神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

三島町

2014-12-09 08:03:07 | 城西の堀川4

 宇田川を分岐し、右折して南下する桜川を追います。流路の右手は増上寺境内、左手は三島町でした。その三島町の大下水に関する書上です。「大下水 巾八尺 右者増上寺外構町内西之方地先ニ有之里俗桜川と唱候・・・・持場之儀者宇田川横町境より長サ八拾九間半之間町内持ニ而浚(さらい)並町内南境より折曲り神明社地増上寺表門境迄百六拾間余有之候場所之儀者増上寺神明惣門前神明社地ニ而浚諸入用出銀差出申候」 なお、三島町は寛永18年(1641年)頃、増上寺門前地となりました。町名由来は鍋島信濃守、久留島越後守、鍋島市之丞の屋敷跡だったためといわれ、確かに「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年)には、これら三方の屋敷が描かれています。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。

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    ・ 桜川跡  宇田川の分岐以降、水路跡と重なる道路は、引用文に「町内南境より折曲り」とある、神明社地との境のここだけです。なお、この先で右手からの流れを合せ、左折して神明宮の西縁に添います。

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    ・ 旧増上寺境内三島谷  その右手からの流れを追います。上掲「実測図」で左折して交差点を越え、日比谷通り方向に向かうところで、尾張屋の切絵図に三島谷と書き込まれています。

 <飯倉神明宮>  引用文中にある神明の正式名称は飯倉神明宮ですが、芝神明と通称されていました。明治に入り芝大神宮と改称され、現在に至っています。「飯倉神明宮 同東の方神明町にあり。江戸名所記等に日比谷神明とあり、今俗間芝神明と称す。其旧地は増上寺境内飯倉天神の社地なりと、或云赤羽の南小山神明宮の地なりとも。」(「江戸名所図会」) 社伝によると創建は寛弘2年(1005年)、伊勢の内外宮を勧請して創建されました。源頼朝をはじめ関東の有力武家の庇護を受け、徳川家康も江戸入府や関ヶ原出陣など、折に触れて参拝しているようです。庶民の間でも「関東のお伊勢様」として信仰され、特に、9月16日の祭礼の前後は、11日間に及びだらだら祭と呼ばれ、生姜市の立つことで有名です。