神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

九段坂下

2019-08-09 06:38:39 | 平川・外堀1

 九段坂下にある俎(まないた)橋まで来ました。まな板のような板を渡しただけの橋だった、御台所町が近くにあったから、などが橋名の由来として語られていますが、「御府内備考」は「九段坂下より小川町の方へ通る橋」とするのみで、名前の由来についての記述はありません。一方、九段坂に関しては、「飯田坂 今九段坂ともいへり。近き頃まで家居九段に作りなせしゆえなり。今はそれも名のみなり。むかし飯田喜兵衛が住し所なりと」としています。御用屋敷の長屋を九段に作り、九段長屋と呼ばれたのだそうですが、「江戸名所図会」に描かれた坂は、それ自体が九段になっているようにも見えます。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 飯田町 中坂 九段坂」  右下隅の坂下を拡大したのが→ こちらです。昨日UPの堀留橋(こおろぎ橋)ですが、「図会」では「どんどん橋」とあるようです。  

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    ・ 日本橋川  中坂下にある南堀留橋から、次の俎橋を写しています。 → 「寛永図」や「正保図」には九段坂下に橋はなく、「明暦図」で初めて、坂下から小川町にかけて道が開かれ、橋が架けられています。

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    ・ 俎橋  九段坂方向のショットです。震災復興による大正通り(現靖国通り)の拡幅に伴い、俎橋も昭和4年(1929年)に鉄筋コンクリートのアーチ橋となりました。現在のものは昭和58年の架け替えです。  

 九段坂を上った左手には、江戸城内郭門の一つで、北方の軍事、交通の要所に位置する→ 田安門があります。 → 「慶長江戸図」のうち、7年のほうには「上州道」、13年のほうには「田安土橋、飯田町口」とあるところで、「別本」の傍らに「登り坂四つや道」とあるのは九段坂ということになります。上州道というのは、牛込門経由で牛込台、さらには遠く上州まで通ずるからで、現在は門外に早稲田通りの起点があります。なお、八代将軍吉宗の二男宗武は、田安門内に邸地を得て田安家を興しました。清水門と清水家、一ツ橋門と一橋家、みな同じパターンのネーミングです。