神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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一石橋

2019-08-30 06:53:00 | 平川・外堀1

 常盤橋下流の十字路には、前々回UPの→ 「江戸名所図会」からも見て取れるように、(時計回りに)常盤橋、一石橋、呉服橋、銭瓶橋が架かっていました。うち一石橋の架橋は他の三橋より遅れ、「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年 1632年)で、その名と共に初めて登場します。橋名の由来は江戸ッ子好みの小話風で、近くに後藤を名乗る屋敷が二つあり、後藤(五斗)と後藤(五斗)で十斗、すなわち一石だというのです。ちなみに二つの後藤というのは、常磐橋前の金座(現日本銀行)にあった御金改役の後藤家と呉服橋近くにあった呉服商の後藤家です。

 

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    ・ 一石橋  正面は大正11年(1922年)改架の花崗岩張りアーチ橋の親柱ですが、平成に入り改修された際一基だけ保存されました。

 江戸時代も後半になると、一石橋から東隣の日本橋にかけては盛り場となり、そのため迷子も多かったのでしょう、橋のたもとには迷子を知らせる→ 石柱が立てられました。現在も上掲写真の親柱の隣に保存されていますが、その正面には「まよい子のしるべ」とあり、左側に迷子、尋ね人の特徴を書いた紙を、右側に見かけた旨知らせる紙をはる、といったものでした。同様のものが湯島天神、浅草寺、両国橋といった江戸屈指の繁華街に置かれたそうです。

 

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    ・ 日本橋川  一石橋から下流方向で、左カーブで東に向きを転じた後です。高架は同様に左カーブした都心環状線、奥に呉服橋出入口が見えます。

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    ・ 外堀通り  一石橋上から呉服橋交差点方向です。通りの右半分から隣のビルまでが、ほぼ埋立てられた外堀の幅に当たります。