神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

元飯田堀留

2019-08-08 06:33:35 | 平川・外堀1

 新三崎橋の次が、再開発に合わせて新設されたあいあい橋、そして新川橋、堀留橋、南堀留橋と続きます。堀留橋は尾張屋の切絵図などではこおろぎ橋となっています。その由来は不明ですが、堀留橋の方は明かで、江戸時代の堀はこのあたりで終了しており、元飯田町堀留と呼ばれていました。一方、明治36年(1903年)に日本橋川を神田川に再接続した際、新たに開設された区間が新川、そこに架かる橋が新川橋だったのでしょう。

 

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    ・ 参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の北部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。神田川と再接続後は、同一個所、同一縮尺の → 「明治42年測図」でどうぞ。

 ところで、飯田町の名前は名主だった飯田家にちなみます。元禄10年(1697年)の大火後、築地に代替地(南飯田町)を与えられ移転し、のち改めて起立した町屋が元飯田町となったもので、飯田町の名前は武家地を含む通称として残りました。なお、町名の由来に関しては、江戸入府直後に一帯を視察した家康が、案内役となった飯田喜兵衛という農民を名主に指名し、飯田町の名前も与えたとの伝承があります。

 

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    ・ 堀留橋  大正15年(1926年)に震災復興道路開通に伴い、現在位置に架け替えられました。→ 「昭和5年第三回修正」を見ると、上掲「地形図」との位置のズレが分かります。

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    ・ 中坂  次の南堀留橋から右岸方向です。中坂の左右には元飯田町があり、元飯田町の中通りでした。中腹の田安稲荷は第二次大戦で全焼し、その跡地に→ 築土神社が移転してきました。