「御掃除町 町内起立之儀・・・・青山大膳亮様上地之内御掃除之者三十人え大縄地二而被下置・・・・右組屋敷続ヲ以青山御掃除町と唱来候哉と奉存候」 「御掃除之者」は江戸城内御殿の掃除を主に担当、他に使い走り的な雑務も行いました。10俵1人扶持の最下層の御家人で、定員は百数十人から二百人ほどあり、これを三組に分けていました。江戸城内の雑事を担当する五役(他は御中間、御小人、御駕籠之者、黒鍬者)の一つです。なお、他にも御掃除町があり、小石川御掃除町は伝通院付の、渋谷御掃除町は芝御霊屋付の掃除役の給付地でした。
- ・ 稲荷坂下先 稲荷坂下からこのあたりまでの右手が御掃除町で、左手には周防徳山藩毛利家の上屋敷がありました。
- ・ 新坂下 上掲写真の突き当りを左折したところです。右手が新坂上り口、正面は明治に入りできた無名坂で、外苑東通りに上ります。
- ・ 新坂 → 「明暦江戸大絵図」の左上隅の通りは行き止まりになっていますが、その先から青山通りに抜ける坂として、元禄12年(1699年)に開削されました。
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