神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

今川橋

2019-11-14 07:13:21 | 平川・外堀3

 神田堀に架かる橋の中では今川橋が最も有名です。日本橋から筋違橋に向かい、中山道へと通ずる大通りに架かる橋です。「今川橋 本白銀の大通より元乗物町へ渡橋を云。此堀を神田堀と号く。元禄四年辛未掘割たりとぞ。其頃此地の里正を今川某と云ければ、直に橋の号に呼けると云」(「江戸名所図会」) ただ、「東京府志料」にその名は見えません。あるいは、「今川橋跡」と書き込みのある江戸末の切絵図もあり、小溝化していた時代には暗渠化されていたのかもしれません。ちなみに「東京府志料」には「長一間半」の五つの石橋がリストアップされていますが、いずれも無名橋です。

 

Imagazue1

    ・ 「江戸名所図会 / 今川橋」  「此辺瀬戸物屋多し」

 「江戸名所図会」の続きです。「又此北詰の西の河岸を主水河岸と字す。御菓子司大久保主水の宅ある故にしか云り。宅の前に井あり → 主水井と云、昔は御茶の水にもめさせられしとなり」 大久保主水は譜代の武士ですが、家康好物の三河餅を献上して御用達商人となり、また神田上水の前身と目される小石川上水を開削したともいわれています。「御入国之節・・・・、小石川水道見立候ニ付、為御褒美主水と申名被下置候」(「御用達町人由緒」)

 

0622a
    ・  今川橋跡  国道17号を越えます。左手に折れると700mほどで日本橋、右手は800m強で万世橋を経て中山道です。

0622b

    ・ 今川橋跡  上掲写真の右手奥には「今川橋由来碑」があります。なお、撮影地点の背後のブロックが主水河岸でした。