goo blog サービス終了のお知らせ 

物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

李鐘元の言葉

2015-03-07 12:37:16 | 日記
今朝の朝日新聞に日本に来られてもう30数年になる、国際政治学者の李鐘元さんが言っておられる言葉が心に残った。これは「日韓 50周年を超えて」というインタビューで李さんが語った言葉である。

「『国家』や『民族』という概念とは距離を置いて、個人が伸び伸びと自由に生きることを可能にしてきたことが、日本の市民社会の大きな価値なのだと」

「戦後の日本人にとってその状態が当たり前だから、価値などあまり認識していないかもしれませんね。経済発展と同時に豊かな市民社会を実現した戦後の日本の経験は、間違いなく誇ってよいものです。アジアの国々も吸収すべきです」

ただ、私たちが韓国にせよ、中国にせよアジアの諸国を見下すようなことがあればそれはよくないことだと私は考える。

しかし、李さんには私たちの現在はまだ持っている社会のよさを指摘して頂いてよかったと感じている。私たちにはなかなかわからないことだったから。

IT産業とAI

2015-03-06 11:29:39 | 日記
日本のIT産業はすべからくAI(人工知能)の研究に勤しまなくてはならないだろう。

AI(Artificial Intelligennce)は昔から研究がされているもので、今日や昨日にはじまったものではないが、それでもますますその重要性が大きくなってくると思われる。

スウェ―デンの車メーカーである、ボルボが人が運転しない車の開発に勤しんでいるというNHKのクローズアップ現代の放送があったが、そういうものだけではなくいわゆるdeep learningといわれるようなものがAIの中に入っているという。

AIは多分高度な数学が必要なので、なかなか普通の企業で研究をすることは困難であろうが、これからの業界で生き残っていくためにはしかたがないことであろう。

このAIにしてもパスワードやなんかの問題での暗号などでも数学的に簡単ではないが、そういう分野に進出できないとIT産業としては自ずからその限界があるのではなかろうか。

教育分野でもまだまだ未開発の分野があろうか。私などが高校数学や中学校の数学に関心があったりするのも個人的な関心があるからではあるが、やはり最後にはそういうところに利用があるかもしれいないという気持ちもある。

ただ、産業的な意味ではdeep learningは意味をもつとしても科学研究に役立つものかどうかはわからない。

もし、それが科学研究にも役立つものだとすれば、認識論を考え直さなくてはならないかもしれない。

不眠症の人は眠るな

2015-03-05 10:44:00 | 日記

世の中に不眠症に悩む人は多い。この間新聞に出ていた見出しか読まなかったが、この見出しは「不眠症の人は眠るな」であった。

「おいおい、不眠症の人に眠るなとはひどい言い方ではないかい」と一瞬思ったが、そうではない。不眠症に悩む人は夜眠れないと訴える人が多い。そういう人でも結構昼の間に居眠りをしている人は多い。

そういう「昼間の居眠りをしないようにせよ」ということらしい。それなら、別に酷な注文ではないだろう。

私にしても床について眼が覚めて寝付けないときにはその前にテレビの前で居眠りをしていることが多い。

昼の間にいかに眠らないように努力するか。これが不眠症の一つの解決策であることは多分間違いがないだろう。

また、不眠症ではない人が昼間に昼寝をとることはあまり長時間でなければ、仕事の能率があがるので、推奨されることもつけ加えておこう。


「数学・物理通信」5巻1号の発行

2015-03-04 12:00:00 | 日記
3月2日に『数学・物理通信』5巻1号を発行した。

すでに用意はできていたので、3月になるのを待っていたが、3月1日は日曜日だったので発行が3月2日(月)になった。

今回は高校数学の内容だったので、M先生から学習会で紹介をしてみたいというメールを頂いた。

正弦法則と余弦法則とのお互いの導出を論じたものとそれの導出に使った加比の理についてである。巻頭を飾ったのは朝日新聞記者の K さんの M 先生への手紙であり、なかなか数学にそれまで縁がなかったといわれる、K さんの数学観が私には興味深かった。

最後は元名古屋大学の研究者である M さんの 「(-1)^{2}=1とi^{2}=-1」についての論考であった。まだ名古屋大学の谷村さんのホームページにリンクされていないかもしれないが、『数学・物理通信』で検索して頂くと検索できて、中味を読むことができる。

