神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

宮園橋

2016-11-18 07:23:56 | 桃園川3

 区境から300mほどのところで、桃園川緑道は大久保通りとクロスします。そこに架かっているのが宮園橋です。現存する橋の親柱には「昭和7年5月完成」とあり、「中野町誌」(昭和8年 1933年)の橋梁リストに、「橋長6.8m、幅員10.9m、橋種混凝土、河川名宮園川」と記載された橋が、80年を越える年月を経た今も健在なのだと分ります。ちなみに、橋名や川名となった宮園ですが、昭和6年の町名再編の際、区画整理後の大久保通り周辺が宮園通り(1~5丁目)となり、翌年の中野区の町名へと引き継がれたもので、通りの東端の旧字が宮前、西端が桃園であったことから、その合成地名として成立しました。なお、橋梁リストの河川名に採用された宮園川は、この時点でも旧来の善福寺分流と混在しており、昭和12年の中野区役所土木課の橋梁リストでは桃園川で統一されていて、使用されたのはごく短時間だったようです。

 

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    ・ 宮園橋  大久保通りを越えます。おそらく成立当時はこの通り自体も宮園通りだったのでしょう。宮園橋の親柱は→ こちらです。

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    ・ 大久保通り  ここで桃園川緑道の左岸にシフトした通りは、神田川との合流地点まで一貫して左岸を並行します。写真奥は中野五叉路で、宮園橋の先150mほどのところにあります。

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    ・ 桃園川緑道  宮園橋を越えてすぐ、左カーブするところです。ここで直行する送電線と離れます。なお、右手から合流する道路に注目で、次回以降のテーマです。 

 <大久保通り>  新宿区飯田橋交差点を起点に、新宿区、中野区を経由して杉並区高円寺で環七通りに接続するまで、延長8600mほどの都道の通称です。うち神楽坂上交差点から終点までは都道433号線に当たります。中野区内は区画整理事業によって新規に成立した道路で、杉並区内もその後の延長ですが、新宿区内の大部分は江戸時代、牛込、大久保等の武家屋敷を横切っていた道を明治以降、順次拡張整備していったものです。古道部分にはそれらしい蛇行が残され、交通のネックとなってところもあります。このように、成立過程をまったく異にする二つの道路が、昭和10年代始めには連結され、現在の大久保通りの形ができあがりました。