神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

茗荷谷4

2019-02-16 06:47:57 | 神田上水

 拓大東門前まで戻り、北側から合流する谷頭を扱います。丸ノ内線茗荷谷駅近くにあり、こちらも茗荷谷と呼ぶことに違和感はありませんが、「御府内備考」の記述からは、清水谷とすべきところのようです。「行方六左衛門抱屋舗林泉寺境通里俗清水谷と相唱」 これは春日通に面した清水谷町からの引用ですが、林泉寺門前のところでも、「戸田淡路守様下屋舗往来之所を清水谷と相唱」とし、最近まで清水が湧出していたが、道普請によって失われた旨付け加えています。なお、戸田淡路守(三河大垣新田藩)下屋敷跡地が現在の拓大キャンパスです。

 

Myoga4

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

0927b 0927a

    1. 拓大東門前から茗荷谷駅方向です。右写真は右手台上の深光寺境内から見下ろしています。  

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    2.  → 縛られ地蔵で有名な林泉寺門前で、林泉寺は目下改装中です。なお、左手の坂が小日向と大塚の境になっています。  

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    3. 茗荷谷駅に向かいます。冒頭の引用文中の「行方六左衛門抱屋舗」はこの左手にありました。

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    4. やはり「御府内備考」の記述によると、林泉寺門前から1町(≒109m)ほどのところに「姫ヶ井」という名水もありました。  

 <大塚の由来>  林泉寺前から西に向かう無名坂上に、「”大塚”ゆかりの地」と題する解説プレートがあり、「改選江戸志」の以下の記載を援用しています。「大塚通の南裏、小普請神尾豊後守組森川鉾太郎屋敷内に塚あり、高さ五尺斗、上に大樹の榎の朽木五尺斗残れり、是大塚なりと云、塚の脇に稲荷あり、大塚稲荷といふ」 さらに、塚は昭和の初めに崩され、稲荷も戦災で消滅したこと、塚は古墳だとか、中世の物見やぐら跡だとかいわれていたこと、最近の発掘で、5~6世紀の竪穴式住居跡が確認されたこと、などが付け加えられています。ただ、大塚が大きな塚なのは問題ないとして、その場所や使途、あるいは個数などに関しては、諸説入り乱れていて、当地はそのうちの一つにすぎません。