神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

左岸の小支流

2016-08-24 06:18:09 | 桃園川1

 天沼地域を流れる桃園川には、左右から小支流が合流しています。 → 「段彩陰影図」で見ても、弁天池からの流れに続いて左岸から一つ、次いで右岸からもう一つ、短い谷筋が合流していますが、前回合流していた路地は、左岸からの小支流のものでした。なお、→ 「東京近傍図」の時代、この小支流は左岸流に合流していたものと思われます。それが左岸流を廃止した際、最短距離で本流に合流する様に付替えられたのでしょう。現在残された合流地点の水路が直線的なのは、その付替えの結果と考えます。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 左カーブで徐々に西に向きを転じます。元はこのあたりで左岸流に合流していたのでしょう。

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    2. コンクリート蓋になり、途中鉄板に覆われたりします。

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    3. ここから先は水路単独で、コンクリート蓋の幅も狭まってきました。

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    4. やがてフェイドアウトします。合流地点から延長280mほどの小水路でした。

 <熊野神社>  「十二社権現社 除地百五十坪、小名宝光坊にあり」(「新編武蔵風土記稿」) 「杉並の神社」(昭和55年 杉並区教育委員会」によると、熊野神社と改称したのは明治に入ってからで、同7年(1874年)に村社に指定されました。なお、同社には元弘3年(1333年)に新田義貞が鎌倉攻めの途中、この地に陣を敷いて戦勝を祈願したとの伝承があります。その際手植えしたと伝えられる杉は、長く御神木として信仰されてきましたが、昭和に入って枯れたため伐採され、現在は掘りだされた→ 切株が保存れています。傍らの解説プレートには、杉は二本あり「大願成就の杉」「出世杉」と呼ばれたこと、二本とも枯れたため、昭和21年(1946年)に伐採されたことなどが記されています。