神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

紅葉川

2019-01-11 06:04:12 | 江戸川・紅葉川

 「江戸川・紅葉川」を最新の写真を元にリメイクします。その範囲ですが、まず、江戸川橋に戻り、神田川本流を飯田橋まで下ります。ここまでが江戸川の範囲です。ついで、飯田橋で右折して、外堀を市ヶ谷、四谷方面に向かいます。さらに足を延ばし、外堀と並行する大下水となった、紅葉川とも呼ばれる支流の谷頭までです。

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 市ヶ谷八幡前の合流地点まで戻り、靖国通り沿いの大下水をさかのぼり、防衛省(元の尾張藩上屋敷)前に向かいます。ところで、今回の大下水の名称について、尾張藩上屋敷表門で二分し、上流を楓川(紅葉川)、下流を柳川とする記述が「御府内備考」の田町一丁目の所に載っています。「右下水堀石垣出来以前者只今尾張様表御門より下の方を柳川と相唱候由右者川添に柳樹植有之候故の唱と申伝候亦同御屋敷表御門上の方楓坂と申御場所有之右近辺川筋を楓川と相唱候由紅葉川共相唱候由申伝候」

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 紅葉川」(1/18000)  オレンジ線は区境で、大半が新宿区、右下隅は千代田区、左下隅は渋谷区です。また、尾張屋敷跡、および新宿御苑の範囲を薄いグリーンで重ねています。  

 「御府内備考」の別の個所では、全体を紅葉川とする記述もありますが、楓川ないし紅葉川の由来についても諸説が混在しています。冒頭で引用したのは、表御門付近にあった楓坂にちなんで、というものでしたが、塩町三丁目のところでは、四谷北寺町にある紅葉山西迎寺の山号や、太田道灌手植えと伝えられる楓によるとし、あるいは、修行寺門前のところでは、上流の桜川、下流の柳川と対の名前だとしています。また、牛込門ないし四谷門を紅葉門と呼んでいたので、との説は牛込見附のところで一度紹介しています。

 

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    ・ 四谷堀  市ヶ谷橋からのショットで、堀は途中左カーブするところで埋立てられました。右手の二つのビル群の間が、外堀通りと分かれた靖国通りのスペースです。 

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    ・ 靖国通り  外堀通りと分かれた直後の靖国通りです。左手の三角コーナーは、市ヶ谷田町四丁目が占めていましたが、文政5年(1822年)に類焼したのち火除地となりました。