神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下沼袋村用水2

2016-05-12 06:48:13 | 妙正寺川4

 関元橋下流で左岸に分岐していた用水の流末は、新井村のと同様、地図によって様々です。→ 「沼袋村絵図」では、江古田村境を越えていますが、前々回UPの→ 「明治42年測図」や前回UPの→ 「昭和4年第三回修正」は、その手前の大北橋、ないし江古田橋で本流に戻っています。昭和に入ってからの地図で、現新青梅街道にあった江古田との境を越え、江古田川の右岸流と合流しているのもあり、これは時代による変遷というより、様々ある分流のどれを地図に描いたかの違いなのでしょう。

 

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    ・ 大北橋  「明治42年測図」と橋の位置はほとんど変わりません。左岸からのショットなので、同図によれば用水はこの道路左手を並行、本流に戻っていたことになります。

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    ・ 妙正寺川  大北橋から下流方向で、奥に江古田橋が見えます。妙正寺川は片山の舌状台地を迂回するため、右カーブでUターンを開始します。

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    ・ 新青梅街道  中野七中前の新青梅街道です。左岸流はこのあたりを右から左に流れて江古田村に入り、向田と呼ばれる田圃の灌漑用水になっていました。

 <下沼袋村の橋>  「沼袋村絵図」、→ 「東京近傍図」とも、現沼袋駅前に架かる新道橋以降は、江古田村境までに二本の橋が描かれています。大下橋の道一つ上流にあったもの、及び大北橋のところにあったもので、これを「東京府志料」の橋梁リストに当てはめると、「石橋四 下沼袋村ニアリ一ハ弥右衛門橋長二間半幅三尺六寸一ハ坂下橋一ハ重右衛門橋一ハ下前橋各長二間半幅四尺八寸」のうち、おそらくあとの二つです。「豊多摩郡誌」には後者のみ「松山橋 江古田下沼袋間埼玉道 石橋 延長十二尺幅八尺」とあり、また江古田村との境近くなので境橋とする文献もあります。