→ 「高円寺村絵図」に描かれた字小沢の水田は、昭和の初めまで裏田圃と通称されていました。「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)には、「立正佼成会のある和田1、2丁目の田を表田圃と呼び、こちらを裏と呼んだのは収穫がわるいからである。真盛寺入口に池があって湧水が出て梅本から神田川の方に流れていた。この水が冷水であるため稲の出来が良くなかったのである」との記述があります。ここでは収穫の多少を問題としていますが、一般には北にあるために裏と呼ばれることが多いようです。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 妙法寺道の先から再開します。水路は元からある通りの左手に沿っていました。
- 2. 100mほどで左折、再び水路単独の狭い路地になります。
- 3. 車止め付きの路地は左右に微妙に蛇行しながら西に向います。
- 4. 右手は高南中学キャンパスです。同校は昭和23年(1948年)、田圃を造成して開校しました。
- 5. 左手が高くなり、右岸段丘に沿っているのが分かります。