることがわかった。
楽観主義を支えている要素は
1.ポジティブな思考
2.ポジティブな行動
3.根気と粘り強さ
4.自分の人生をコントールできる
の4つがその要素だとあった。特に1と2だけではなく、3と4とが重要な要素になっているとの指摘がされていた。多分3と4の要素が実は楽観主義の人生を決めているという。
それも単なる楽観主義ではなく、「現実を直視した楽観主義である」とのことであり、成功している人の多くはこのような特徴を備えているとのことであった。
楽観脳と悲観脳をサニー・ブレインとレイニー・ブレインと象徴的に表している。「他人との比較をするな」とか「自分は何をしたいのか」をよく考えることが重要という指摘はなるほどと思わされた。
人はいつも
1.うつ
2.ぱっとしない状態
3.万事順調
の3つの状態のいずれかだが、大部分の人は2の「ぱっとしない状態」なのだそうだ。
「家族や友人にと一緒にいることが幸せ」ということや「人生に目的をもつことが必要である」と強調された。白熱教室はNHKで何回もいろいろなテーマで放送されているが、途中で眠ることなく最後まで視聴できた数少ない機会であった。なお、これは昨年7月だったかの再放送である。
放送の最初のほうで人は認知バイアス(cognitive bias ?) をもっているといわれていた。
英語の勉強を兼ねて字幕とともに英語を聞くように努力をしているが、なかなか聞き取れない。
アクサンとはいわゆるアクセントのことだが、フランス語ではアクセントとトをつけては発音しない。さらにこのアクサンは綴りの一部であり、ないと学校等では書き間違いだとされるという。
だから、英語のようにそこを強調して発音するということではない。たとえば、e でもこれと 'e とは発音が違ったりする。e はフランス語の語尾にあれば、発音されないが、これが 'e のときにはエと発音されるとか。
さてプレタポルテだが、出来合いの服でお店で買って簡単に着ることができる服のことである。pretとは「準備ができている」という意味で、porterは「着る」という意味である。もっともporterは「携帯する」という意味もあろうか。
それであわてて修正をして送った。やれやれ。何回もチェックしているつもりだが、人間のやることだからミスがある。論文を書いた S さんにはお断りを入れないといけないだろう。
大体大抵のミスはこの S さんがご指摘頂くことが多かったのだが、今回は珍しくご指摘がなかった。私も編集後記を待つのにくたびれて肝心の目次の検討が十分でなかったし、編集後記が来てからあまりにあわてて発行したといういつもならしないと思われるようなこともあった。
こうやって考えてくると王さんとか長嶋さんの立派さがわかってくる。もちろん彼らが現役を去ってからの現役時代からの華々しさ比べてのさびしさは経験しているであろうけれども。長嶋さんも王さんも離婚は経験していないかもしれないけれど、奥さんに早く亡くなれている。そういう意味では寂しさを経験していないはずはない。
だが、自己を強く持って長嶋さんなら、自分のリハビリに頑張っておられる。王さんはソフトバンクホークスの会長さんで頑張っている。やはりこの二人は偉い。
だが、今回の逮捕で清原氏は麻薬と縁を切る試みへと移ることができたので、清原氏にとってもよかったのではないか。もちろんそういう麻薬に手を染めなかったほうがよかったことはいうまでもないが、してしまったもう取り返しがつかない。
そうではなくて新しい出発と今回の逮捕の機会をつかってほしい。またそれができるはずである。もっとも桑田氏のように清原氏に忠告をしていた人もおられたらしいが、そういうことが耳痛かったのであろう。それを聞く耳を最低もつべきであったろうが、しかしそれでもこれから新しい清原が産まれるとでも思えばいいだろう。
人間として再起を切に祈る。
昨夜のNHKのEテレの「100分で名著」でアドラーをとりあげていた。何という、著書かは知らない。いくつか放送を見ながらメモったことを書いておこう。
フロイトはリビド(性衝動)が行動を決めると言ったが、アドラーは劣等感が行動を決めるという。アドラーは言う。
1.意味づけを変えれば、未来を変えられる
2.原因ではなく、目的に目を向けよ
という。要するに目的の持ち方で未来を変えられるという。いくら過去のトラウマがあったとしてもそれに拘泥することは得策ではない。トラウマに拘泥しているということは拘泥するという決心をしていることだから、拘泥しないという決心をしさえすればいい。これは自分の決心を変えさえすればいいのである。
ライフスタイルを変えることが大切だという。
生き方を変えられないのではなく、変わらない決心をしているのだという。人生が困難なのではなくあなたが人生を困難にしているのだという。だから、自分の生き方を変えさえすればいい。
もっともこれが客観的にそうではない例もあろうが、大部分の場合においてはやはり自分が変わらない決心をしている、または変えられないと思い込んでいないか反省をしてみるべきだろうか。
だから、まず重要なのはライフスタイルを意識化することであり、続いてライフスタイルを変えることである。
最後にアドラーは
人は三日あれば自分を変えられる!
