神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

汐留町入堀

2014-12-08 08:10:27 | 城西の堀川4

 宇田川の300mほど北側に、同じく東海道筋を横切る水路があり、そこに源助橋が架かっていました。「源助橋 源助町と露月町の間の入堀に架す、此川桜田桜川下流の残りしなりと云、桜川の条合せみるべし」(「御府内備考」) その桜川のところには、一度引用したように、「此下水・・・・昔は是よりたゞちに田村小路を南へ流れて源助町源助橋下の入川につゞきしならん。」とありました。ここでは単に入堀、入川ですが、明治に入り汐留町入堀の名が付きました。「汐留町入堀 第二大区二小区汐留町一二町目ノ間ニテ浜離宮中ノ門ノ門前ノ堀ヨリ分レテ西ヘ入源助町ヲ横キリ日影町通ノ大下水ニ合セル細流ナリ」(「東京府志料」) 水路を挟んで会津藩松平(保科)家、仙台藩伊達家の屋敷があったことから、会仙川の別名もあります。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。

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    ・ 第一京浜  源助橋のあったところですが、開通した環状2号線との交差点にあたり、様相が一変してしまいました。正面に写る日比谷稲荷については項を改めます。

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    ・ 汐留町入堀  浜離宮公園の西側、汐留川に架かる中の御門橋からのショットで、汐留川に向かって開口しているのが汐留町入堀の合流口です。

 <日影町通大下水>  冒頭の引用文にある日影(日陰)町通は、東海道の一本西側の通りの通称です。東海道沿いの町屋(芝口二、三丁目、源助町、露月町、柴井町)の裏通りにあたり、そこを流れる大下水は左右から汐留町入堀に合流していました。以下はこの大下水に関する源助町の書上です。「大下水 巾六尺 右者町内西之方新道武家方御屋敷境ニ有之・・・・水吐口之儀者芝口弐丁目同三丁目露月町柴井町より之落合ニ而町内横切下水え水落申候」 最後の「町内横切下水」に関しては、「大下水 巾弐間 右者町内往還横切下水ニ而町内新道之分より浜御殿脇え流落候」となっていて、汐留町入堀のことだと分かります。
 なお、「武州豊島郡江戸庄図」や→ 「明歴江戸大絵図」など、初期の江戸図では宇田川との連絡水路が描かれており、それが寛文4年(1664年)に新道(日影通)が開通した際、通り沿いの大下水に付替えられたものと思われます。それともう一つ、→ 「江戸名所図会」に描かれた日比谷稲荷は、当時芝口三丁目の日影通に面したところにありました。したがって、通りの反対側を流れるのが大下水ということになります。それが、環状2号線の工事に伴い第一京浜(東海道)に面する現在地に移転しました。最初の写真の正面に写るのがそれです。