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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

池袋村

2018-09-28 05:12:14 | 弦巻川・水窪川

 丸池までたどれば、弦巻川は終了のはずですが、→ 「東京近傍図」などを見ると、丸池のあった村境を越え、北西寄りの池袋村内に先端が描かれていて、どうやら、池袋村から丸池に流れ込む小川もあったようです。豊島区立郷土資料館発行の地図集に収録された、成立年代不詳の「池袋村絵図」には、そのうち、池袋村内の水路が書き込まれていて、板橋道(地図中では雑司谷道)と四面塔で分かれ、長崎村へと向かう道に架けられた橋が、その先端となっています。

 

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    ・ 「池袋村絵図」  東京都公文書館所蔵の村絵図をもとに、イラスト化したものです。例によって田用水や水田を強調、他は主要なものをピックアップしました。

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    ・ 西池袋公園  右手が低く谷筋になっています。正面奥を横断する通りが、「村絵図」にある四面塔から長崎村への道と重なり、そのあたりに先端の橋が架かっていたのでしょう。

 ところで、昨日UPの→ 元池袋史跡公園の一角には、「池袋地名ゆかりの池」の石碑が建っています。池袋の地名由来には諸説ありますが、丸池を由来とする根拠としては、やはり昨日引用した「遊歴雑記」の記述があります。ただ、丸池やその周辺の池ヶ谷(池谷戸)は、池袋村の鎮守、氷川神社のある本村とは反対側にあり、しかも、江戸時代の村にとっては死活問題の田用水でも、池袋村とは何のかかわりもありません。こうしたことから、その地名由来としては疑問符が付きます。一方、「新編武蔵風土記稿」は「池袋村は東北の方のみ水田あり、其辺地窪にして地形袋の如くなれば村名起りしならん」と書いていて、こちらのほうが本村に近く、田用水とのかかわりもあり正解のように思えます。

 

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    ・ 「地名ゆかりの池」石碑  傍らには「むかしこのあたりに多くの池があり、池袋の地名は、その池からおこったとも伝えられている」との解説プレートも展示されています。