物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

e-Learningのコンテンツ進行

2009-11-14 11:38:49 | 科学・技術

e-Learningのコンテンツの入力が少しづつ進行している。アルバイトで入力をしてくれている学生が頑張ってくれるおかげで大分進んでいるようだ。E大学の窓口のWさんから、出来上がったファイルが数日前から徐々に送られてくる。

私は新しいコンテンツを作るのに夢中で以前のところを見る時間がない。コンテンツをつくるのはなにもないところからつくりだしていくので、いつも苦心惨憺である。一方でそれは楽しい創作活動でもある。

いままでの自分の到達した境地を披瀝できるのはうれしい。内容になんらかの新味を付け加えないとせっかくコンテンツを作っている甲斐がないと思う。

昨日から対数の表現についての一節を書いているところである。苦吟の連続ではあるが、それが密かな楽しみでもあるというのはちょっと変ではあろうが、経験をしたものでないとわからない。


「算数の探検」を購入

2009-11-13 11:39:20 | 数学

遠山啓著「算数の探検」を購入した。本体だけで1万円だったが、全10冊だから1冊1000円だと思えば高くはないと判断して購入に踏み切った。もっとも第3巻以外はすでに古本で購入してもっていたのだが。

前に格安で購入できたのは第3巻が欠けていたからだろう。これで全巻がそろって所有できたことになる。もっとも中を見てみると前の所有者が子どもに使わしたらしくてところどころ分数の計算とかが書いてある。だが、これはまあ大したことはない。

もっともこの秋にはかなり物入りなことで数万円の武谷三男の寄稿がある小さな書籍を購入したりしたので、それでなくとも乏しいポケットマネーが底をついてきた。

これは武谷の年譜とか伝記を書くことを計画しているので、仕方がない出費ではあるが、こういう仕事は十分にペイをするかと言えば、ペイはしない。

これは一つの文化活動だと思わないとまったく損得勘定だけでやると、できないことだろう。


新型インフルエンザ

2009-11-12 12:57:16 | 健康・病気

新型インフルエンザの患者が150万人を超えたという。日本の人口が1.2億人として、約1.3%にも及ぶ患者数である。この中にはもうかかって回復をした人も含まれているのだろうが、それにしても急速な広がり方である。

空気感染とかでインフルエンザにかかった人の2m以内にいるとその咳等での飛まつから、感染するという。もしかかったら仕方がないから、家で静かにしおく以外にはない。また、病院にできるだけ早く行ってタミフルでももらうしかない。

そういえば、姪の子どもも東京で新型に感染したとか聞いた。これは小学生だからしかたがない。そういえば、知っている高校生は学校ではマスク着用が義務付けられているという。不便で異様な風景だろうが、仕方がないのだろう。

患者が日本で一人とか二人とかいわれていたのが、なんだか懐かしいような気がするから不思議である。願わくばインフルエンザで多くの方が亡くなりませんようにと密かにお祈りするぐらいしか私には方法がない。


校正刷の返送

2009-11-11 13:21:55 | 学問

校正刷を昨日ようやく返送した。普通にはこんなに時間をかけて校正を読み返したりはしないのだが、今回は投稿前に読み方が足らなかったという自覚があったので、十分すぎるくらいの時間をかけた。とはいうものの粗雑なわたしのやることなので、抜けがあるかもしれない。

不思議なことに何回も読み返していると表現が適切ではないところが見つかる。どうも私は表現が乏しくて同じ言葉を繰り返す傾向があるらしくて、それを読み返しの段階でなくすように努力をしているのだが、それが十分になくなっていないことがある。

そういえば、大学院生のころに「誰を集中講義で呼びたいか」と先生に言われて「高林さんは?」といったら、言下に「彼は書いた文章はすばらしいのだが、話はね」と言われた。多分文章では推敲にずいぶん時間をとっているのだろうということであった。

私なども授業評価では話が下手だと学生にいつも評価されていて、何を言いたいのかわからないとまで酷評された。自分ではよく準備をして突き詰めて透徹した話をしているつもりだったが、学生にはまったく話が通じていなかったという苦い経験がある。

多分に話が苦手な人間の部類に入るのであろう。これは話をすると談論風発でとても面白いのにそれを文章にしてもらうとなんだかあまり面白くない人がいるのと対照的である。話も上手で文章もすばらしいなどという人はいるのだろうか。


