神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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小石川村

2019-06-20 06:18:13 | 谷端川・小石川3

 「小石川は日本橋より一里八町許、古は広き地にて江戸古図にも載せ、又『回国雑記』に、小石川と云る所にまかりて、我かたを思ひ深めて小石川、いつこを瀬とか恋渡るらんとみへ、『北条役帳』に五貫四百八十文、島津孫四郎知行小石川内法林院分松月分・・・・と載たり、然るに後年次第に武家屋敷寺社の拝領地及び町屋等に、起立ありしより、今村地に属するものは僅に百四十四石余の地なり、其四界東は御薬園及び・・・・武家屋敷、南は小石川橋戸町宗慶寺、西は松平播磨守・・・・及武家屋敷小石川大塚上町等にて、北は巣鴨村小石川新田なり、・・・・民戸二十四」(「新編武蔵風土記稿」)

 

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    ・ 「東京近傍図 / 下谷区」(参謀本部測量局 明治13年測量)の一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で、左上隅の豊島区以外は文京区です。  

 以下は小石川の地名由来に関する「御府内備考」の引用です。「『江戸志』に、此地は小石の多き小川幾流もある故小石川と名付しといふ、こは最古世の話なるにや、詳なる事を聞かす、正保改の武蔵国図には、今の御薬園の西なる田間より伝通院後の方へ達する流と覚しき川を小石川と注したり、則『江戸砂子』に、伝通院の後の流れ猫また橋の川筋を小石川の濫觸(らんしょう 物事の始まり)と書くも是なり、・・・・一説に『神社略記』を引て、白山権現は加賀国石川郡より勧請せしゆへ小石川の名起りしと云、是最無稽の言なり、白山権現を此地に移せしは元和元年の事といへり」

 

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    ・ 簸川神社  小石川植物園内にありましたが、白山御殿造営のため転出、当地に遷座したのは元禄12年(1699年)です。なお、簸川(ひかわ)は当社独自の表記です。 

 途中省略したところには、冒頭の「新編武蔵風土記稿」にあった「回国雑記」(准后道興 長享元年 1487年)や「北条役帳」が引用されています。なお、「新編武蔵風土記稿」にある、川名としての小石川に関する記述は以下の通りです。「小石川 村の中程にあり、幅三四間巣鴨村より入て橋戸町へ達す、巣鴨村にては谷端川と呼へり、橋二を架す、各長二間、一は板橋にて氷川橋と唱へ、一は石橋にて猫股橋と称す」