荻窪八幡と青梅街道を挟んで反対側、現桃井3丁目のほとんど約9ヘクタールは、かって日産自動車工場の敷地でした。元はゼロ戦のエンジン製造で有名な中島飛行機東京工場があり、戦後の富士精密工業の時代、当地で日本最初のロケット開発に成功したそうで、青梅街道に面した一角には、長さ23cm、重さ230gの→ ぺンシルロケットが展示されています。上井草村の田畑だったところが、自動車、飛行機、さらにはロケットの機械工業を経て、現在は高層マンション兼商業施設になり、一次産業から、二次、三次・・・・と、時代の花形産業の推移を身をもってあらわしているようです。
- ・ 「昭和22年米軍撮影空中写真」 中島飛行機東京工場は第二次大戦後、社名を変更しており、撮影当時は富士産業でした。なお、青梅街道を挟んで南側の茂みは、荻窪八幡境内のものです。
- ・ 桃井はらっぱ広場 日産工場跡地の東半分、4万平方メートルが整備され、平成23年春から防災公園として公開されています。なお、西半分は高層マンション兼商業施設です。
<桃井の水路> はらっぱ広場東端から発する水路跡があります。仮に桃井の水路としておきますが、上掲「空中写真」の→ 右上隅にも写っていて、当時は工場の排水路だったのかもしれません。→ 「段彩陰影図」で見ると、自然の谷筋とも重なっており、下流の杓屋口や清水口からのものを合わせて、妙正寺池から流れ出した直後の妙正寺川に合流しています。中島飛行機東京工場の建設は大正14年(1925年)なので、明治から大正にかけての一時期、青梅街道に面して分水口が設けられ、このルートを使っていた可能性もありますが、文献にもなく、工場跡地内の痕跡は皆無なため何ともいえないところです。
- ・ 水路跡の道路 はらっぱ公園の東側の道路で、上掲写真のほぼ正面奥に当たります。東に500m弱行ったところで、次回テーマの杓屋口の支分水と合流、さらに350mほどで、清水口のものと合流します。