という。私たちはアドラーのこの積極的な考え方をとりたい。
まさに、過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられるのである。
人は同じことを経験してもその取り方はいろいろである。できるだけ積極的でポジティブな考え方をとって明るく生きたいものである。これは私の考えであるけれども。
今週の土曜日の放送では私の旧知の T さんがタモリの一行を案内しているらしい。ということで T さんを雑談会に読んで話を聞いたらどうかと思い出した。T さんは地学の研究者であるが、私の兄の友人であった K さんの教え子であったのではないかと思う。K さんももちろん地学の先生である。もっとも K さんは最近亡くなった。
私も勤めていた E 大学の私とは違う学部の T さんも K さんも先生であった。K さんは地学の研究の他に趣味とは言えないかもしれないが、洞窟学の権威でもあり、日本でも有名な方であった。毎年頂いていた年賀状には外国の洞窟を探検されたときの洞窟とかの写真がついていることが多かった。それに K さんが講談社から洞窟学の本をだされたときには、おめでとうと言いに行ったら、その書をもらったりした。講談社のblue backsは初版は数万部であるとかであった。
T さんの方はときどきネパールまで出張されて山岳の地盤のすべりの研究とか災害防止にも尽力をされていた方である。そういう大雑把なことを存じ上げてはいるが、詳しいことを知っているわけではない。今日帰宅したら、 T さんに電話をかけてみようか。
どうしてなのだろうか。ずっと120~140人くらいが続いていた。そう10年くらいだろうか。それが12月くらいから160人くらいが数日続いたことがあり、どうしたことかと心配になっていた。
とてもおもしろいというようなブログではないし、数学とか物理のテーマとかドイツ語やフランス語のことも書くようなブログである。もっともドイツ語もフランス語も初心者の域をいつまでたっても出ていない。
数学とか物理だってそんなに新しいことも書いていない。それに日頃感じたことだって誰でもが感じるようなことをただ書いているだけである。
新しい観点を持ちたいとはいつも思うけれどもそう新しい観点を見つけることなどできはしない。ということでマンネリ気味のブログである。
そうはいっても毎日新しい日は来る。なにかを書くという必要に迫られている。
インターネットでもニュートリノ振動の物理的なわかりやすい解説をあまり見かけなかったので友人の現役の物理学者である、K さんの旧稿を改訂して頂くようにお願いをしたところ K さんの忙しい中に尽力して頂けて掲載となった。
もっとも昨年の12月8日には私のところへ改訂された原稿を送って来られたのだが、なぜか私のところへは届かず待ちくたびれた12月30日にわたしは彼の論文を掲載できないまま、しかたなく5巻11号を発行した。ところがそれを受け取った K さんから実はすでに原稿を送ったのだがとのメールが届いた。それであわてて届いていないとのメールを送ったら、その日のうちに原稿が送られてきた。
もっともそれだけでは原稿量が少ないから私が何かを書いて12号をだそうかと思っていたら、常連投稿者の S さんから2編の投稿が新年あけ早々にあった。これで十分な量になったので、後は共同編集者の N さんからの編集後記を待つということになった。すぐにでも編集後記を書いてくれそうだったが、なかなか送ってくれず昨日やっと編集後記を送ってもらった。
それでようやくの12号の発行となった。ちょっと2015年中に掲載できるはずだった、ニュートリノ振動の解説論文の発行が遅れたけれどもそれほど大きく遅れたわけでもないのでまずはほっと胸をなでおろしている。
前半に韓国に2:0とリードされたときにはこのままずるずると試合をしてそのまま終わるのではないかと思われた。それが後半の浅野の投入で1点を入れて、そのときに浅野がベンチに寄らないようにと皆を促して攻撃を続け、さらに中島のヘッドによる得点を生んだ。
その後にまた浅野がボールを受け、彼の俊足が生きて、3点目をとった。これなど手倉森監督は当然みたいな顔してゲーム後にインタビューを受けていたが、いやあ、日本のチームの得点力の欠如を長い間見て来た一サッカーファンとしてはまさに隔世の感があった。
それ今回の大会以前のサッカーのゲームでもそうであった。だれでも機会があれば、得点できるような力をもってきているというのが実感である。これが若いU23のサッカーの実力でもあろう。愛媛FCでもプレイしたことがあるとかいう、原川のシュートも見事だった。
