「無礼村 無礼村は郡の東北によれり、・・・・開発の年代は伝えざれど新座郡小榑村より高橋図書と云もの来り発しとも云り、『小田原北条分限帳』に大橋九貫文無連高井堂とあり、無連は当村のことなり、其頃はかく書しなり、・・・・民家百五十軒、畑多して田少し、村内一條の街道あり、西の方下連雀村より入、東の方久ヶ山村に達す、村内を径ること凡二十町、道幅五間」(「新編武蔵風土記稿」) 大橋氏の持ち分とされる「無連高井堂」のうち、後者は無礼村の隣の隣にあたる高井戸村と目されています。また、最後の「村内一條の街道あり」は、村尾嘉陵も歩いた古道で現在の人見街道です。
- ・ 「東京近傍図 / 布田驛」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は市区境で、左上から時計回りに武蔵野市、杉並区、三鷹市、旧名は吉祥寺、久我山、無礼村です。
「多摩川上水 西の方吉祥寺、下連雀両村界より入、当村を流るゝこと凡二十町にして、東の方久ヶ山村に至る、井ノ頭上水 吉祥寺村と当村の界ひを流るゝこと十町許を過て、久ヶ山村に達す」 「新編武蔵風土記稿」は無礼村の水利の項で、このように記述していますが、井の頭池を流れ出した神田上水の流域は無礼村に属していました。昨日UPの→ 「神田上水絵図2」は両岸とも無礼村の持場としており、現在の武蔵野市と三鷹市の境も左岸段丘にあって、流域自体は三鷹市に属しています。
- ・ 神田川 水門橋下から流れ出る神田川を振り返っての撮影です。右下隅の大きな石の碑には、「一級河川 神田川」と刻まれています。
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