神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

溜井

2018-03-07 06:00:26 | 神田川4

 十二社下の上下の溜池は慶長11年(1606年)(熊野神社境内の解説「ミニ博物館」)ないし慶長17年(「豊多摩郡誌」)、当地を知行していた伊丹播磨守康勝によって開削されたと伝えられています。→ 「段彩陰影図」にあるような、自然の小支流の谷頭に堰を設けて、ダム湖化したものなのでしょう。湧水、雨水を水源とする農業用の溜池で、前回UPの→ 「角筈村絵図」では下の溜井から流れ出た用水が、神田川右岸に広がる田圃を灌漑している様子が描かれています。もっとも、この「十二社溜池水路」(「豊多摩郡誌」)は明治末の「郵便地図」にも描かれておらず、正確にたどることはできないため、いつもの青点線は書き込んでいません。

 

Tamei1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

1223b 1223a

    1. 豊水橋の右岸です。この一帯が角筈村の田圃のあったところです。  

1223d 1223c

    2. 昭和10年頃の宅地造成の際、整備された幅広道路から南に向かう路地があります。 

1223e

    3. 路地を抜けた先で、「村絵図」にも描かれた道(「豊多摩郡誌」では「砂利道」)に突き当たり、左折します。 

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    4. 「砂利道」としばらく並行した後すぐに右折、直線で方南通りに向かいます。 

1223h

    5. 下の溜井のあったのは、十二社通りの一つ裏手に当たるこの路地の周辺です。