神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

宮仲公園通り2

2019-06-08 06:12:42 | 谷端川・小石川3

 宮仲公園通りを大塚駅方面に向かいます。北大塚3丁目交差点から200mほどのところに、空蝉橋下交差点がありますが、その手前に巣鴨村内の三番目の橋が架かっていました。おそらく「新編武蔵風土記稿」の寂法橋、「東京府志料」の真法橋で、明治以降は蛇下橋と呼ばれたものです。真法や蛇下の名前の由来は不明ですが、寂法(しゃくほう)は江戸時代の巣鴨村の小名で、「新編武蔵風土記稿」にも収録されています。なお、交差点名となっている空蝉橋は、谷端川とは関係なく、南側を走るJR線をまたぐ橋です。明治36年(1903年)に、当時の日本鉄道山手線池袋・田端間が開通した際、切通しの上に架橋されました。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正) / 早稲田」と「同 / 王子」を合成したものです。宮仲公園通りなどをグレーで重ねています。 

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    ・ 宮仲公園通り   空蝉橋下の三叉路手前で、斜めに交差する道に、蛇子橋は架かっていました。左岸には水車用の回し堀があり、また、それとは別に合流する小水路もありました。 

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    ・ 空蝉橋下交差点  右岸の空蝉橋方向のショットです。空蝉(うつせみ)の名前からは、ロマンチックな由来を連想させますが、実際には近くの松の木にセミの抜け殻があったからだそうです。

 <巣鴨村の水車>  上掲「地形図」の回し堀と水車は→ 「東京近傍図」にも描かれています。「豊島区史 資料編四」(昭和56年)には、明治20年(1887年)に提出された、この水車の「営業継年期幷器械変更願」が収録されています。「千川上水東添支川水路ニ於テ従来許可ノモノ」で、明治15年より営業してきたが、さらに延長を願い出る趣旨で、水車の規模は「径輪弐丈壱尺 杵弐拾七本 臼弐拾七柄 水堰八尺四寸五分」となっています。これとは別に、藤橋近くに水車を新設するための、明治28年提出の「水車設立願」も収録され、上記水車業者の同意書も添付されていますが、増水の際の藤橋損壊等を恐れた周辺地主の反対によって不認可となりました。