谷端川跡の通りに戻ります。それらしくクネッた区間が200mほど続いた後、宮仲公園通りに合流、左折して東に向きを転じ、大塚駅方面へと向かいます。宮仲公園通りは、明治通り・富坂下を結ぶ都道436号線の一部で、大塚駅南口交差点でプラタナス通りに、千石3丁目交差点で千川通りへと連続しています。谷端川を暗渠化した通りをさらに拡幅、整備して、昭和10年代に開通しました。永く癌研通りと呼ばれていましたが、同研究所の有明への移転に伴い、宮仲公園通りへと改称しました。宮仲は明治22年(1889年)に発足した巣鴨村大字巣鴨の字で、区域内に天祖神社が祀られており、同神社と関わる名前なのでしょうが、仲の方はよく分かりません。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 王子」と「同 / 早稲田」の合成で、上掲地図と同一場所、同一縮尺です。
- 1. 谷端川跡の通りに戻ります。左手マンションの植込みに「谷端川跡」の解説プレートが掲示されています。
- 2. 巣鴨村内では上流から二番目の橋が架かっていました。江戸時代の名前は不明ですが、明治以降は、字名から宮仲橋となったものです。
- 3. 北大塚三丁目交差点で左折、宮仲公園通りに合流します。
- 4. 元は左右に大きく蛇行していたところで、谷端川の暗渠化を経て、昭和10年代に現行のようになりました。