区境から300mほどのところで、桃園川緑道は大久保通りとクロスします。そこに架かっているのが宮園橋です。現存する橋の親柱には「昭和7年5月完成」とあり、「中野町誌」(昭和8年 1933年)の橋梁リストに、「橋長6.8m、幅員10.9m、橋種混凝土、河川名宮園川」と記載された橋が、80年を越える年月を経た今も健在なのだと分ります。ちなみに、橋名や川名となった宮園ですが、昭和6年の町名再編の際、区画整理後の大久保通り周辺が宮園通り(1~5丁目)となり、翌年の中野区の町名へと引き継がれたもので、通りの東端の旧字が宮前、西端が桃園であったことから、その合成地名として成立しました。なお、橋梁リストの河川名に採用された宮園川は、この時点でも旧来の善福寺分流と混在しており、昭和12年の中野区役所土木課の橋梁リストでは桃園川で統一されていて、使用されたのはごく短時間だったようです。
- ・ 宮園橋 大久保通りを越えます。おそらく成立当時はこの通り自体も宮園通りだったのでしょう。宮園橋の親柱は→ こちらです。
- ・ 大久保通り ここで桃園川緑道の左岸にシフトした通りは、神田川との合流地点まで一貫して左岸を並行します。写真奥は中野五叉路で、宮園橋の先150mほどのところにあります。
- ・ 桃園川緑道 宮園橋を越えてすぐ、左カーブするところです。ここで直行する送電線と離れます。なお、右手から合流する道路に注目で、次回以降のテーマです。
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