熊野橋(熊野窪橋)の架かっていたところから二百数十メートルで、東福寺前に架かる東福寺橋です。「新編武蔵風土記稿」では「長四間」の土橋ですが、「東京府志料」では松下橋と名を改めて収録され、「板橋長六間幅四尺五寸、旧名東福寺橋ト云、然ルニ橋辺に松樹アルニ因テ今ノ名ニ改ム」と付記されています。もっとも、その後の地図では、東福寺橋となっているので、この改名は定着しなかったのでしょう。なお、橋名の由来となった東福寺は、初め小石川大塚にありましたが、元禄4年(1691年)に当地に移ってきたお寺です。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 熊野橋から東福寺橋までの200m強も、同じようにクネッた道路が続きます。
- 2. ここまでの左カーブから一転、しばらく右カーブが続きます。
- 3. 東福寺橋の架かっていたところで、→ 東福寺は左手段丘上です。
- 4. 昭和22年(1947年)開校の巣鴨小学校前を蛇行しながら離れます。
- 5. 小石川村との境が近くなります。江戸時代にはこれまでの農地から一転、大名、旗本屋敷が点在していたところです。