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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

尾崎の七曲り

2017-05-25 06:48:50 | 善福寺川4

 五日市街道が善福寺川を越える際、高低差を克服するため小刻みな蛇行を繰り返しました。これが尾崎の七曲りと呼ばれ街道の難所の一つでしたが、大正末に路面をかさ上げし高低差を緩和、直線的なコース取りとなりました。それでも旧道のカーブ部分は、新道の左右に切り取られて残っています。これを、現行の五日市街道を重ねた→ 「明治42年測図」で下り方向に見ていくと、右端の半ば切れている右カーブから始まり、左カーブ、右折、左折、右カーブ、左カーブ、そして右カーブの七つです。うち三番目の右折と最後の右カーブは、現在の五日市街道に含まれて痕跡は残されていません。

 

0217a

    ・ 白幡坂  前回UPの→ 「空中写真」にも孤状に写る左カーブです。一帯の字から白幡坂と呼ばれ、坂下で右手からの馬橋道と合流、次の右折に向かいます。 

0217b

    ・ 尾崎橋  右手から出て右折、信号のあたりにあった旧尾崎橋を越え、直線で新道の右手に向かいます。尾崎橋を越えるところまで新道と重なっており、右折の痕跡はありません。 

0217c

    ・ 三年坂下  突き当りで左折し、右手からの右岸流と並行して次の道角橋の右カーブに向かいます。やや右手に三年坂の上り口があり、その手前に三年橋が架かっていました。 

 <五日市街道>  五日市街道は地下鉄新高円寺駅近くで青梅街道から分岐、五日市宿(現あきるの市)に達する街道で、現在の全長およそ52kmは都道(杉並五日市線)に指定されています。江戸時代は市中への炭荷や農作物の運搬に使われ、また、宮前、中高井戸、松庵など、街道沿いの新田開発に寄与しました。当初は伊奈道、その後五日市道、青梅街道脇(裏)道などとも呼ばれ、明治以降五日市街道の名前が定着しました。→ 「成宗村絵図」では「砂川通り」となっています。