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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

江戸川公園

2018-08-25 06:28:40 | 落合・目白崖線

 大滝橋から江戸川橋までの神田川左岸は、延長500mほどの細長い公園になっています。公園として整備するきっかけとなったのは、明治43年(1910年)の大洪水のあと、大正に入ってから着工された神田川の護岸改修工事でした。完成は大正8年(1919年)ですが、同じ年に公園も開園し、当時の神田川の名前から江戸川公園と名付けられました。なお、明治43年の大洪水は明治期最大の水害で、被害総額は1億2千万円余、当時の国民総所得のおよそ4.2%にあたる数字だそうです。この水害を教訓に荒川放水路が開削され、荒川、隅田川の流路は現行のように整備されました。

 

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    ・ 江戸川公園  大滝橋からのショットで、江戸川橋からものは→ こちらです。江戸川公園はお花見スポットとして有名ですが、神田川の拡幅工事に伴い、昭和58年(1983年)に植えられました。 

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    ・ 江戸川公園  江戸川橋に近づくにつれ、公園はますます狭くなり、ほとんど遊歩道と崖面だけになります。その崖面も徐々に低くなり、目白崖線の東端はもうすぐです。

 <関口大洗堰>  大滝橋のやや下流には堰が設けられ、神田上水を分水していました。関口村の名前の由来となったものです。「堰 神田上水と江戸川の分水口にあり、大洗堰と号し、御普請所なり、石にて築畳み、大さ長十間幅七間の内水口八尺余、側に水番人の住せる小屋あり」(「新編武蔵風土記稿」) 江戸川公園が開園した当時も現存しており、水門を鉄製にするなど若干の改修も行われました。その後、昭和8年(1933年)には大洗堰からの取水は停止され、同12年に堰自体も撤去されました。

 

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    ・ 取水口の石柱  大洗堰の取水口に、水量調整のための角落(かくおとし)と呼ばれる板をはめ込むための石柱で、大洗堰の廃止に伴い撤去されたものが保存されています。