神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

平井水車

2015-03-14 06:58:53 | 千川用水1

 前回UPした→ 「空中写真」の左岸の弧状の水路に注目です。保谷新田の名主、平井家の設置した水車用の回し堀で、→ 「元治元年取調絵図」にも、江戸道(五日市街道)手前の長い回し堀が描かれ、「名主伊左衛門 水車一ヶ所」と付記されています。明治に入っても存続し、→ 「東京近傍図」や明治17年頃の「千川上水路図」にも描かれています。また、「千川家文書」中、明治38年(1905年)の「千川水路水車取調書」によると、平井家はいずれも針金製造用に二ヶ所の水車を所有していました。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中撮影」  茂みに隠れて見えませんが、五日市街道が左カーブをしている個所の左下が境橋、その左カーブ付近から千川上水は開渠となり、前回の「空中写真」へと連続します。 

 ただ、武蔵高校の生徒が訪れた昭和15年(1640年)当時、稼働していなかったようで、前々回引用した同校の「千川上水」では「水車用水の跡」となっています。一方、練馬区教育委員会「ねりまの文化財(千川上水特集号)」の聞き取りによると、「終戦直前に平井家の水車を譲り受け、のちに水力を電力に換え、安間伸銅所として昭和60年代まで経営していました。」とあり、「空中写真」当時は稼働していたことになります。同書の別の個所には、「水車を営業していた平井家も昭和初めにこの地を離れてしまい」とあり、一時休業していたものが所有者を変えて再稼働したということなのでしょう。

 

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    ・ 五日市街道  境橋の北東100m弱のところで、左カーブを抜け直線に入る五日市街道です。上掲「空中写真」で、五日市街道の左手に水路が出現しているのは、このあたりと思われます。

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    ・ 千川上水  柳橋、柳橋交差点手前の千川上水です。「ねりまの文化財」には、「(平井水車の)跡地には自動車販売関係のビルが建って」いるとあり、この付近なのでしょう。