神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

平川橋

2019-08-13 06:26:11 | 平川・外堀1

 元の平川の推定流路をたどり、外堀に架かる一ツ橋から内堀(大手堀)にシフトします。そこには平川橋が架かり平川門が設けられています。「平河御門 平河口とも云、昔平川村ありて、其出口なればかく名付しなるべし」(「御府内備考」) 平川門は江戸城三の丸の正門であり、また死者、罪人を運んだので不浄門、奥女中の通用門なのでお局御門とも呼ばれていました。なお、引用文中の平川村については、→ 「長禄年間江戸図」に上、下平川村の書き込みがあり、また「小田原役帳」にも江戸上平川、江戸下平川の記述があります。平川流域から河口にかけて、村落が形成されていたのでしょう。

 

0408a

    ・ 大手堀  大手堀から平川橋、平川門を振り返っています。元の平川は右手の外堀、一ツ橋からこの大手堀へと流れていたものと思われます。

0408b

    ・ 平川橋  現在のものは昭和63年(1988年)の改架ですが、擬宝珠は二重橋(西丸下乗橋)などからの転用で、慶長や寛永の年号が刻まれています。

0408c

    ・ 大手堀  平川橋から上流方向で、正面奥に架かるのが竹橋です。なお、この→ 擬宝珠には寛永元年(1624年)の年号が刻まれています。

 <「慶長見聞集」2>  前回引用した「慶長見聞集」中の「江戸の河橋にいわれ有事」は、平川の流路を推測する手がかりを提供しています。「見しは今、江戸にいにしへよりほそきなかれたゝ一筋有。此水、神田山岸柳原より出るなり。・・・・此水御城堀のめくりを流て舟町へおつる。この流に橋五つわたせり。されとも皆たな橋(欄干のない棚状に架けただけの橋)にて名もなき橋共なり」 続いて前回引用した雉子橋、一ツ橋の由来を紹介、さらに大手堀へと向かいます。「扨又、御城の大手の堀に橋ひとつかゝりたり。よの橋より大きなれはとて是をは大橋と名付たり」