神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

向原溜池

2015-09-02 06:16:24 | 千川用水5

 「村内に溜池三箇所あり、一は字大谷口にありて面積千三百九十六坪、二は字向原にありて面積三百九十坪、共に字山崎向原の用水となる、三は字小竹に在り、面積七十坪許、浅間神社の後に當り昔より同社の御手洗と稱へらる。」 大正7年(1918年)の「北豊島郡誌」の一節で、最後の浅間神社御手洗池のところで一度引用しました。最初のものは→ 「東京近傍図」の上端に描かれていますが、ここでのテーマは二番目の字向原(むかいはら)の溜池で、昨日UPの→ 「昭和4年第三回修正」の左上にあるものです。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影の空中写真」  七差路の左上に写っているのが向原の溜池で、「空中写真」の当時は釣堀となっていました。

 板橋区教育委員会「いたばしの地名」によると、溜池では大正、昭和の初めころまでは毎年梵天祭がおこなわれ、旱魃時には群馬県の榛名神社の水を奉じて、雨乞がなされたようです。それが、田用水として利用されなくなったのでしょう、昭和に入り釣堀営業に転じます。「昭和の初期、釣堀を営業していて、戦後千川上水が暗渠化されたとき釣堀ができなくなったのは、水源が千川上水からの漏水であったのであろうかといわれています。」 ことの真偽はわかりませんが、これまでの悪水吐と(非公式の)分水の関係を考え合わせると、相当量の漏水があった可能性は否定できません。なお、「戦後千川上水が暗渠化されたとき」とありますが、この区間の暗渠化は昭和30年(1955年)前後です。

 

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    ・ 向原溜池跡  板橋高校前の七差路から、直線で百数十メートルのところにあり、現在は釣堀跡を留めたままマンションの敷地になっています。

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    ・ 水路跡  向原と大谷口の境となっている水路跡の路地です。マンション敷地の北側から始まり、途中向原中学キャンパスで中断したあと、向原団地に向かいます。