神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

和田左岸

2017-08-15 06:18:49 | 善福寺川6

 → 「村絵図」から→ 「明治42年測図」など、区画整理以前の「地形図」まで、駒ヶ坂橋で右岸段丘へと戻る本流とは別に、途中分岐して左岸段丘沿いを流れる一流が描かれています。それも、駒ヶ坂橋を通る道の手前で本流に戻るもの、左岸流になるものの二流に分かれますが、これらは区画整理によって埋立てられ、碁盤の目状の道路の下に埋没してしまいました。ただ、区画整理の過程で、本流に戻るところが付替えられ、一部現行の道路と重なっています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 中野」  上掲地図と同一場所、同一縮尺で、区画整理以前の「大正5年修正」は→ こちらです。

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    1. 駒ヶ坂橋を通る道路です。区画整理以前はこの手前で左岸への分岐がありました。

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    2. この直線道路の左手を水路が並行していました。 

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    3. 奥は和田見橋手前の神田川です。付替え以前は南下して、善福寺川に合流していました。 

 <堰と水車>  明治22年(1889年)に成立した和田堀内村大字和田は、八つの小字に区分されましたが、うち左岸流と本流で囲まれた水田地帯は堰山と称されました。左岸流を二ヶ所で分岐していますが、それらの堰にかかわるものと思われます。また、→ 「近傍図」の中央下部で、駒ヶ坂を通る道と善福寺川が交差する付近に水車があります。「大正5年修正」など大正までの「地形図」にも描かれていますが、この水車に関し「杉並の通称地名」は、「橋場 昭和初年まで使った。善福寺川に橋がかかり、川に水車がかかっていた。榎本家が昔から居住し屋号『橋場』と呼んだ」と書いています。