神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大塚三業通り3

2019-06-18 06:20:19 | 谷端川・小石川3

 東福寺橋跡を過ぎ、巣鴨小学校前から300mほどで、豊島、文京の区境に差し掛かります。江戸時代には巣鴨村と小石川新田が入会になっていたところで、明治に入り巣鴨町と小石川区に分かれました。なお、小石川新田は護国寺造成の時の砂利取場で、享保年間に新田開発されました。谷端川流域は村方の耕地でしたが、左右の段丘斜面は武家屋敷が占め、それが大正末から昭和の初めにかけて、相次ぎ宅地造成されました。ちなみに、区境付近にあったのは上総鶴牧藩水野家や六千石の旗本、平岡家の下屋敷です。

 

Sangyo3

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

0104b 0104a

    1. 右カーブの次は左カーブと、相変わらず蛇行する大塚三業通りを南下します。

0104d 0104c

    2. 区境となっている坂は、昭和の初めに左岸段丘一帯を宅地造成した際の開削です。

0104e

    3. ここは左手文京、右手豊島ですが、その先で区境は右手に離れ、どちらも文京になります。 

0104g 0104f

    4. 大塚三業通り(及び地下の下水道千川幹線)は、右カーブでプラタナス通りに合流します。

0104h

    5. 一方、谷端川は直進し、上掲写真正面の公園先の路地に連続します。