シクラメンが咲いた

2009-11-10 11:41:03 | 日記・エッセイ・コラム

仕事場のバルコニーにある、シクラメンの花が今年はもう咲いた。4鉢あるのだが、昨年、友人の奥様から頂いた鉢のシクラメンがもう咲いた。残りの3鉢は葉が夏に枯れたので、球根に水をやっていたら、かなり早く葉が出てきてだんだん生き生きしてきている。

植物は夏の暑いときには勢いのなくなるものもあれば、夏の暑いときに勢いがよくて寒くなると勢いのなくなるものもある。また、一年中青々としているものもある。そういうものでも春か秋に一度生え変わる草もある。いずれにしても水を毎日やっているだけなので、植物としては頑張ってくれているのだと思う。

これはなにも植物に限ることではなかろう。人間でも人知れずに頑張っている人がおられるにちがいない。これは現在のように働きたくても職のない人たちとかその他いろいろの人が居られるのだろう。

これはあるいは普通の人から見たら、眉をひそめられるような生き方をしている人でも少なくとも人に迷惑をかけていない限りは懸命に生きているに違いない。そういう人とは立場を異にはするが、敬意を表したいといつも思っている。


校正刷

2009-11-09 12:36:10 | 学問

徳島科学史研究会の機関誌へ投稿したエッセイの校正が土曜日に来たので、校正のために読み返している。「広重徹の三段階論批判」は読み返し方の回数が少なかったせいか、どうも細かな表現がよくない。それで細かな表現を数箇所変更した。

このエッセイはどうも投稿する前にあまり読み返す気が起きないという不思議な感じがするエッセイだった。私は大体嫌になるくらい何度も読み返す方なのだが、どうしてかその気があまり起きなかった。とはいってもそれなりに読み込んではいたのだが。

内容はある程度自信をもっている。書く途中でいろいろその内容を書き換えた。こんなにその途中で内容を書き換えたエッセイはなかった。

もう一つのエッセイは「対数とはなにか」というもので対数の意味を述べたものである。こちらは前に原稿をつくってあったので、書き上げるのにそれほど時間はかからなかった。でも対数の性質の導出を以前の原稿から、まったく書き変えた。こちらもよく読んでもらえば、徹底的に書いてあることがわかると思う。もっとも読む気になってもらえないというのが実情だろう。

このエッセイの執筆の動機は「対数と指数とは見かけとか焦点の当て方は違うが、同じものだ」ということである。このことを私が知ったのはそんなに昔ではなく、比較的最近のことである。


「指数と根」のコンテンツ

2009-11-07 12:20:32 | 数学

「指数と根」のコンテンツを昨日つくりあげた。演習問題に最後に二つ、地球の質量を求める問題と太陽の表面の温度を求める問題とを入れたのが気に入っている。

単なる数値の計算問題だが、どうやって地球の質量を知ったのだろうとか太陽の表面温度を知ったのだろうという、知的好奇心に訴えるものだからである。

e-Learningで初等的な数学の計算法を学んでいる学生でもそういう知的好奇心はもっていると思っている。だから、そういう知的好奇心を喚起することが必要だと考える。

演習問題を考えているときにはそういうことまでは頭が働いていなかったのだが、考えているうちに自然とそういう方向に向かった。

さて、今日からは2項定理のコンテンツをつくろう。


基礎物理学のコンテンツ

2009-11-06 12:41:59 | 物理学

基礎物理学のコンテンツの入力ができたらしい。図を描いてもらうことを学生に頼んでいるのだが、それができたらしい。E大学の窓口になっている、Wさんからファイルを送ってきた。学生はtexでファイルを作成しているらしい。

図はイラストレーターで作成をしているようだ。はじめファイルが開かなかったが、プロテクトをはずして様子をacrobat readerでやっと見ることができた。きれいに図はできているが、その図の中の文字の形がよくない。これを注文をつけるかどうか。少なくとも数式の文字がイタリックになっていない。これをどうするか。


演習問題の作成

2009-11-05 10:51:57 | 数学

e-Learningのコンテンツで「指数と根」というところの本文を昨日まででおよそつくった。だが、まだ演習問題をつくらねばならない。ところがこれにはたと困っている。演習問題にも独自性を持たせたいと思うと人のつくったものをどうもそのまま引用するのを潔しとしないのである。もちろん、演習問題であるから、一部が重なるのは許してもらえると思うが、これも基本的には自作をしたいのである。

もちろん、数値を変えたりとかそういう姑息な手段も用いてはいるが、それだけではどうもおさまらないような気がする。だが、そうやって演習問題を自作したりしているうちに、「水道方式の考え方」からは大きく外れてしまったような気がする。

