神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

左岸流6

2016-12-31 07:08:14 | 桃園川3

 第六天神社から東中野駅の東口近くまで、地図からもそれと分る、狭くクネッた水路跡の路地が続きます。西側には区検通りが並行していて、左岸段丘上には区検通り、段丘下には水路跡の路地といった位置関係で、区検通りに突き当たって終了するまで、300mほどのウォーク&ウォッチです。なお、前回の→ 遺構にもある桐ケ谷ですが、豊多摩郡中野町当時の一帯の小字でした。氷川神社のある舌状台地の東側から神田川にかけての、現在の東中野1丁目に当たる区域です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  上掲地図のグレー枠の部分です。同一個所に同一番号を振っています。

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    1. 行く先に結婚式場跡地の再開発で建てられた二つの高層ビルが見えてきました。

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    2. 路地はここで終了、階段を上ると区検通りです。水路としては不自然な終了の仕方ですが、その経緯は項を改めます。

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    3. JR線をガードで越える区検通りで、左手台上には東中野駅があります。かっては段丘下に通りやガードはなく、水路のみが流れていました。

 <柏木駅>  甲武鉄道柏木駅の開業は明治39年(1906年)、すぐに国有化されたため国鉄の駅となります。駅名の柏木は神田川の右岸にあった村の名で、開業当時は豊多摩郡淀橋町の大字ですが、駅自体は隣接しているとはいえ中野町にあり、大正6年(1917年)に東中野駅と改称します。開業、改称当時の駅舎は現在とは異なり、柏木停車場道(のち東中野停車場道)の→ 踏切の東側にありました。それが、関東大震災後の乗降客の急増に対応して昭和2年(1927年)に西側に移転、現行のように踏切ではなくガードで南北を連絡するようになったのは、第二次大戦の中断をはさんで戦後のことです。
 上掲「空中写真」はその途中経過を写したものになっていて、南北の連絡をガードで行えるように、段丘下にバイパス(踏切を閉鎖後は本線)を作っているところです。これまで追ってきた水路の先もその下に埋没しかかっているように見えます。結果、現在確認できるように、区検通りに突き当たって終了する形になったものと思われます。