五日市街道が善福寺川を越える際、高低差を克服するため小刻みな蛇行を繰り返しました。これが尾崎の七曲りと呼ばれ街道の難所の一つでしたが、大正末に路面をかさ上げし高低差を緩和、直線的なコース取りとなりました。それでも旧道のカーブ部分は、新道の左右に切り取られて残っています。これを、現行の五日市街道を重ねた→ 「明治42年測図」で下り方向に見ていくと、右端の半ば切れている右カーブから始まり、左カーブ、右折、左折、右カーブ、左カーブ、そして右カーブの七つです。うち三番目の右折と最後の右カーブは、現在の五日市街道に含まれて痕跡は残されていません。
- ・ 白幡坂 前回UPの→ 「空中写真」にも孤状に写る左カーブです。一帯の字から白幡坂と呼ばれ、坂下で右手からの馬橋道と合流、次の右折に向かいます。
- ・ 尾崎橋 右手から出て右折、信号のあたりにあった旧尾崎橋を越え、直線で新道の右手に向かいます。尾崎橋を越えるところまで新道と重なっており、右折の痕跡はありません。
- ・ 三年坂下 突き当りで左折し、右手からの右岸流と並行して次の道角橋の右カーブに向かいます。やや右手に三年坂の上り口があり、その手前に三年橋が架かっていました。
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