神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

汐留川

2019-09-05 06:56:41 | 平川・外堀1

 山下橋を過ぎた外濠川は、四百数十メートルを直線で南下し、幸橋門外で溜池方面からの外堀と合流します。左折して東に向きを転じ、土橋、汐留橋を経て浜離宮へと至る後半は、汐留川と呼ばれていましたが、これは明治に入ってからのようで、江戸時代は特に名前はありませんでした。「川 巾拾六間程 右者町内北之方ニ有之幸橋御門外御堀より土橋東之方え相流申候尤名目者無之川巾拾六間長十九間半弐尺程町内持場ニ御座候」 

 

Siodom19

    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。 

 これは土橋のある二葉町に関する「御府内備考」の記述で、土橋に関しては「巾五間四尺長三間二尺 右者御堀吐水口ニ掛渡し有之町内より丸屋町え相渡候橋ニ而」云々としています。なお、幸橋、幸橋御門に関しては、「古くは御成御門と云。寛永中の『江戸絵図』には御成橋と註す」とあります。芝増上寺への参詣のルート上にあるため、そう呼ばれたものです。枡形門の築造は山下門と同じく寛永13年(1636年)なので、引用文中にもある「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年)には木橋しか描かれていません。

 

0428a

    ・ 新幸橋跡  合流地点の一つ手前の新幸橋交差点近くに、新幸橋の記念碑が立っています。昭和に入ってからの架橋で、記念碑には昭和4年と刻まれています。 

0428b

    ・ 土橋跡  左カーブでいったん分かれていた外堀通りと交差するところに、土橋が架かっていました。高架は引き続き東京高速道路で、やはり左カーブで汐留川跡の上にシフトします。