桜川に戻ります。神明宮の南西角で増上寺からの水路を合わせ、左折して神明宮境内の西縁に沿い、増上寺大門前へと至ります。そこには表御門前橋(→ 「実測図」では桜川橋)が架かり、その前後14間の川幅は3間と、それまでの8尺、それ以降の2間に比べ広くなっていました。また、寛政5年(1793年)大門通りと神明社地の境に築かれた土手には、幅1間の下水が沿っていました。神明町、神明門前、浜松町一丁目、七軒町の四ヶ町持であったと、七軒町の書上に記載されています。
- ・ 「江戸名所図会 / 増上寺」 4枚シリーズの其二です。 右下隅が大門、奥の大きなのは三解脱門です。また、大門通りの土手も、右下隅に顔をのぞかせています。
- ・ 芝大神宮 桜川はこの裏を流れていましたが、その様子は上掲「図会」の右に連続する→ 「其一」に描かれています。
- ・ 大門前 「実測図」に書き込んだように、桜川の流路はこの通りとはズレていますが、大門前からは通りの右手を並行します。
- ・ 増上寺大門 大門と桜川を描いた二代広重の→ 「東海道名所之内 芝増上寺」が、大門通り沿いに展示されています。