善福寺川は和田廣橋の下流で、右手から流れてくる神田川と合流します。杉並区の掲示しているプレートによると、源流(遅野井の滝)から11.3km地点です。もっとも、これは昭和10年代の善福寺川、神田川の改修の結果です。すでに、駒ヶ坂橋までの改修が終わっていたのに合わせ、多田田圃と呼ばれる水田地帯の中央を流れていた神田川を左岸段丘沿いに付替えたため、合流地点は100mほど上流に移転しました。段丘沿いに元々流れていた左岸流を拡幅、本流に転用したようです。
- ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」 新水路の東側で蛇行しているのが、付替え前の本流でした。同一場所、同一縮尺の「昭和38年空中写真」は→ こちらです。
この区間の神田川の改修、整備は、中野土地区画整理事業の一環として、旧雑色村の西半分に属する神田川、善福寺川流域5万6千余坪を対象に、その宅地造成を図るものでした。区画整理事業組合の結成は昭和16年(1941年)8月、同年勃発した第二次大戦と引き続く戦後処理のため、当初計画は大幅に遅れましたが、途中、帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)による車庫用地買収が追い風となり、昭和35年に全事業の完成に至りました。
- ・ 善福寺川 和田廣橋から合流地点で、奥が東京地下鉄の用地です。なお、橋名は架橋当時の左岸杉並区和田本町と右岸中野区廣町の合成です。
- ・ 神田川 このあたりの右手が本来の合流地点でした。奥に見えるのが合流後最初に架かる和田見橋で、こちらの右岸は中野区富士見町です。