神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

区画整理

2016-11-17 07:03:25 | 桃園川3

 中野地区の区画整理事業のうち、桃園川流域にかかわる中野町第一土地区画整理組合は大正14年(1925年)に設立されました。翌15年には着工し、昭和6年(1931年)までに換地登記を終了しています。昭和8年発行の「中野町誌」によると、「總經費金四拾壱萬圓を以て、本町北部なる善福寺支流に沿う、畑地及び田粗地十萬七千百五十坪の開拓を計畫、・・・・東は淀橋町、西は杉並町を境界として、幅員六間道路一千三百七間五分、外に幅員最小一間半乃至六間の路線、五百六十四間を完成し、之れに沿ふて宅地八萬四百七十一坪を開拓」とあります。ここで「善福寺支流」とあるのは桃園川のことで、新堀用水によって善福寺川の助水を得ていたためそう呼ばれ、大正5年の「豊多摩郡誌」では「善福寺分流」となっています。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和3年第三回修正) / 中野」  区画整理直前の「大正10年第二回修正」は→ こちらで、同一場所、同一縮尺です。

 西隣りの高円寺地区の区画整理が先行したため、上流に合わせたのでしょう、境界付近の流路は送電線沿いに改修しています。これに対し、桃園橋の手前からは送電線と離れ、旧水路と似たコース取りにしているのが分ります。その際、取り残された右岸沿いを大きく蛇行する旧水路は、一部右岸流として残されることになりますが、その詳細は項を改めてのこととします。それともう一つ、桃園川と並行する道路が新設されていて、「中野町誌」のいう「幅員六間道路」のことと思われます。のち、東西に伸長され、現在は大久保通りと呼ばれています。

 

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    ・ 西田橋  この橋の前後で桃園川緑道のデザインは一変、杉並区の石組を中心とした和風なデザインに対し、→ カラーブロックの洋風な感じになります。

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    ・ 桃園川緑道  遠近法の見本のようなショットで、この区間が区画整理時の開設なのが分かります。直線は大久保通りに架かる宮園橋まで続きます。