乗蓮寺裏にあった洗堰の続きです。この板橋宿手前の吐口は、千川上水開設当初、ないし初期の段階から設けられていたようで、享保7年(1722年)の上水廃止以前の様子と思われる「千川上水給水区域」には、「板橋御林之内二而吐申候」との文言があり、また、「正徳末頃ノ上水図」にも、下板橋手前の左岸に「下板橋御林」、「吐水」の書き込みが見えます。正徳は享保の一つ前の年号で、1711~16年に当たります。なお、「御林」というのは将軍直轄の狩場といった意味で、(三代家光の治世を描いたとされる)「江戸図屏風」にも板橋周辺に鹿の群れが描かれています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正測図) / 王子」 上掲地図と同一場所、同一縮尺です。
- 1. 突き当りを左折、次の突き当りを右折します。上掲地形図では左カーブになっているところです。
- 2. 路地を抜けたところで左折します。左折後の水路は通りの左手を並行していました。
- 3. 氷川図書館前で右折です。ここから先の水路は通りの右手を並行していました。
- 4. 豊島病院通りを越えます。右手奥は板橋第九小学校です。戦後間もなくの開校なので、昭和4年の地形図にはまだ登場しません。