それまでは勝てないという悔しい思いを重ねてきたというが、うまいサッカーではなくて勝てる勝負強いサッカーができるようになっている。韓国との決勝戦でもすぐにボールをとられてしまって、なかなかボールのキープすらうまく行かない。どうもサッカーとしてはあまり上手に思えないほどであったが、それがポイントにはまれば得点力があってこんな力がどこにあったのかと思われた。
浅野にしてもそれまでもたびたび後半で起用されていたが、無得点であったのが、最後の決勝での2得点であり、それで日本を優勝へと導いた。要するにプレヤー誰でもがチャンスさえあれば、得点に絡めるようなチームになっているということであった。
いままで、予想外の得点を入れられたら、そのままずるずると挽回ができずに負けてしまうというゲームを見て来て、歯がゆい思いをしてきてだけに今回の成果は日本のサッカーの進化の一つを顕著に味わうことができるようになった。
これからの努力も並大抵ではなかろうが、今後のますますの健闘を祈ってやまない。
『資本論』の訳本を兄からもらって帰ってのはもう数年前だが、それをひらいてみることなどなかった。これは河出書房の『世界の大思想家』シリーズの中に入っている4冊である。
長谷部文雄訳の『資本論』である。この長谷部文雄は京都大学出身で、経済学者というのかどうかわからないが、『資本論』の訳本で知られた方である。
ご本人をもちろん存じあげないのだが、私の出身の I 市の出身であり、私の卒業した高校のはるかな先輩でもある。I 市の T という地区に長谷部さんの実家があり、立派な赤い塀のあるお屋敷であった。土地の大地主の家の出身である。1945年前後には数年ここに住まわれていたかもしれないが、あまり長くはここに住まわれていたとは聞いていない。娘婿の O さん一家がここに住まわれているとは私が大学生のころに聞いていたが、それももう50年くらいの昔である。
武谷三男は同じ京都大学の出身ということもあったのだろうか、ちょっとしたつきあいというか面識があったらしく、長谷部文雄さんの回想文集に寄稿をしていた。
これは義弟の O 氏が持っていた本の中で見つけたので、私もその本をインターネットで購入していまもっている。これなどは武谷三男の著作目録をつくったときにもちろん入れたが、たまたま見つけた文献であるから、武谷に関心を持って著作目録をつくっている人が他にいるとしてもなかなか目にはとまらない文献であろう。著作目録の第3版をどなたかがインターネットで紹介して下さっていたが、第4版が現在出ている最新版である。『素粒子論研究』電子版で見ることができるはずである。
それも改訂すべき時が来ているのだが、なかなか改訂に至らない。国会図書館の蔵書目録を見たら、追加しなくてはいけないものが増えている。もっとも国会図書館の中に入ってないものも私の著作目録には入っているということもある。
だが、第5版への改訂に取りかかる時期をまだ決めていない。
(2017.2.1 付記) このブログを書いてから、ほぼ一年が経っているが、上に述べた武谷著作目録の第5版はすでに『素粒子論研究』電子版に投稿しているので、インターネットで検索すればだれでも見ることができる。しかし、すでに少なくとも一つの文献を追加しなくてはならないことがわかっている。これは武谷が「近藤洋逸数学史著作集」(日本評論社、1994)第2巻の付録に書いた「近藤洋逸君の思い出」という文章である。いずれ追加をしなくてはいけないのだが、それがいつになるかわからない。
ただ、私の「武谷三男著作目録」よりも詳しい目録はいまのところ存在していないと思う。もっとも西谷正さんのつくっている、論文目録に上の文献が載っていて最近になって知った。いずれにしても数年以内に武谷の遺した文書等の目録ができるであろう。いま整理がされてその作業中である。
西谷さんの論文リストがどこかに公表されるといいのだが、それが公表される計画があるのかどうかは西谷さんから聞いていない。
ところがかけ算の順序とかその他のことでの訪問者が多くあったらしい。250名を越えたことはあまりない。ブログが炎上したときにはひょっとしたら数百の訪問があったかもしれないが、それは異常事態だから望ましくはない。今回は非難のコメントは入っていないようなので、まずは安心である。
かけ算の順序があるとかないとかという議論に加わりたくはない。数のかけ算では交換するというのは認められていることだが、それを教育上の論点とはしたくないということである。
どうもそこらあたりが論者のヒートアップする点であり、私が非難されたり、悪く言われたりする点でもあるが、悪く言いたい人には言わせておく。相手にしたくないというのが基本姿勢である。