神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

幡ヶ谷支流

2018-05-17 06:53:22 | 幡ヶ谷支流

 山手通りに架かる長者橋から200mほど下流の右岸に、これまでになく大きな合流口が開いています。今回のクールのテーマである神田川の一支流の合流地点です。→ 「東京近傍図」では、合流地点は枝分かれしていますが、うち左折して中野、新宿、渋谷三区(本郷、角筈、幡ヶ谷三村)の境近くで合流するのがメインで、合流地点の属する → 「角筈村絵図」から明治42年以降の「地形図」までそうなっています。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 幡ヶ谷支流1」(1/18000)  オレンジ線は区境で、左上から時計回りに中野、新宿、渋谷区です。 

 谷筋の先端は幡ヶ谷村の範囲を越え、和泉、和田両村にまたがる萩久保と呼ばれる天水場でした。さらに、甲州街道沿いの数か所からの合流もありますが、なんといっても最大の水源は玉川上水でした。それ以外は天水頼みの小河川であったことなど、桃園川との類似が指摘できますが、たどった運命も似通っていて、昭和の初めに農業用水としての使命を終え、住宅密集地の生活排水路となりました。昭和30年代末から40年代初めにかけて、暗渠となり地上は遊歩道、地下は下水道幹線となったのも同様です。もっとも、区画整理を経過した桃園川に比べ、直線化、単線化は徹底せず、遊歩道としての整備も中途半端な印象です。

 

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    ・ 神田川  菖蒲(あやめ)橋からのショットです。左カーブで北に向きを転じるところに、右岸からの大きな→ 合流口が開いています。

 ところで、この神田川支流の名前ですが、その規模や果たした役割にもかかわらず、〇〇川といった固有の名前は普及していません。起点に注目して和泉川、終点に注目して砂利場川などが、一部文献に登場したのみです。歴史的に果たした役割からすると、幡ヶ谷村分水ないし幡ヶ谷村用水が妥当なのでしょうが、本来は自然河川であることも考慮して、ここでは仮に幡ヶ谷支流としておきます。(流域の大部分をカバーする渋谷区の発行する文献では、ほぼ一貫して「神田川支流」の扱いです。)