宇田川を分岐し、右折して南下する桜川を追います。流路の右手は増上寺境内、左手は三島町でした。その三島町の大下水に関する書上です。「大下水 巾八尺 右者増上寺外構町内西之方地先ニ有之里俗桜川と唱候・・・・持場之儀者宇田川横町境より長サ八拾九間半之間町内持ニ而浚(さらい)並町内南境より折曲り神明社地増上寺表門境迄百六拾間余有之候場所之儀者増上寺神明惣門前神明社地ニ而浚諸入用出銀差出申候」 なお、三島町は寛永18年(1641年)頃、増上寺門前地となりました。町名由来は鍋島信濃守、久留島越後守、鍋島市之丞の屋敷跡だったためといわれ、確かに「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年)には、これら三方の屋敷が描かれています。
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。
- ・ 桜川跡 宇田川の分岐以降、水路跡と重なる道路は、引用文に「町内南境より折曲り」とある、神明社地との境のここだけです。なお、この先で右手からの流れを合せ、左折して神明宮の西縁に添います。
- ・ 旧増上寺境内三島谷 その右手からの流れを追います。上掲「実測図」で左折して交差点を越え、日比谷通り方向に向かうところで、尾張屋の切絵図に三島谷と書き込まれています。
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