それでも、自作の方にこだわりたい。とはいってもどこかからアイディアを盗用するということは基本的には変わらない。盗用というと話が穏やかではないが、ある数学の本の演習問題からの盗用ということではなく、物理の本に書かれていたことを適当にアレンジして演習問題に出すというようなことである。

もっとも演習問題の基本構成は下敷きにしている本にかなり依存しているのでそこが盗用だといわれればそうなのだが、なんでも自分でつくるのは骨が折れる。


仕事場への道すがら

2009-11-04 10:49:27 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は文化の日だったが、日曜以外は仕事場に出てくることにしているので出てきた。

今日は普通の日だが、車で来る途中にたまたま前の車がRaumだったので、いろいろ考えながら10数分走った。RaumだとかPlatzだとかドイツ語の名がついた車もある。

車もイメージ商品だろうが、ゆったりした車内ということをイメージさせたいのが、こういう語が車の名前として使われる理由だろう。

Raumとは空間とか部屋を意味するが、部屋にはdas Zimmerという語が普通に使われている。昔、留学していたMainz大学の物理教室のコピー機のある部屋はZerox Raumといわれていたと思う。

このZimmerとRaumの使い分けについて、いつだったかNHKのドイツ語講座では人が共通に使うところRaumといい、私的に使う部屋をZimmerというと説明された。それでやっとその使い分けがわかった。

Raumといえば、物理をやった人はWeylのRaum, Zeit und Materie(空間、時間、物質)という相対論の書を思い出すだろう。私はこの本を読んだことはないのだが、このドイツ語の原著はドイツ滞在中に書店で見かけて、購入してもっている。

天才Heisenbergが若い頃にこの本を読んで数学に魅せられたというが、M"unchen大学の数学の教授に会って数学をやりたいと彼が言ったときに何を読んでいるかと問われ、このWeylの本を挙げたら、数学の教授はあまり感心をしなかったとか。

それでHeisenbergは物理の教授Sommerfeldに会って物理をやることに決めたとかどこかで読んだ。

そういえば、Weylの本は難解だったのだろう。大学院で数理物理学を習った竹野兵一郎先生は「Weylには参る」とかいう駄洒落があったのだといわれていた。

この竹野先生は相対論の数学を専攻した数学者であって、Weylを十分読みこなした人だとは思うが、そういう人でもやはり始めは難しかったのかもしれない。


実数のn乗根

2009-11-03 11:31:40 | 数学

実数のn乗根としてどんなものがあるか。

これについて昔の高校の教科書をみて、e-Learningを書いたと先日書いたが、松坂和夫先生の「数学読本」2(岩波書店)を見たら、その説明がグラフでしてあった。

e-Learningにこの説明を採用しようかと思ったが、止めにした。すべてのことを述べるのは親切ではあるが、本当にそういうことをなんでもかんでもするのがいいのかは本当の所はわからない。

「はて、どうしてこういうことになるのかな」と思わせることも必要なのだ。それで、言葉で説明することで換えた。後で文献をつけるかどうか考えよう。しかし、それにしても作業は遅々として進まない。


沈まぬ太陽

2009-11-02 11:39:28 | 映画

「沈まぬ太陽」というのは現在映画館で上映されている渡辺謙主演の映画である。それを昨日雨の中を見に行った。郊外の複合コンプレックスの中にある映画館である。日曜日だということもあったのだろうが、久しぶりにかなり大勢の観客が来ていた。

映画はかなり面白く日航の会社としての腐敗ぶりを鋭く描いていた。もちろん映画では日航という会社名は出てこない。だが、日航がモデルであることは誰の眼にも明らかだろう。昨今日航の経営が左前で倒産寸前であることは新聞やテレビで報じられている。

その経営がうまく行かないことの一部には退職者の年金が高額であることとか地方空港への航行のために多額の分担金を支払っていることとか、どうも会社の経営の仕方ではどうもできないと思われる事情もあるらしい。これもまた自民党政府が何十年も続いたことにもよっているらしいとのことがもれ聞こえてくる。

アメリカの巨大企業のGMにも匹敵するいろいろな事情があると聞けば、さもありなんと思ってしまう。映画ではフィクションであると断られていたが、ここで取り上げられたことは誇張とかなんかはあっても基本的な事情ではあまり違いがないのではなかろうか。

そういうことに鑑みると日航の再建はなかなか難しそうである。