これは2001年度に私がE大学で行った講義「原子物理学入門」(共通基礎教育)の一部に書いたアインシュタインのスケッチである。すでに「ドイツ語圏世界の科学者」でアインシュタインについては述べたが、それとは少し違う側面を述べているかもしれない。
Einstein (1879-1955)について少し述べておこう。Einstein はユダヤ系のドイツ人で、南ドイツの都市ウルムで生まれた(その後、スイスの市民権を取り、死亡するまでそれを保持した)。
小さい頃から数学と物理学に興味をもっていた。ドイツのギムナジウムの軍隊的な規律を嫌い、ギムナジウムを中退してチュリッヒ工科大学(ETH)を受験したが、試験に失敗してしまう。しかし、数学や物理は抜群の成績であったのでもう一度ギムナジウムに入って勉強し直すことを大学の学長からすすめられ、スイスのギムナジウムに入り直し、そこを卒業してチュリッヒ工科大学に入学する。
大学の頃はあまり講義に出席せず、自分の独自な勉強に精出した。試験のときは学友のGrossmannからノートを借りて勉強して単位を取った。大学卒業後は大学での助手の職は得られず、ベルンの特許局で特許技師として働きながら、、立派な業績をあげる。
それが1905年の3つの論文で、光量子仮説、ブラウン運動、特殊相対性理論である。光量子仮説は光が粒子性をもつことを示した光電効果の説明を与えたものであり、ブラウン運動は分子の存在と分子の熱運動を実験的に証明可能とした。特殊相対性理論は時間と空間の概念の変革を行ったものであり、この理論から質量とエネルギーの相互転換が可能であることが示された。
1915年には特殊相対性理論を一般化した一般相対性理論を発表する。この一般相対性理論は重力を空間の性質として説明する理論である。その中の一つの予言である、重力場中での光の偏曲は第一次大戦後の皆既日食の際に観測され、一般相対性理論の実験的検証の一つが得られた。その他、量子理論への貢献も大きい。
1932年以来アメリカに居住し、プリンストンの高級研究所で研究生活を送りながら、統一場理論を研究した。この理論は重力と電磁場を空間の性質として説明しようとするものであったが、成功していない。
一方、EinsteinはRoosevelt大統領に原爆研究を始めることを進言した手紙を送ったが、第2次世界大戦終了直前に広島と長崎に原爆が投下されたことは、彼には思いもよらないことで、その責任を深く感じることとなった。
核戦争を避けるための努力を訴えたRussel-Einstein声明は世界各国の著名な科学者11名によって署名され、各国の科学者が一堂に集まって核戦争と核兵器の廃絶を議論するパグウォッシュ会議のけきっかけとなった。
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