いつもながら谷村先生ご尽力いただき、有難うございます。

なお、5巻2号も3月中に発行予定である。

外国語から日本語を理解する

2015-03-03 14:59:55 | 日記
もう、大学生にだったときのことだから50年以上昔のことである。

H 市の公園で外国人の観光客と出会った。そのときに別のやはり外国人観光客と出会って3人で公園を少し散策した。そのときに納骨堂と書かれたところにやって来た。一人の外国人がこれは何かと私ともう一人の外国人に尋ねた。私が答えられないで黙っていると彼はここは墓 Grave であると告げた。なるほどそういえばいいのかと目から鱗が落ちた。

その大学院学生になって研究室に入ったあるとき、ある外国人の研究者がやって来た。そのときに先生が博物館 museum を見たかと尋ねた。彼が言ったのは原爆資料館のことであった。

これはE大学に勤めてから、もう何年もたったときである。そのころにはドイツ語の片言くらいは言えるようになっていたが、あるとき友人のドイツ語の先生が何かの会の世話人というのを Organisator(英語ではorganizer)と言っていたので、ああそうか世話人とは Organisator(オガ二ザートア)というのかとこのときも目から鱗が落ちた。

これは誰かの文章で読んだので、自分の経験ではないが、ある日本人が枯葉のことを何と言ってよいか迷っていたら、そのことを察した外国人に dead leaves ?と言われたという。

そう言われてみれば、イブ・モンタンのお得意の歌だった「枯葉」はフランス語で feuilles mortes(死んだ葉)という。

これは比較的最近とはいっても10年くらい前のことだが、何かのコツということを誰だったかある女性が言おうとしたのだが、うまくいえない。そのときドイツ人のR氏が Geheimnis? といった。なるほどそう言うのか。Geheimnis とは秘密という意味である。秘密はときにはコツとか秘訣という意味にも使われることを知った。英語で secret と言うとやはりコツとか秘訣といった意味もある。

アメリカの国務長官 Secretary of State は何が任務の人か知らなかった。あるとき国務長官にあたる訳としてドイツ語で Aussenminister とあって、なんだ国務長官とは外務大臣のことかとわかったのもここ10年か20年かのことである。

今朝、子どもが中学・高校で使っていた学習英和辞典を引いてみたら、その説明があったから、子どもは高校生の頃にすでに知っていただろうか。

(2015.3.5付記) この話を朝食後に妻にしたら、妻の経験を話してくれた。国会で議論されていた「有事立法」の「有事」とは何かわからなかったが、「有事」は英語ではwar timeであったとか。これで有事の意味の本質がわかったという。なるほど、なるほど。

これはドイツ語でわかったことで、前にもこのブログで書いたことがあるが、「海峡」という語の意味を知ったということがあった。ドイツ語で海峡のことを die Meerenge という。それで海峡とは「海が狭くなっているところ」だとようやく私にはわかった。私は I 市の出身で I 市には来島海峡というところが流れの速いところがあるが、海峡の意味を知らなかったというお粗末である。来島海峡を見に行くことをそれこそ何度もしていたのに。

また、海に陸地がつき出しているところは半島というが、これもドイツ語でdie Halbinselという。半分くらい島なのだという意味がようやく分かったという私の馬鹿さ加減である。

これらはすべて外国語を学んだために日本語の理解も進んだという例であろうか。

『叛逆としての科学』2

2015-03-02 10:42:22 | 日記
訳書『叛逆としての科学』と原著のThe Scientist as Rebelを昨日の日曜日にコタツ入ったまま終日読んだ。

訳語としての「叛逆」という語とか科学者Scientistと原題にあるところが、科学Scienceになっているとかrebelという語の訳語が「叛逆」となっているとかちょっと違和感がある。もっとも日本語では科学者という題だとちょっとひっかるのかもしれない。

むかし、科学に階級制があるかとか議論されたことがあるらしいが、科学は階級制をもっていたりはしない。科学をしている科学者は階級制をもつかもしれないけれど。

そうだとすれば、やはり現代のThe Scientist as rebelというのは意味がある。これは私だけの語感かもしれないが、叛逆だとか謀反だとか、陰謀かとかいうとマイナスのイメージがある。

ちょっと不正な感じがつきまとう。それでかどうかは知らないが、前の前のブログでは叛逆ではなく反逆となっている。私にはrebelとは「反抗としての科学者」という風に意味をとっていた。

原著の方には水爆をつくったテラーの話が出ている。テラーにはマイナスのイメージが強いが、C. N. YangとかDysonの語るテラー像は必ずしも悪くはない。Dysonも「人を手助けするテラーという側面があった」との指摘を忘れてはいない。その例と思うが、C. N. Yangの博士論文はテラーが主査をしてくれたという。