元の平川の推定流路をたどり、外堀に架かる一ツ橋から内堀(大手堀)にシフトします。そこには平川橋が架かり平川門が設けられています。「平河御門 平河口とも云、昔平川村ありて、其出口なればかく名付しなるべし」(「御府内備考」) 平川門は江戸城三の丸の正門であり、また死者、罪人を運んだので不浄門、奥女中の通用門なのでお局御門とも呼ばれていました。なお、引用文中の平川村については、→ 「長禄年間江戸図」に上、下平川村の書き込みがあり、また「小田原役帳」にも江戸上平川、江戸下平川の記述があります。平川流域から河口にかけて、村落が形成されていたのでしょう。
- ・ 大手堀 大手堀から平川橋、平川門を振り返っています。元の平川は右手の外堀、一ツ橋からこの大手堀へと流れていたものと思われます。
- ・ 平川橋 現在のものは昭和63年(1988年)の改架ですが、擬宝珠は二重橋(西丸下乗橋)などからの転用で、慶長や寛永の年号が刻まれています。
- ・ 大手堀 平川橋から上流方向で、正面奥に架かるのが竹橋です。なお、この→ 擬宝珠には寛永元年(1624年)の年号が刻まれています。
|